もはや、何人殺しても同じ

 エドマンドは、マクファーレン邸の応接室の隅にうずくまり、頭を抱えて震えていた。

 胸に渦巻く自己嫌悪が、立ち上がろうとする気力を奪い続ける。


 シェリルは大丈夫だろうか。ヴィオレットは泣いているのだろうか、怒っているのだろうか。

 約束を反故ほごにしたエドマンドのことを憎んでいるだろうか……。


 ――憎んでいるに、違いない。


 込み上げてきた嗚咽を必死で飲み込む。

 今のエドマンドには、泣く権利さえない。頭を平静に保ったまま状況を見届け、ヴィオレットから与えられるあらゆる負の感情を真っ向から受け止めねばならない。


 腕に爪を立てて耐えていると、扉が開き、誰かが入室してきた。

 ヴィオレットだろうか、と恐る恐る顔を上げると、予想に反し、金髪の美丈夫が立っていた。エドマンドの姿を認めると、驚いたように数度まばたきしてから近寄ってくる。


「かのアーサー・ギャリー・オルドリッジの子息が、なんというさまだ」


 呆れたような物言いに反して、グレナデンの表情は労わりに満ちていた。


「あの娘はもう大丈夫だ。君も自邸へ戻って休みなさい」


 グレナデンの率直な優しさが余計身に沁みた。


「ほんとうに……あなたには世話になって……。この御恩をどのようにお返ししたらいいか……」


 声を震わせながら言うと、グレナデンは首を横に振った。


「先刻も言ったが、我々が様子を窺っていたせいで傷付かなくていい者が傷付いた。責められるべきは我々だ」

「し、しかし……」


 エドマンドは意を決して立ち上がったが、ふらりとよろめいた。痛みよりも、疲労で足腰が萎えている。

 すかさずグレナデンが支えてくれて、椅子に座るよう勧められた。

 厚意を素直に受け取ることにし、座面に重い腰を落とす。途端、瞼も落ちかけたが、頭を振って眠気を飛ばした。


「こちらの方が良かったか?」


 対面のソファに腰掛けたグレナデンが気遣わしげに問うてくる。

 エドマンドが固い声で『いいえ』と答えると、やれやれといった様子で嘆息されてしまった。


「恩を返せと迫るなら、マクファーレン相手にする。君や、オルドリッジ家に見返りを求めるつもりは毛頭ない」

「でも……」


 エドマンドが視線で追いすがると、グレナデンは痛ましげに眉根を寄せた。少し迷った素振りを見せたあと、ゆっくり口を開く。


「どうしてもと言うなら……少し聞いてもいいか」

「なんなりとお聞きください」


 陪審員の前に引き出された罪人のような気分でうなだれる。どんな質問にも嘘偽りなく答えようと。


「君たちは迷子の従者を探していたはずだろう。だがなぜあの場で、ハリー・スタインベックと会敵した?」


 そういった質問がやってくることは予想通りだったが、『なぜハリーと出会ったか』と問われると、ただの偶然としか答えようがない。


「……わかりません。きっかけは、ハリーが迷子のラスティを保護してくれたことでした。互いになにも知らず、本当に偶然、巡り合ったようです。しかしなぜあの街にハリーがいたのか……」


 それに関しては、ラスティに詳しい話を聞く必要がある。彼らはエドマンドのあずかり知らぬところで、親交を深めていた。

 グレナデンは『ふむ』とつぶやいたあと、質問を変える。


「では君たちは、なぜあの街にいた? ただの物見遊山ものみゆさんか?」

「いえ……。……おそらく、あなた方と一緒の理由です」


 婉曲な返答をすると、グレナデンの視線が鋭くなった。


「セントグルゼンの殺人犯の捜査か?」


 エドマンドがおずおずと頷くと、グレナデンもまた頷いた。深く納得した様子だった。


「やはりそうか。マクファーレンが疑われているとなれば、懇意にしている君も、従者たちも、黙してはいられまい。その気持ちは十二分に理解できる」


 物分かりのいい男に、エドマンドは胸をなで下ろした。


「けれどぼくたちは、『捜査』だなんて、そんな大層なことは考えていませんでした。少し現場を見て回って、なにか気付くことがあれば儲け物、くらいの感覚で……。まぁ、物見遊山と言ってしまった方が正しいのかもしれません。ラスティに街を見せて、奴の服を揃えることが主目的でしたから」


