どうしてそんなふうに、なんでもないように振る舞える?

「どうして……どうしてそんなふうに……、なんでもないように振る舞える?」


 ハリーの声には様々な感情がみっちりと詰まっており、今にも破裂しそうだった。

 ラスティは緊張をみなぎらせながらハリーを見る。彼は、怒りとも悲しみともつかないものを顔いっぱいに浮かべ、わなないていた。


「私を、恨んでいないのか……? 奪われた瞳を、取り返そうとしないのか……? この場で、復讐をしないのか……?」


 鬼気迫る様子に、ラスティは息を呑む。ハリーの傍らにいるフレデリカも怯えを見せており、数歩後退した。

 しかし、ハリーへ向き直ったヴィオレットは、口元に造り物のような微笑を貼り付かせているだけ。聞き分けのない子どもをなだめるかのように、至極穏やかに口を開いた。


「シェリルから……セーラから聞いたわ。昨日、彼女をかばってくれた・・・・・・・そうね」


 思いもよらぬ言葉に、ラスティは目を丸くする。どうやらシェリルは意識を取り戻したらしいが、それよりも彼女が語ったという『真相』に驚きが隠せない。


「エドマンドの刃から、かばってくれたのでしょう。それで、背中に大怪我を負ったそうね。だったら私は、怨言えんげんではなくお礼を言わなければ。血の剣で付けられた傷痍しょういは、従者にとって致命傷になりかねないもの。それを理解していたのでしょう」


 ヴィオレットは目を細める。仮面のように硬かった表情が、一気に柔らかくなった。

 ハリーはこれっぽっちも理解できないといったふうに、頭を横に振る。


「だ、だとしても、私は彼女を地に叩きつけ、腕をへし折ったのだぞ……?」

「確かにあなたは彼女に酷い怪我を負わせたけれど、それに対する罪咎ざいきゅうは、彼女を守ってくれたことで帳消しにしましょう」


 ヴィオレットの言葉の中には、ほんのわずかな怨恨さえ存在していなかった。心の底から感謝をしているようだった。


 ――やはりそうか、とラスティは思う。

 やはり、ハリーにはシェリルを殺す気など毛頭なかったのだ。ただ傷付けて、憎しみを生みたかっただけ。


 しかし同時に悔しかった。ヴィオレットは、ハリーの胸裏をするりと言い当てた。まるで、『あなたのことならすべてわかっている』と言わんばかりに。


 たとえ致命傷を避けたとはいえ、ハリーがシェリルに重傷を負わせたことに変わりない。

 にもかかわらず、ヴィオレットは決して激昂しない。とびきり気性の荒いヴィオレットが、一切の憤怒を見せることがない。グレナデンやエドマンドに対しては、ひどく感情的に食って掛かったというのに。


 ハリーの存在は、未だヴィオレットにとって『特別』なのだ。そのことを、まざまざと思い知らされた。

 暗鬱な気分になったラスティは、ただうつむくことしかできない。


「私が聞きたいのは、そんな戯言たわごとではないっ!!」


 ハリーの怒号が、空気を震わせた。

 ラスティははっと顔を上げてハリーを見遣る。彼は、まなじりを裂いて、打ち震えていた。これまで彼がラスティに見せたどんな怒りよりも、一等激しく猛っていた。


「十人もの従者を殺し、右目を奪っただけでは足りないか? セーラを襤褸ぼろ布のようにしただけでは足りないか?」

「……ハリー」


 憎悪のたぎる目で射抜かれたヴィオレットは、弱々しく青年の名を呼んで胸を押さえた。『宵闇の女王』と呼ばれる女の面には、わずかな恐怖と、強い悲哀が浮かんでいた。


 凍て付くような、そして燃え盛るようなハリーの目がゆっくりと動き、ラスティを捉えた。

 ばちりと目が合った瞬間、凄まじい恐怖に全身がぶるりと震え、次いで足がすくむ。

 かつて戦場で、砲弾の直撃を受けたときより恐ろしかった。真っ向から飛んできた砲弾が着弾するまでの寸秒、身を凍らせるような恐怖を感じたが、そのときより遥かに心胆を寒からしめた。

 砲弾自体には殺意がなかったが、眼前の青年には明確過ぎるほどのそれがあったからだ。


「ならば、その男がいなくなれば、君は私を未だかつてないほど憎み、恨むか?」


 ハリーの掌中に、深紅の槍が生まれる。彼に宿る殺意を反映したかのように、ひどく禍々しい色をたたえていた。鋭く尖る先端部には、憎悪がこれでもかと凝縮されているようだった。


「やめてぇ!」


 最初に叫び声をあげたのはフレデリカ。しかし――。


「どけ!」


 昨日はあれだけ傷付けないようにしていた少女を、ハリーは力のままに突き飛ばした。

 尻餅をついたフレデリカは、そのままガタガタと震え出す。手を出されたことがショックだったのではなく、ハリーの凄絶な噴気にあてられ、縮みあがっているようだった。


「だめ、だめよ!」


 ヴィオレットは悲鳴にも似た声を上げ、ラスティにしがみ付いてきた。ハリーの殺意から守るように。


「どうして、どうしてハリー!」


 半狂乱の叫び声。それは昨日、満身創痍のシェリルを見たときと同じ反応。


「どうしてだと? 復讐さえできぬ、軟弱な『宵闇の女王』を奮起させるためだ」


 ハリーは槍を逆手に構えた。昨日の半分ほどの長さしかなかったが、それでも全力で投擲とうてきされれば肉体を貫通するだろう。


「ああ……ハリー……」


 ヴィオレットは絶望感をたっぷり滲ませて嘆く。


「ヴィー、俺から離れろ……」


 かろうじて我を取り戻したラスティは、ヴィオレットを背後へ押しやろうと試みた。だが彼女は、ラスティの両腕を掴んだまま、びくともしない。恐怖に震えながらも、強固な意志でラスティを守ろうとしてくれている。


 その心遣いは嬉しいが、女の身体一つ動かせぬ自分がとことん情けなかった。

 体格や筋肉量など、本気を出したカルミラの民の前ではなんの意味もない。『なりたてほやほや』のラスティと、『宵闇の女王』の名を冠するヴィオレット、二人の間には、圧倒的な実力差があるのだと痛感した。

 『超越者』などというたいそうな名は、この場ではただのお飾り。ラスティは未だ、ヴィオレットに庇護される立場にしかないのだ。


「君の痩身では、その無駄にでかい男の全身は守り切れないよ」


 酷薄な声と共に、ハリーは槍を振りかぶる――。

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