処刑人

 険しい顔でエドマンドを見据えていたグレナデンだったが、不意に目を伏せ、口元を押さえた。


「すまない、口が過ぎた。憶測に過ぎないことを滔々と語ってしまった。あくまで一つの説として、頭の隅に置いておいて欲しい……。その程度のことだ」

「……はい」


 混乱した頭のまま悄然と返事をすると、グレナデンは机上で拳を握り、強固な口調で言った。


「すべてをつまびらかにするため、可能な限り、奴を生け捕りにせねばならない」

「そう、ですね……」


 生け捕りには同意する。

 だが、あのハリーがやすやすと口を割るとは思えなかった。手酷く痛めつけられれば、さしものハリーも胸の内を吐露するだろうか。

 そして、惨めな虜囚となったハリーを見たとき、エドマンドの心はすっきりと晴れ渡るのだろうか。


 ハリーの死を望みながら、彼を残酷な目に遭わせたくない、彼の口から真相を聞きたくないと思う自分がいた。

 それはひとえに、エドマンドの心が弱いからだ。闘争を嫌い、他者を労わる性格が、怨敵に情けをかけている。

 自己嫌悪に潰れてしまいそうだった。


「それに、明らかにせねばならぬことは他にもある」


 峻厳なグレナデンの言葉に、うなだれていたエドマンドは慌てて顔を上げた。


「な、なんでしょう」

「ヴィオレット・L・マクファーレンは毒を盛られたそうだな」

「え、ええ……」


 毒に冒されたハリーの血を飲み続けていたヴィオレットは、満足に立ち上がれないほどに弱っていた。


「その毒の出所を探らねばならない。それから、なぜ『片目を奪う』という凶行に出たか、どこからその着想を得たのかを、ハリー・スタインベックに問いたださねばならん」


 グレナデンの碧眼には、義憤の炎が灯っていた。エドマンドは気圧けおされながら答える。


「それは、おそらく我が家の蔵書からです。父も存在を忘れているような、古い書物がたくさんあって、従者になったハリーはよく通ってきていました。奴が事件を起こして消えたあと、何冊かなくなっていることに母の従者が気付いて……」

「その紛失した書物には、『そういったこと』が記してあったのか?」


 グレナデンの声が低く鋭くなり、エドマンドは怯んだ。


「い、いいえ、内容まではわかりません……」


 もしハリーがその書物を悪用することがあれば、それこそオルドリッジ家が責任を問われるのでは。いささか口が過ぎたか、とエドマンドは青ざめた。

 けれどグレナデンは、困ったように嘆息しただけだった。


「ならば、それも仮説だ。確信に足る情報ではない」


 その物言いが突き放すようだったため、エドマンドは思わず身を乗り出した。


「ではハリーはどこから毒を調達し、従者であることを辞める方法を探ったのでしょう?」


 やや険のある口調で言ったあと、慌てて口をつぐむ。グレナデンに問うても詮無いことだ。恩人に対し、ひどい無礼を働いてしまった。

 しかし、グレナデンもまた身を乗り出してきた。やや声を潜め、深刻な内緒話をするように言う。


「君は、こうは考えなかったか? ハリー・スタインベックには、カルミラの民の共犯がいるのではないか、と」


 エドマンドは愕然と目を見開き、声を張り上げた。


「まさか……! 誰が一体、なんの目的で……!」

「考えられるのは、宵闇の女王への憎悪だろう」


 はっきりと言われ、エドマンドはたじろぐ。


「確かに彼女はひどく専横的な振る舞いをしていました。しかし、そこまで憎まれるようなことは……」

「些細なことから、憎しみが膨らむこともある。それに、もしかしたら共犯者は、ハリー・スタインベックがそこまで大それたことを仕出かすとは想定しなかったのかもしれん」

「そんな……」


 エドマンドは背もたれに体重を預け、茫然と天井を仰いだ。

 共犯者の存在、そんなこと考えもしなかった。

 だがもしそんなやからが実在しているのなら、エドマンドが誅すべき相手がもう一人増える。エドマンドもグレナデンのように、同胞殺しにならねばならない。


 同時に醜悪な考えが脳裏をよぎった。

 まさかオルドリッジ家の者が――エドマンドの兄姉けいしの誰かが共犯者なのではないだろうか。

 次兄は昔からヴィオレットと折り合いが悪かったし、四女はハリーに熱を上げ、ヴィオレットへ嫉妬の念を向けていた。

 血の繋がった兄姉を疑いたくなどない……。彼らの誰かがヴィオレットを陥れたなんて、そんなおぞましいこと、あってはならない……。

 エドマンドはきつく目を閉じ、考えを打ち払った。


 グレナデンは、極めて冷静に言う。


「まあ、すべては荒唐無稽こうとうむけいな憶測だ。ハリー・スタインベックを捕えれば明白になる」

「……はい」


 グレナデンの言う通り、確たる証拠もなくあれこれ思案しても仕方ない。ただ、可能性として頭の片隅に留めておけばいい。

 それでも、まったくの慮外りょがいだったことをあれこれ言われ、エドマンドの思考は混迷を極めた。


 対するグレナデンは疲れたように長く息を吐き、難儀そうに足を組んだ。実状、彼も疲労困憊ひろうこんばいしているはずだ。


「どのような理由があろうと、奴を打ち捨てておくことはできない。たとえ他者の奸計に踊らされてのことだとしても、大罪人であることは変わらない。君も、その意見はくつがえらないな?」

「もちろんです」


 迷わず、エドマンドは肯定する。

 どのみち、ハリーはすぐに石榴館せきりゅうかんの者たちに捕らえられるだろう。そのとき、ハリーがどんな目に遭わされ、どんな真相を語ろうとも、エドマンドは真っ向から受け止めねばならない。あらゆる事態に備え、あらゆる覚悟を決めておかなくてはならない。


「ハリーの住処を襲撃する際は、ぼくも同行させて頂けますか」

「わかった」


 短い承諾のあと、グレナデンは低い声で尋ねてきた。


「君が、処刑人となるか?」


 瞳には鋭い光が宿り、粛然とエドマンドのこころざしを問うている。


「……そうさせて頂けるのであれば」


 謙遜がちに答えたあと、思うところあってすっくと立ち上がる。唾を飲み込んでから、グレナデンを真っ直ぐ捉え、言葉に強い意志を乗せた。


「ぜひ、そうさせて頂きたい」

「承知した」


 グレナデンも厳格な声で頷き、互いの間に凛と張り詰めた空気が流れた。


 その緊迫感を壊したのは、グレナデンの微小だった。口角をわずかに上げ、鋭利だった眼差しを和らげる。


「母親似の雅人がじんとばかり思っていたが……存外、精悍せいかんな面構えをするではないか」

「……そ、そうですか」


 エドマンドは面映ゆさに目を泳がせた。まるで父から褒められたときのように照れ臭く、また誇らしい。

 そう感じるのは、グレナデンに対して敬慕の念を抱いているからだ。彼に窮地を救われてから今までのたった数時間で築かれた敬意。

 無愛想な堅物だとばかり思っていたが、きちんと向き合って話してみれば、公明正大な人物であるとよくわかった。


「では、私はそろそろ帰宅する」


 グレナデンが立ち上がったため、エドマンドも慌てて倣う。


「本日は、本当にありがとうございました。近日中に、改めて貴邸へ伺わせて頂きます」

「うむ。明日すぐに、というのは遠慮してくれ。私も疲れているし、君も静養が必要だろう」

「……はい、お気遣いありがとうございます」


 エドマンドは何度も謝辞を繰り返しながら、グレナデンを玄関先まで見送った。

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