もう、あいつのことは忘れないか?
着替えを終えたラスティは、真っ直ぐヴィオレットの部屋へ向かった。そこに寝かされているシェリルを見舞うためだ。意識は戻ったらしいだが、顔を見るまで安心できない。
それに、『ハリーがシェリルをかばった』という件についても尋ねたかった。
しかし、それを阻む者がいた。
ヴィオレットの部屋の前に、銀髪の青年が立っていたのだ。とても険しい顔をしている。
俺を待ち構えているのか、と察したラスティは、ただちに回れ右をした。
「おい」
威圧感たっぷりに呼び止められ、ラスティは逃亡を断念した。小さく嘆息して振り返ると、エドマンドはずんずんと距離を詰めてくる。
「ごきげんよう、お騒がせ男。ずいぶんと短い家出だったな」
エドマンドは金色の瞳に冷たい色を宿らせて、とびきりの嫌味を吐き掛けてきた。
ラスティはなんとなしに頭を掻いて、ヴィオレットに指示された通り答える。
「心配かけてすまない。ちょっと、街に行って……」
「ハリーのところへ行っていたんだろう?」
低い声でずばりと尋ねられて、ラスティは言葉を詰まらせた。
そんなわけないじゃないか、なにを言っているんだ、と笑って誤魔化そうかと思ったが、エドマンドはすでに確信しているようだった。
だから、こちらも覚悟を決めて
「やはりそうか……」
エドマンドの返答は短いものだったが、複雑な感情をたたえているようだった。表情も、とても硬い。
きっと彼は、ラスティを質問攻めにするだろう。なにがあったのかすべて話せと詰め寄ってくるだろう。とても面倒臭いし、言い辛いこともある。さてどうしたものか……。
「無事に帰って来たなら、いい。あまりヴィーに心配を掛けるなよ」
「えっ、あ、ああ……」
あまりに予想に反したことを言われ、ラスティは面食らった。
だが、エドマンドの表情は相変わらず強張っており、なにか思い詰めているように見える。絶対に、心中穏やかではないはずだ。
なにを考えている、と緊張しながらエドマンドを窺ったが、彼はラスティの横をすり抜けて行った。
「どこへ行くんだ?」
「帰るんだ」
返事は
「ぼくも家に帰って休む」
「あ、ああ……じゃあ、またな」
呆気に取られながらもなんとかそれだけ絞り出すと、エドマンドは足を止め、少しだけ顔を見せる。しかし、彼の金色の目がラスティを映すことはなかった。
「ああ、また……いつか」
エドマンドはそれだけ言って、足早に歩み去って行った。
***
エドマンドのことを気に掛けながらヴィオレットの部屋へ入ると、真っ先にシェリルの姿が目に入った。寝台の上で身を起こしており、ラスティを見て静かに微笑む。
ここまで回復したのか、とラスティは胸をなで下ろし、笑みを返した。
しかし、ヴィオレットはどこへ行ったのだろう。絶対にここにいると思ったのに……と首をかしげながら寝台へ近付くと、シェリルが小声で『お静かに』と言った。
疑問符を浮かべながらシェリルの視線を追うと、シーツが不自然に膨らんでいた。
ヴィオレットだ。ベッドに潜り込んで眠っている。シェリルの太腿に頭を乗せており、まるで母に甘える子どものよう。深い呼吸を繰り返しており、熟睡しているのだとわかった。
昨日から泣いて叫んで、心身共にさぞ疲れていたことだろう。ようやく、安眠できる時が訪れたのだ。
シェリルは慈母のように微笑みながら、ヴィオレットの頭を撫でている。
「重くないか?」
「ええ」
柔らかく
「ラスティ様、申し訳ございませんでした」
予期せぬ謝罪の言葉に、ラスティは目を
「なんで謝るんだ?」
「わたくしがもっと強ければ、もっと思慮深ければ、皆様方にご迷惑をお掛けせずに済んだはずです」
シェリルは眉を歪め、くちびるを噛む。悲しんでいるのではなく、悔しがっているようだった。
「それは俺にも言える。俺がもっと上手に立ち回っていたら、シェリルもエドマンドも、ヴィーも傷付かなかった」
そもそも、ラスティが迷子にさえならなければ、ハリーとエドマンドたちが出会ってしまうことはなかっただろう。
彼らの戦いを黙って見ていればよかったのに、ラスティはハリーとエドマンドの間に割って入った。結果、眠らされて人質となった。救いようのない大間抜けだ。
さらに、ラスティは自己満足のためだけにハリーの元へ乗り込んだ。結果、ヴィオレットの古傷をこじ開けた。
「ラスティ様……。ハリーの元へ、行ったのですね?」
断定するように尋ねられ、ラスティは非常にきまりの悪い思いをした。せっかく朝方に忍んで出ていったのに、なぜだかみんなに見透かされている。
もはや嘘をついても仕方ないため、観念して『ああ』と答える。
「そうですか……」
シェリルもエドマンド同様、それだけ言ったきりなにも尋ねてこなかった。けれどやはり、顔いっぱいに複雑そうな感情をたたえている。
根掘り葉掘り聞かれるのも辛いが、なにも言われないのも辛い。誰も彼も、胸にどんな思いを秘めているのやら。
「あいつ、本当にシェリルをかばったのか?」
気になっていたことを尋ねると、シェリルは険しい表情をして頷く。
「間違いありません。エドマンド様の刃がわたくしに届く寸前、身体を押しやられて……」
「どうして……だと思う?」
すると、シェリルは冷たい目をして吐き捨てた。
「さっぱり理解できません」
少女の顔が復讐者のものへと変貌していく。それは、昨日ハリーに対して見せた顔だ。
「あの裏切り者。汚らわしい人殺し。あんな
と、心底おぞましそうに身を震わせた。かばわれたことさえ汚らわしいと言わんばかりに。
ラスティは、シェリルの殺意が少しも失われていないことに驚いた。あれだけ虐げられておきながら、微塵もハリーを恐れていない。
ハリーと再会することがあれば、シェリルはまた我を忘れて襲い掛かるだろう。圧倒的な実力差があっても、彼女は復讐者であり続ける。それを望んでいる。
ラスティの胸はきりりと痛んだ。いても立ってもいられず、シェリルの前に
「シェリル、もう、あいつのことは忘れないか?」
「えっ」
シェリルは相当
「ラスティ様……」
「勝手なことを言っているのはわかってる。でも……」
ラスティはシェリルを真っ直ぐ見据えて続ける。
「でも俺は、ヴィーとシェリルと、三人で平穏に生きていきたい。誰にも、傷付いて欲しくない」
思いの丈をぶつけると、シェリルは目をぱちくりさせてから、困ったように笑った。
「そんなふうにお願いされたら……『はい』と答えるしかありませんわね」
「ありがとう」
ラスティは、神に祈るようにうなだれた。
グスッと、どこかから
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