第4章

第4章―1

 ――おまえの部屋ってさ。ホント、いつ来ても女子っぽくないよな。


 多分、中学生のときだったと思う。あたしの部屋に入るなり、モモがそう口にしたことがあった。

 ダークブラウンのベッド、クローゼット、本棚。ブラックのソファーにテーブル。それからカウ柄のラグと、間接照明。当時の室内の構成はこんな感じで、高校生になってからもこのスタイルは変わっていない。モモになんと言われようが、あたしはこのスタイルを気に入っているのだ。

 冬休みに突入していた。あたしはかつてモモに女子っぽくないと言われたその部屋で、今、ベッドに寝そべり大量の枕に埋もれているところである。

 お昼前で、もう眠たくはない。にもかかわらずジャージ姿でベッドや枕とお友達状態なのは、なにかをする気力が一ミリもわいてこないから。

 ――と。コツ、コツ、と控えめなノックの音が室内に響く。続いて、


「サラちゃん、起きてる? それともまだ寝てる?」


 甲高く甘ったるい声。ああ、お母さんだ。

 返事をするのも面倒でなにも返さずにいると、お母さんはあたしがまだ寝ていると思ったのか、それ以上声をかけてくることはなかった。

 昔からだ。昔からお母さんは、それからお父さんも、一人っ子のあたしにとても甘い。お菓子にたとえるなら、そう、チョコレートといえばきっとわかりやすい。

 お父さんとお母さんの間には中々子供ができなくて、そんな中でようやく生まれたのがあたし。一人っ子ということ以外にも、二人がベタベタにあたしを甘やかす要因にはそのことがある。

 そんなことはもう高校生なのだからさすがにわかっているけれど、それでもあたしはもうずっと前から今に至るまで、二人のその甘さに辟易していた。

 もちろん、最初からこうだったわけじゃない。小学校の、確か二年生の頃である。世間でモンスター育成RPGゲームが流行って、あたしはそれが欲しいのだと二人に頼んだ。欲しいものはなんでも買ってくれる人たちだったから、そのゲームも当然、すぐに買ってくれた。

 あたしは翌日、ゲームを持って学校に登校した。クラスメイトはみんなゲームの購入を親に反対されていて、そのゲームを持っているのはクラスであたしだけ。そんな感じだったから、あたしは一時期ゲームを持っているだけですごいと囃し立てられ、あたしだってそのことに悪い気はしなかった。

 だけど、だ。あたしがゲームに飽きた頃、クラスメイトの中にもぽつぽつとそれを買ってもらえる子が現れ始めた。そうして世間からワンテンポ遅れて、うちのクラスでそれが流行りだす。

 周りの子、みんな、みぃんな、とても楽しそうだった。その中には幼馴染の、モモの姿もあった。やっとゲームを買ってもらったのだと、本当に嬉しそうだったのを覚えている。

 でも、あたしは。あたしだけはもう飽きていて、なんにも楽しくなんかなくて。

 そうしたら、なんだか急にバカらしく思えてきたのだ。

 誰が悪いということでもない。今だってあたしはそれをわかっていて、だけどもう、ダメなのだ。なにをどうしたって、その瞬間からすべてがどうしようもなくつまらない。

 こうして今のあたしができあがった。親の甘さにうんざりする自分ができた。他の子からしてみれば、なんだそんなことで? なんて思うのかもしれないけど。贅沢だって、思うのかもしれないけど。あたしにとっては『そんなこと』じゃない。

 とはいえ、あたしが親に恵まれているというのはやっぱり事実。

 腹ばいの姿勢からごろん、と転がって仰向けになる。枕がいくつかラグの上に落ちた気配がしたけれど、構わずあたしは天井に視線を注いだ。一点を、じっと見つめて。睨んで。そうしてあの子のことを考える。


