私は姑息で、粘着質で、執念深い

 深紅の槍を振りかぶったハリーだったが、不意に、その動きが止まった。

 右脚から這い上がってきたなにかが、彼の腕を緊縛したからだ。


 それは深紅のいばら

 ところどころに、小さな葉とつぼみがついている。もちろん、すべてが赤い。 

 長く長く伸びた茨は長蛇ちょうだのようにうごめき、ハリーの腕だけでなく、胴と両脚をも締め付けた。


「いつの間に……」


 ハリーの手から槍が落ちた。

 とげはさほど鋭くなく、ハリーの皮膚を傷付けるには至っていないようだ。それでも無数の突起物を突き立てられているわけだから、身をすくめずにはいられないだろう。


「怯えているだけだと思えば、まったく抜け目のない女だ」


 ハリーは口元に冷笑を浮かべ、ヴィオレットを睨む。

 そこでようやくラスティも思い至った。ハリーの身体に巻き付いている深紅のいばらは、ヴィオレットの血で造られたものなのだと。

 よくよく見てみれば、茨から生える葉っぱの形状には見覚えがある。マクファーレン邸の庭に咲くサンザシだ。


 エドマンドやハリーの作る剣槍と違い、『武器』と呼ぶには相応しくないかもしれないが、ヴィオレットがその気を出せば、棘を肉に食い込ませ、鋭い苦痛を与えることが可能だろう。それをしないのは、かつて愛し合った男への情けだろうか……。


「ヴィオレット、君の技はこんななわのような使い方をするだけのものではなかっただろう。棘の一つ一つが凶器のように尖り、また鞭のようにしなり、君を侮辱した者の皮膚をズタズタに切り裂いていたじゃないか」


 ハリーはヴィオレットの恩情を指摘し、わらった。


「神の子にかぶせられた茨冠けいかんのように、私の肉体からも血を流させてみろ。苦痛を与え、あざけってみせろ!」

「そんなこと、できないわ」


 ヴィオレットは静かに首を振る。


「ハリー、お願い。黙って私たちを帰してちょうだい」


 青年は答えなかった。強く眉根を寄せて押し黙るのみ。

 しばらく、にらめっこが続いた。


「お願い……もう二度とあなたの前には現れないから」


 ヴィオレットの声は独り言のように小さかったが、血を吐くような辛苦に満ちていた。まるで、もう二度と会えないことがこの上なく苦痛だと言わんばかり。


「……好きにすればいいさ」


 ハリーは突然態度を軟化させた。薄い笑みを浮かべながらも、ラスティたちから視線を外す。

 ラスティは深く安堵し、ヴィオレットもまたほっと息を吐き出した。


 ――衝撃は、背後からやって来た。


 なにかが、高速で背中にぶつかった。──いや、突き刺さった。


 その『なにか』の勢いに圧され、ラスティは前のめりになる。倒れ伏すことはなかったが、がっくりと膝をつく羽目になった。

 患部がカッと熱くなり、遅れて激痛がやって来る。

 ラスティが呻くと同時に、ヴィオレットが悲鳴を上げた。


「ラス! ああ、ラス!」


 大丈夫だ、なんて強がる余裕は一切なかった。とにかく痛い。歯を食いしばって、痛みとそれに伴う恐怖に耐えるだけで精一杯。

 右肩甲骨のあたりと左腰に、なにか長いものが刺さっている。ヴィオレットに、『どんなものが刺さっている?』と問わずとも、おおよそ正体を理解することができた。


 ハリーの血槍けっそうだ。そうに違いない。

 彼が手にしていた槍はおとりで、本命はこちらだったのだろう。隙を見て、空中に浮かせていた。

 しかし致命傷には到底及んでいない。殺す気ならば、頭部を狙ってもよかったはずだ。


 痛みに喘ぎながら、『犯人』を窺い見る。

 彼は、してやったりと言わんばかりにくちびるを歪めていた。


 ──まだ、なにか企んでいる。


 そう察した瞬間、槍がさらに深く沈んだ。新鮮な苦痛が理性を失わせる。

 獣のような悲鳴をあげながら手を伸ばし、凶器を取り除こうと必死でもがいた。だが、掴むことができない。激痛のあまり、勝手に身体が暴れてしまうのだ。手はむなしくくうを切るだけ。


「ラス!」


 ヴィオレットが鋭く名を呼ぶ。


「私の目を見ろ!」


 峻険な声は、苦痛を一瞬だけ忘れさせた。すがるようにヴィオレットの指示に従う。

 ヴィオレットの左目が、ギラリと妖しく光った。途端、言語に絶する苦痛が嘘のように和らぐ。

 しかしパニックを起こした反動で、頭が痛み、目の前がチカチカする。深呼吸し、息を整えた。


 身体を確認してみれば、全身どころか地面も血まみれで、鉄臭さが鼻をつく。

 さらに、無意識のうちに地面を引っ掻いたらしく、爪が剥がれかかっていた。今度はそちらの痛みがラスティを責め苛んだ。


「暗示の一種か。この『瞳』は、そんなこともできるのか……」


 ハリーの感心したような声が聞こえた。だが表情は至極不満そう。最上の見世物スペクタクルを邪魔されたようだった。


「ハリー……これを消してちょうだい」


 ヴィオレットが悲痛な声で懇願する。


「私に頼まずとも、自分で抜いてみたらいいだろう。君の力なら、容易なはずだ」

「……ハリー」


 この世の終わりがきたようなヴィオレットの声を聞いて、ラスティははたと気付く。抜くことができない理由があるのだ、と。

 それはきっと、ラスティにとってとびきり不都合で、とびきり残酷な理由なのだろう。


「今度の槍には、かえし・・・をたっぷりつけてみたんだ。抜けにくいようにね。きれいに取り除きたいのなら、肉を切開しないと」

「いやらしいことを……するもんだな」


 ラスティはぼやかずにいられなかった。軽口でも叩かないと、恐怖に押しつぶされてしまいそうだったから。激烈な恐怖や苦痛は人間性を喪失させると、今までの経験から身に沁みている。


「そうだな。私は姑息で、粘着質で、執念深い」


 自らの言葉を証明するように、ハリーは蛇のような視線をラスティへではなくヴィオレットへ向けた。

 ヴィオレットはいたたまれなさそうに目を伏せ、肩を震わせる。


「君のせいではない。生来、そういう性質の男だった。愛を得るために、紳士の仮面をかぶっていただけ」


 青年はいばらに囚われたまま高らかに言った。


「失うものがなくなれば、どこまででも残虐になれる。……君も、きっとそうだ」


 囁くような声のあと、ラスティの背中に灼熱感が走った。

 再度襲ってきた激痛に、ラスティは我を失って暴れる。


 槍は、沈もうとしているのではなかった。

 抜けようとしている。


 ラスティの肉を断ち裂きながら。




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神の子にかぶせられた茨冠けいかん:神の子が処刑の前にかぶせられた茨の冠は、セイヨウサンザシだと言われている(諸説あり)。またこの冠は、神の子を嘲るためにかぶせられたものである。


かえし:釣り針やもり、生物の毒針などについている逆向きの突起。獲物に刺さったあと、抜けにくくする効果がある。

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