第3章

第3章―1

 県道沿いの歩道を歩いていた。自分の家がある方角にではなく、それとはまったく逆方向に向かって。


「更紗、もう帰った方がいいって。わたしたち」


 にゃか女の正門を出て十五分ほどが経っただろうか。そこそこ大きなドラッグストアの前を通り過ぎたとき、あたしにこしょこしょと小声でそう言ってきたのは左隣を歩くモモだ。


「どうして?」


 あたしはモモに問う。いつもよりもワントーン高い自分の声。自覚はしているけど、でも抑えることはできない。だってあたしは今、とてもわくわくしているのだから。

 まあ、モモはそういう感じじゃないみたいだけど。


「どうしてって。もう……おまえ、ホント空気読めよ。ヤバいじゃん。鮫島さんはよくわかんないけど。古武さんの顔とか、なんか空手やってるときより険しい感じになってるし」

「ふうん、そうなの?」

「そうなんだよ! どうしてくれるのさ、この一件で更紗は古武さんの中のブラックリスト入りだぞ。そこにほら、わたしの名前まで加えられたら――」

「んー、そもそもあたしさあ。モモに一緒に来てくれなんて頼んでないし。古武さんだって勝手についてきただけじゃん」

「更紗のアホぅ!」

「いった!」


 バシン、と背を叩かれた。思わず声が出て、叩かれた部分がじわりじわりと痛み出す。

 いやいや、でもね。あたしのことアホだとかなんとかってモモは言ってくるけどさ。あたしからしたら実際そうなんだよ。どうしてモモも古武さんも部活の練習を休んでまでついてくるかな。ただの友達ってだけで。あと、二人ともあたしと鮫島さん以上に深刻な顔しすぎだから。

 ――と、あたしとモモの前を歩く古武さんがちらりとこっちを振り返ってきた。


「ご、ごめんなしゃい! うるさくしちゃって……」


 古武さんの視線に気づいたモモがすぐさま謝る。そのモモには穏やかな笑みを見せる古武さんだったけど、あたしに目を向けるときは笑う素振りを一切見せない。この感じだとモモがブラックリスト入りすることはないんじゃないかな。あたしはまあ、残念ながらだけど。


「目崎さん、向笠さん」


 あっ。今の今まで黙り込んでいた鮫島さんが、ここにきてようやく声を発した。


「うん、なあに?」


 さて、彼女が今からなにを言うのだろうかとあたしの声は期待に一層弾む。


「あの交差点を渡ったら、もうすぐ家につくわ」

「そっか。ふふ、すっごく楽しみ」


 どうということもない、それはただの報告だった。だけど、そんなものにもあたしは胸を高鳴らせてしまう。

 鮫島さんはどんな家に住んでいるのだろう。

 お父さんやお母さんはどんな感じで、二人に対する鮫島さんの態度は?

 鮫島さんがどんなものを好むのかは、部屋を見たらわかるかな。

 交差点の横断歩道を渡り、それからすぐ右に曲がるとやや狭い路が視界に飛び込んできた。鮫島さんと古武さんはその路に向かう。あたしとモモも、二人のあとについていく。

 路の両脇には家が立ち並んでいた。それは古い木造建てであったり、或いは比較的新しく建てられたのだろうと予想できる鉄筋コンクリートのものであったりするのだが、その中に一軒、どことなく寂寥たるものを感じさせる、薄汚れた二階建てアパートが紛れていた。そして鮫島さんはそのアパートの前に立つと、「ここよ」と一言告げる。


 ――ホントに住んでるの? 鮫島さんが、ここに?


 あたしはモモに視線を向けていた。モモもあたしに目をやっていた。

 互いの視線が交わって、互いに正しく心の内を理解したのだと思う。

 けれど、鮫島さんの足はやはりアパートへ向かっていくのだ。古武さんもこれが当たり前だといった感じで鮫島さんのあとに続く。

 あたしとモモはもう一度だけ顔を見合わせて、それから少し遅れて二人のあとに続いた。そんなあたしたちをアパート前にある郵便ポストの上から黒猫が一匹、不思議そうな顔で眺めていた。

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