 ――にゃか女の一年A組の、鮫島雫のこと。


 冬の夜空を思わせるあの子の瞳には、まるで世界を諦めてしまったかのような、そんな諦観にも似たものがある、と。初めてあの子を見たときから、あたしはそう思っていた。

 この世界をつまらないと思っていたあたしは、ゆえにあの子を見たとき考えた。ああ、この子はもしかしたらあたしに似ているんじゃないか、って。

 そして鮫島さんに嬉々として近づいて、あたしなら鮫島さんの気持ちをわかってあげられる。それだけじゃない、鮫島さんならあたしの気持ちをわかってくれるんじゃないかと、あたしはそう期待したのだ。

 勝手に期待して、だけど実際は。あたしと鮫島さんは、まったく違った。

 家族のこと。あたしは両親に愛されすぎている。けれど鮫島さんは――そうじゃない。

 そのことを知ってから、あたしは鮫島さんに声をかけることができなくなった。学校の廊下ですれ違うことはあっても、声をかけるどころか顔を見ることもできずに、あたしが鮫島さんを避けるようになっていた。

 果たして両親から愛されているあたしが、そうじゃない彼女に関わってもいいのだろうか。


「どうすればいいんだか、ねえ」


 そんな言葉とともに、ため息が零れ落ちる。

 ここ十日間ほど、あたしはこんな調子でずっともやもやしていた。


『にゃあーん』

「うっ」


 と、それは不意のこと。

 お腹にのっしりとした重みと、次いで視界いっぱいにもふもふとした銀縞模様の毛が出現して、内側を向いていた自分の意識が途端に外へと向けられる。


「重いよ、ラオネ」


 言いつつ自分のお腹の辺りをまさぐると、柔らかな毛に指先が触れた。

 あたしのお腹の上に乗っかっている子、その正体は飼い猫のラオネだ。猫の中では大型とされるメインクーンという品種で、大きいけれど性格はとても優しいという特徴を持つことから『穏やかな巨人ジェントル・ジャイアント』という愛称がついた猫でもある。

 ラオネが落ちないようにそっと上体を起こすと、こっちにおしりを向けていたラオネがくるりとお腹の上で方向転換して、あたしに顔を向けた。

 銀縞模様の長い体毛。頭の高い位置にある耳。耳の中からひょんひょんと生えた毛。イエローのまぁるくつぶらな瞳。首元にふわふわと生えた飾り毛。

 ああ、とても可愛い子だ。女の子のラオネ。重たいけれど、お腹からちょっとどいてほしいなあと思わなくもないけれど、だけどそんなことがどうでもよくなってしまうぐらい、愛くるしい顔をしている。


「ラーオネ」


 顔を両手で包み込むように撫でると、ラオネは瞳をとろんとさせて『くるくる』と喉で鳴いた。

 不思議なものだと思う。あたしがもやもやとしたものを抱えていても、この子と一緒にいるときだけは本当に気持ちが安らぐのだから。――とか言うとナゴや他の子に怒られちゃうか。猫と一緒にいるときだけは、に訂正しておこう。


「あっ、ラオネ。もういいの?」


 あたしはまだ撫で足りないのにラオネの方はもう満足したらしく、お腹から枕の上にもふんと飛び乗り、枕からラグへ、そしてそのまま部屋の入り口まで駆けていくと、カリカリと扉を引っ掻き出す。


「まだ撫でさせてほしいんだけどなあ。出ていきたいの? 出ていっちゃうの?」

『にゃおーん』


 残念。どうしても出ていきたいらしかった。

 扉を開けるとラオネが猛スピードで階下へとおりていき、あたしは今度こそ本当に部屋の中に一人となる。

 ダメだ。このままじゃまたさっきのこと――鮫島さんのことを考えて、暗鬱な気分に陥りそう。

 せっかく少し気分が落ち着いたのに、また沈み込むのはさすがに嫌だった。だからそうならないようにと思考を巡らせた結果、あたしはにゃか女のナゴに会いに行くことにした。一昨日の終業式の日に会ったばかりだけど、まあいいよね。きっとナゴももうあたしに会いたがっている。うん、間違いない。

