第4章―4

 クリスマス・イブに女の子が四人、蕎麦屋の座敷で一言も会話を交わすことなくずるずると蕎麦をすすっているって、周りから見れば不思議な光景だと思う。

 そもそも高校生の女の子なら、大体がお昼ごはんに蕎麦っていう選択肢は出てこないと思うのだ。それよりはオムライスだったりパスタだったりドリアだったりとそういうものが頭に浮かんで、じゃあファミレスに行こうってなるのだと思う。ファミレスならデザートなんかもあるし、時間を気にせず駄弁れるし。まあ、あたしはデザートとかいらないけれど。

 少し話が逸れてしまったが、まあそんなわけで、あたしたち以外にももちろん座敷には他のお客さんもいる。でも、そのほとんどがおじいちゃんおばあちゃんだったり、或いは家族連れといった感じで、同じような年代の子は見当たらなかった。


「目崎、食べないの?」

「……え?」

「とろろ蕎麦。手が止まってるから食べないのかなって」

「……ああ。ううん、食べるよ。食べる」


 食べるけどさ。


「なに?」


 指摘してきた古武さんの顔を、あたしはじっと見据える。

 いや、だって。『なに?』じゃないと思うんだよね。古武さんや鮫島さんと大して仲がいいわけでもない――というよりも、寧ろ微妙な関係にあるあたしをごはんに誘うなんて。モモはまだいいとしても、一体なにを考えているんだか。今、この瞬間ばかりは鮫島さんよりも古武さんの思考回路が気になってしょうがない。


「量が多いようだったら私があとで食べるけど」


 いや、そういうわけじゃないから。


「別に平気。……って、ウッソ」

「うん?」

「いや、だってそれ」


 あたしが驚いたのは、古武さんの食べるスピードだった。

 あたしとモモがとろろ蕎麦、鮫島さんがかけ蕎麦、古武さんがかけ蕎麦定食を注文して、料理が届いたのが全員ほぼ同じタイミング。それなのに、量の一番多いかけ蕎麦定食を食べている古武さんが一番先に食べ終わりそうだった。というか、今食べ終わってしまった。


「ごちそうさまでした」


 あたしとモモ、それから鮫島さんはまだ蕎麦を半分ほどしか食べていないのに。一体どんなスピードで、彼女はかけ蕎麦定食を食べていたのだろう。


「は、はっや……」


 ぽつりと声を洩らしたのはモモ。多分、モモは自分が呟いたことにすら気づいていない。そんな顔をしている。


「ああ、昔からなんだ」


 あたしとモモの顔を交互に見ながら古武さんが肩を竦めてみせた。


「みんなに合わせてゆっくり食べようって、食べる前はいつもそう思うんだけど。食べているうちに自分のペースに戻っているっていうか」

「そ、そうなんだ!」

「そうなんだって、モモも知らなかったの? ほら、古武さんと同じ空手部じゃん」

「いや、そうなんだけど……練習前に時々チョコレートを食べてるところぐらいしか見たことないっていうか……」

「そういえば私、空手部の人と一緒にご飯を食べに行ったことはなかったかもしれない」


 ふうん、なるほどねえ。


「……あっ」

「なんだ? どうしたんだよ、更紗」

「いや、そういえば古武さんさ。ほら、昼休みに話があるって、この前うちのクラスに来たじゃん。そのとき、昼休みが始まって五分ぐらいで来たの、あれってそういうことだったんだなあって思って」

「あ、言われてみれば確かに」

「教室に向かうのが早すぎるって、私はそう――」

「「え?」」


 ハモった。あたしとモモの声が。

 それまで声を発することのなかった鮫島さんが、囁くように言葉を紡いだ。だから。

 その鮫島さんはほとんど無意識に言葉を零していたらしく、あたしとモモの声で自分が発言したことに気づいたようだった。ほんの僅かに目を見開き、言葉を続けようか否か、鮫島さんの瞳が逡巡を表すかのように揺れたとき、


