そんな男が、君の好みだったか?

 おぞましい音を響かせながら、二本の槍が飛び出していく。

 湯のように熱い液体がラスティの半身を赤く汚し、飛び散った肉の破片が頬に付着した。


 ラスティの咆哮とヴィオレットの叫喚が混ざり、椿の咲く庭に不協和音となってこだまする。そこに、ハリーの禍々しい笑声が混ざった。


「以前の女たちはできる限り一息に殺したが、今回はどうだ? のたうつ男を見ても、怒りさえ湧いてこないか?」

「どうして、どうしてハリー……」


 ヴィオレットは消え入りそうな声で問い掛ける。


「君がいけない。君がすべて悪い」

「そんなのわかってるわ……でも……でもぉ……」


 ヴィオレットはそこで言葉を詰まらせ、へたり込んだ。そのまま無力な子どものように啼泣ていきゅうを始める。


 ラスティは泣くヴィオレットの傍らで激しく身悶えしていたが、やがて暴れる体力を失い、地に伏せった。身じろぎするだけで、何本もの刃を突き立てられたかのように痛むため、微動だにできない。


 視界に映るのは鮮烈な赤。まさしく血の海。そこに浮かぶ桃色の肉片。

 ──とても、見慣れた光景だ。

 もう二度と、あんな地獄は見なくて済むと思っていたが……。

 人生ってやはり、ままならないものだ。


「ラス……」


 消え入りそうなヴィオレットの声。ラスティはほんの少しだけ首をもたげて、女の様子を窺った。

 彼女は、ラスティの血にまみれながら泣いている。大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、ラスティをじっと見つめている。


 きれいだ、と思った。自分のために泣いてくれる女の、なんと美しいこと。頬に伝う涙の、なんと輝かしいこと。

 酷痛に喘ぎながらも、ラスティは陶酔した。


「どうして、泣くことしかできない?」


 ラスティを現実へ引き戻したのは、ハリーの峻険な声。無力なヴィオレットを責め立てているようだった。


「君がそこまで弱い女だったとは、ついぞ知らなかった」


 ──そんなことも知らなかったのか。愛されていたくせに。

 ラスティは薄ぼんやりと考える。

 ──ヴィオレットは弱くて涙もろい、普通の女だ。こんな惨状に耐えられるほど強くないんだ。


「私を憎め。殺しに来い」


 挑発するようなハリーの声に、ヴィオレットはぎゅっと瞼を閉じた。涙の粒が周囲に散る。憎むことも殺すことも絶対にできはしないと、彼女は全身で示していた。


 わからず屋め、とラスティは内心でハリーを罵る。

 ──俺は言ったはずだ、ヴィーは恨み言など一言も漏らさなかったと。

 今までわずかたりとも憎しみを抱いていなかったのに、たかだか俺ひとりが傷付けられたくらいじゃ、足りないだろう。


「そういえば……ヴィオレット」


 ハリーは唐突に声のトーンを落とした。


「その男……君の血を飲んで蘇ったと言っていたが、本当か?」


 低く暗い言いぶりの中には、不愉快そうな響きと、なぶるような色があった。まるで悪辣な尋問官のように、ヴィオレットへ真偽を問うている。


 ラスティは深く後悔した。口外してはならぬと言い含められた事実を、『敵』へ告げてしまったことを。


 ヴィオレットは目を見開いて震えている。真実を告げるか、嘘をついてやり過ごすか、逡巡しているようだった。

 けれど後者を選択するには、もう遅い。否定するのなら、すぐさまするべきだった。沈黙こそが、肯定となってしまった。


「本当にその男は、猛毒であるはずのカルミラの民の血を飲んで──『超越者』となったというのか?」

「だったら……どうしたというの」


 ヴィオレットは引き絞るようにそれだけ答えた。ショールを握り締めて、ハリーの反応をびくびくと窺っている。

 ラスティの耳に届いたのは、ハリーの短い笑声。


「だったら、殺しても構わないだろう」


 冷酷極まりない宣告に、ヴィオレットは詰まったような悲鳴を上げた。


「どう、して……」

「従者でないなら、殺したところで君の心に大した傷を負わせられない。だが、生かしておけば私のかんに障ることばかり言う。要するにそいつの存在が気に入らない。ここで息の根を止めれば、私の溜飲が下がる」


 言葉が進むほど、声にこもる憎しみが増大していく。それはそうだ、一方的に家へ押しかけ、言葉であおり、あげくに投げ飛ばしたのだから。ハリーはラスティに対して、さぞ怒り心頭なのだろう。


「まさか……従者でないからこそ、従者よりも大切だとは言うまいな?」


 ハリーの問い掛けは、刺すように鋭く、冷たかった。ヴィオレットは再度小さくうめく。


 緊迫した状況の中、ラスティは息を殺して耳をそばだてた。瞼をこじ開けて、傍らで震えるヴィオレットの表情を観察する。ハリーの問いに、彼女がなんと答えるのか、大いに関心があった。

 もし彼女が、『従者よりも大切』と答えたら、もうこの場で死んでもいいとさえ思った。


 しかしハリーはヴィオレットの返答を待たず、質問を続ける。


「血を与えたのは、一度きりか? もしくは、定期的に吸わせているのか? プライドの高い君が、そんな下郎にむざむざ首筋をさらしていると?」


 いやに早口だった。些細なとがをあげつらって、ねちねちと詰責きっせきする上官のようないやらしさを感じた。


「そんな男に? 粗野で無作法な男が、君の好みだったか? 私と正反対の男を選んだだけか?」


 ずいぶんとこき下ろされたものだなぁ、とラスティはわずかにくちびるを吊り上げた。

 実際のところ、たまたま生き残ったラスティが『粗野で無作法』だっただけだ。並み居る男たちの中から選出されたわけではない。

 ラスティの脇で死んでいたフレッドの方がずっと男前だったし、半身を吹っ飛ばされたミゲルは教養があって話し上手だった。そいつらが生き残っていれば、ハリーのお眼鏡に適ったのだろうか。ヴィオレットの心をもっと癒してやることができたのだろうか……。


 詮無せんない思考だとわかっている。

 けれど、『選ばれた男ではない』という事実は、ラスティの心を沈ませた。

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