お嬢さん、あとをよろしくね

 真っ先にハリーに駆け寄ったのは、フレデリカだった。

 いつの間にか姿を消していたため、主人の元にでも逃げ帰ったのかと思っていたが、隠れていただけのようだ。

 ラスティはハリーの胸の上に陣取る犬を慌てて退けた。


 フレデリカはハリーの顔を覗き込み、具合を確認し始めた。強張っていた表情が緩んでいくさまを見るに、特段重傷というわけでもないようだ。

 ラスティはおずおずと少女に声を掛ける。


「フレデリカ……あとを頼んでいいか?」

「わかったわ」


 意外にも、少女はラスティの目を見て毅然と返答してくれた。ラスティを非難するような色は一切ない。それでも言わずにいられなかった。


「こんなことになって、すまない」


 かつてフレデリカは言った。ハリーと仲良くして欲しいと。その願いは、もう二度と叶うことはないだろう。

 少女は寂しげに笑い、首を横に振る。


「いいの、仕方ないわ。…………この馬鹿」


 最後の台詞は、ハリーへと向けられていた。青年はただ、虚ろな目で天を仰いでいる。怨言や雑言を吐く気概さえないようだ。


「ヴィー、帰ろう」


 嫌だと言われやしないかと怯えながら促すと、ヴィオレットは目を伏せ『ええ』と答えた。名残惜しいのか、それとも疲れているだけなのか、やはりわからない。


 不安を抱えたまま、ラスティは犬を近くに招き寄せる。尻尾を振らせ、首をかしげさせてみたら、主人に懐く忠犬そのものだった。真っだけれど、まぁまぁ可愛いのではないか。

 だが、出現させているだけでけっこう気力を使う。軽い倦怠感を覚え始めていた。


「この犬、置いて帰ってもいいかな」


 軽い気持ちでヴィオレットに尋ねると、みるみるうちにまなじりが吊り上がっていく。


「愚か者!」


 厳しい叱咤にラスティは身を竦ませた。


「そこいらに放置しては絶対にダメだ! カルミラの民の血は、土地と植物に重大な影響を及ぼす。連れ帰って、うちの裏庭に撒け」

「へぇ、そうなんだ?」


 素直に感心していると、ヴィオレットはさらに不機嫌になった。


「庭の花に私の血を吸わせているとき、説明しただだろう?」

「そ、そうだっけ?」

「力が覚醒した以上は、『知らなかった』ではすまないことは多い。いろいろと教えてやるから、くれぐれも留意しておけ」

「わ、わかった」


 尊大な物言いに気圧けおされたが、これぞいつものヴィオレットだ。ラスティは胸のつかえが下りたような気分になり、ほっと息を吐いた。

 一時はどうなることかと思ったが、無事に二人で帰還できそうだ。

 運搬のため、犬を抱き上げると、思いのほか軽かった。だが冷たくて硬い。抱き心地は最悪だ。


「お嬢さん」


 ヴィオレットがフレデリカへ小さく声を掛けた。少女は弾かれたように顔を上げる。


「……あとをよろしくね」

「しかと承りました、美しい御方」


 頼もしい返事を受けて、ヴィオレットは柔らかく微笑んだ。そして、白い霧に姿を変え、ふわりふわりと飛んでいく。


 ラスティは霧になる前に、もう一度ハリーとフレデリカをかえりみた。

 青年は微動だにしなかったが、少女はうつむいて泣いていた。はらはらと、大粒の涙をこぼしている。

 ずきりと胸が痛んだが、どうすることもできない。複雑な思いを抱えながらも霧となり、ヴィオレットを追った。 


***


 マクファーレン邸へ帰還してすぐ、裏庭の一角で犬を液体に戻した。血はゆっくりと地面に染み込んでいき、やがて跡形もなくなる。


「近いうちに、ここになにか植えればいいわ。お前の血を吸って、よく育つでしょう」


 ヴィオレットの声は穏やかだった。まるで何事もなかったかのよう。口元に微笑を浮かべており、いずれここに咲く花々の美しさを想像しているようだった。


 『大丈夫か?』と声を掛けようか迷ったが、意味のない質問だと思い、飲み込んだ。内心でなにを思っているかはわからないが、ヴィオレットはラスティと共に帰ってくれた。ハリーにすがり付いて別れを惜しむこともしなかった。これで良しとしなければ。

 ヴィオレットが平然と振る舞うことを望んでいるのなら、ラスティもそれにならわなくてはならいだろう。


「そういえば、エドマンドはどうしているんだ?」


 ラスティはふと気になったことを尋ねた。


 ヴィオレットが単身ハリーの元へ乗り込むことを、エドマンドが黙認したとは考えにくい。もしかして、暴力的手段でエドマンドを黙らせたのでは、なんて思ってしまう。


「シェリルを看てくれている」

「よく独りで行かせてくれたな」

「行き先は告げずに出てきたから。ただ、お前を探しに行くとだけ言って」

「そうか……」


 どうも腑に落ちず、ラスティは首をかしげた。やはりエドマンドがヴィオレットを単身で外出させるとは考えにくい。平時ならともかく、あんなに取り乱していたヴィオレットを放っておくなんて。

 だが、エドマンドもずいぶん疲れていたようだし、シェリルの看護を任されたら従うしかなかったのかもしれない。


「エドになにか聞かれたら、街をぶらぶらしていたとでも答えておけ。あと、さっさと服を替えて来い」


 ヴィオレットの口調は、すっかり男性的なものに戻っていた。シェリルの部屋で話をしたときも、ハリーに己の想いを語っていたときも、女性らしい柔和な口調だったのに。


 一体どちらが、真のヴィオレットなのだろう。

 胸に広がる暗い感情を、無理矢理に払った。

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