「教室に向かうのが早すぎるって、雫はそう思っていた?」


 ここで古武さんが鮫島さんに問いかけた。なぜだか顔にうっすらと笑みを湛えつつ。


「ええ、そうね」


 古武さんのその顔をちらりと見ると、鮫島さんは言葉少なに認め、一瞬視線を落として静かに息を吐く。それから再び顔を上げると、古武さんの方は見ずにあたしたちへと言葉を投げた。


「あなたたち二人とも制服を着ているから、冬休みという気がまったくしないわ」


 随分と話が飛んだものだと思う。あまりにも飛びすぎると人間はちょっと混乱するもので、あたしの隣に座るモモに目をやると、案の定モモは金魚のように口をパクパクさせていた。さっきの話とは全然まったく違う内容に変わったものだから、多分モモの頭の中がパニックを起こしているのだろう。未だにさっきの話とどう繋がっているのか、なんて考えているのかもしれない。

 鮫島さんに視線を戻して、それからあたしはゆっくりと息を吸い込んだ。モモが喋れそうにないのなら、あたしがなにか言わないと。まだ、自分が鮫島さんと関わってもいいのかどうか、その結論は出ていないけれど。

 どく、どく、と心臓の音がまた大きくなっていた。自分が緊張していることを自覚する。

 自身の唇を一度舐めて、それからあたしは言葉を零した。


「ねっこ通りに来る前に、にゃか女には行ったけどね」

「どうして?」


 尋ねてきたのは古武さんだった。


「ナゴに会いに行ったんだよ。会いたくなっちゃったから」

「そっか。そういえば目崎は猫が好きだって、前にそう言ってたね」

「うん。……まあ、今日はそのナゴには会えなかったんだけど」

「いつもの場所にもいなかったの?」


 古武さんと、モモと、そしてあたしの視線が。すべて、鮫島さんへと向けられる。

 いつもの場所、と。鮫島さんが、そんな言葉を口にしたから。


「雫?」

「いつもの、場所?」


 古武さんとモモが疑問符を浮かべながらほとんど同時に呟く中で、あたしだけは鮫島さんが零した『いつもの場所』がどこを指しているのか、おそらく正しく理解していた。

 屋上だ。にゃか女の校舎の、屋上。ナゴのお気に入りの場所。

 鮫島さんは知っていたのだ。だから、ああ、そうだ。だからあの日、ナゴがあたしにチョコレートをくれた日。鮫島さんは屋上にいた。屋上がナゴのお気に入りの場所だと知っていて、それでナゴに会いに来ていたのだ。あの日、ナゴはいなかったけど。

 鮫島さんは自身の唇に手の甲を当てると、あたしたちから目を背けて口を噤んでしまった。

 また、鮫島さんのことが知りたくなってしまう。屋上がナゴのお気に入りの場所だって、いつぐらいに知ったのだろう? とか。そういうこと。

 だけど、我慢した。ここにはあの場所のことを知らないモモと古武さんがいるから。

 秘密にしておきたかった。自分だけが知っている秘密っていうのは、自分の胸を躍らせる。それを失いたくない。いや、鮫島さんも知っているけれど、それはともかく。


「早く食べなきゃ古武さんに食べられちゃうんだっけ、とろろ蕎麦」


 自分でも笑っちゃうぐらいにわざとらしい話の逸らし方だと思ったけれど、あたしはこれで突き通すことにした。ずるずると蕎麦を啜り始めて、そうしたら鮫島さんもあたしに合わせるように蕎麦を口にして。

 鮫島さんもあの場所のことは、自分だけが知っている秘密にしておきたいのかもしれないなって、なんとなくあたしにはそう思えた。まあ、あたしも知っているのだから、どうしたって自分だけの秘密にはならないんだけど。

 やがてずるずるという音に混じって、ごくり、ごくりと水を飲む音がすぐ横から聞こえてきた。モモだ。色々と聞きたくて、質問してしまいたくて、だけどそれを我慢して、言葉と一緒に水を飲み込んでいるかのような。そんな音だった。

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