 ただ『現場を見たい』というシェリルの要望に応えただけ。

 エドマンド自身は、ヴィオレットの疑いさえ晴らせれば、犯人にさほど興味はなかった。

 汚らわしい殺人鬼は、すぐに石榴館せきりゅうかんの面々に八つ裂きにされるだろうと踏んでいた。


 結局、その事件の捜査にやってきたグレナデンたちの邪魔をする結果になってしまったが。

 己の愚かしさに重い溜息しか出ない。


 テーブルに肘をついて、眉間を押さえて猛省していると、グレナデンが躊躇ためらいがちに尋ねてきた。


「……今日のことで、思い至ったことがある。ハリー・スタインベックが、一連の殺人事件の犯人ではないか、と」


 エドマンドは弾かれたように顔を上げた。グレナデンは、試すようにこちらを見つめてきている。

 年上の男の強圧的な視線は、弱り切ったエドマンドには辛かった。つい目を逸らしかけたが、なんとか踏みとどまり、己の意見を具申する。


「実を言えば、母もそう言っていました。でもぼくは、到底そうは思えないのです。あいつがどれだけ冷酷な叛徒はんとになり果てようと、無関係の少女たちまで手に掛けるなんて。そこまで堕ちてはいないだろうと」


 はっきりと告げたが、グレナデンの視線は鋭さを増した。


「しかし彼奴きゃつは、マクファーレンの従者を大勢殺害したのだろう」

「それは……」


 と、エドマンドは言葉を止めた。反論できなかったからではなく、当時の記憶が掘り起こされ、胸が激しく痛んだからだ。


 血まみれの廊下、階段。まるで庇い合うように、折り重なって倒れていた女たち。

 毒を盛られて体調を崩したヴィオレットの代わりに、『遺体』を片付けたのはエドマンドだった。

 十人の女たちだったものを丁寧に『処理』しながら、彼女たちの苦痛と無念を想った。


「ハリーがヴィーの従者たちを殺めたことに関しては、動機があります。ヴィーを憎むあまり、彼女を取り巻くすべてが許せなかったのでしょう。そして、己の境遇を憂うあまり、なにも疑うことなくヴィーに仕える女たちが哀れだったのでしょう……」


 理由は推察できるが、途轍とてつもなく身勝手だ。横暴に過ぎる。蘇ってきたハリーへの憎悪に、拳をきつく握り、肩を震わせる。

 だが、対面のグレナデンは冷静だった。


「一人二人ならともかく、五人六人、七人八人と殺せば、もう何人殺しても同じだ。良心は消え去り、無辜むこの者たちを手に掛けることになんのはばかりもなくなるのではないか?」

「な……」


 ――人を殺すことを憚らなくなる……。その台詞に、エドマンドは鳥肌を立てた。

 確かに、すでに十人殺めたハリーにとっては、十一人目も十二人目もさして変わらないのでは。


「し、しかし……。セントグルゼンで殺された少女たちは、失血死していたのでしょう。ハリーは我々と同等の力を得たとはいえ、あくまで肉体は人間。血を吸うことなどできない、はず……です……」


 懸命にハリーの弁護をする自分に戸惑い、語尾が弱々しくなった。


「失血死したように見せかけたのかもしれん。カルミラの民の犯行だと思わせるためにな」

「なぜ……そんな」

「それこそ、マクファーレンを憎むあまりに、だ。少女らを殺害しておいて、同時に『男とも女ともつかない、美しい若者』の噂を流したのでは? マクファーレンに疑いの目を向けるために」


 エドマンドは相槌さえ打てず、戦慄わななきながら眼前の男の言葉に耳を傾けた。


「実際、そのようになった。マクファーレンが人の血を吸っていないことは、一目見て明らかだったが、もしそうでなかったなら……。もし彼女が、しっかりと『食事』を摂取していたらならば、我々は疑念を確信に変えるところだった」


 グレナデンの物言いはあまりにきっぱりとしており、ゆえに彼の言うことこそ真実ではないかと思えてきてしまう。

 今まで考え付きもしなかったことを羅列され、エドマンドは慄然りつぜんと身を竦ませた。

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