 もう冬休みなのだから別に私服でもいいのだろうけど、部屋を見回したときにぱっと目に映ったのが制服だったから、あたしは制服を着てにゃか女に向かうことにした。


「あっ、サラちゃん。おはよう……って、あれ? 制服なんて着て、にゃか女に行くの?」


 あーあ。制服姿で階下におりたらお母さんと鉢合わせしてしまった。あたしの姿を見るなりにこにこと笑顔なんて浮かべちゃって、自分の髪を掻きむしりたくなってくる。

 お母さんの腰元で揺れるウェーブがかった黒髪に視線を落としてから、あたしは「うん」と頷いておいた。


「そっか。行く前にお昼ごはん、食べていかない?」

「あー、いらない。どこかで適当に食べるから」

「そう、わかった。じゃあね、とにかく車や知らない人には気をつけて――」

「小学生じゃないんだからさあ、そんなことわかってるってば。もう、行ってくるから」

「ごめんごめん。はあい、行ってらっしゃーい」


 ああ、もう。お母さんはホントに甘い。あと、あたしのことまだ小学生かなにかだと思ってる。

 玄関先までついてこようとするお母さんを全力で拒否して、それからあたしは家を出た――ら、なぜだかそこにあたしと同じ制服姿のモモが立っていた。


「おおぅ!?」

「いや、おおぅって。なあに? なんでモモがここにいるの? っていうか、いつから?」

「質問が多いんだよ!」


 多いって言われても、ねえ。色々と気になることがあるんだから、しょうがないじゃんか。

 モモの瞳をじっと見据えると、うっ、と声を詰まらせてモモが上体を仰け反らせる。

 ああ、リンゴほっぺが。リンゴほっぺが真っ赤だよ、モモ。あと、今日も前髪をヘアゴムでちょんまげにしちゃってさ。相変わらず噴水みたいだよねえ、それ。


「さっ、更紗こそ!」

「うん?」

「『うん?』じゃなくて! ……更紗こそ、どうして制服着てるんだよ。わたしはあれだ、部活があると思ってにゃか女に行ったら今日は休みだったパターンっていうか……」

「え、めっちゃダサいじゃん」

「んがーっ!」

「痛い痛い、頭叩かないでよ! ちょっと、それ結構本気で痛いから!」

「おまえはなんで制服なんだよ!」


 猛獣みたいに歯を剥き出し、叫ぶような声でモモが問うてきた。

 まっすぐ家に帰らずあたしの家の前にいた理由と、それからいつぐらいからここに待機していたのかって理由をまだ聞いていないけど、とりあえずそれを聞くのは後回しにして素直に答えておくことにする。


「にゃか女に行こうと思ったんだよ。ナゴに会いにね」

「あー……ナゴか。でも更紗、家にラオネがいるだろ?」

「いるけど、ラオネじゃなくてナゴに会いたくなったの」

「ふーん。……でも、なんで制服なんだよ。冬休みなんだから私服でもいいじゃんか」

「ぱっと目についたのが制服だったから」

「女子っぽくないなー」

「モモこそ。部活やってる生徒はジャージ登校オッケーなのに、わざわざそうやって制服で登校してるのって古武さんの前で女の子っぽく振る舞いたいからだよね? その古武さんがいなきゃほいほいジャージで登校してるくせに。っていうかモモさ、あたしより女子っぽくないじゃん。性格とか」

「うるっさいな!」

「で? いつからここに待機してるの? まっすぐ家に帰らずあたしんちに寄った理由はなに?」


 あっ、あたしから目を逸らした。


「……おまえが冬休みで暇してるんじゃないかって思ったんだよ。だから寄ってやったんだ、ついでに。ついでにだぞ!」

「そう、ついでにねえ。それで、いつから?」

「にゃか女に行くんだろ、更紗」

「いや、行くけどね。行くけど、いつからここに――」

「しょうがないなあ。猫がダメなわたしだけど、今日だけおまえに付き合うよ。ほら、行くぞ!」

「ちょっと、モモ!」


 ぐいっとあたしの腕を引っ張って、それからモモが足早に歩き出す。

 結局いつからモモがあたしの家の前に待機していたのかは、聞き出すことができなかった。

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