不機嫌な女主人

「先ほどからうるさいわ、エド」

「ヴィオレット様……」


 エドマンドの腕から抜け出したシェリルが、主へと膝を曲げた。

 屋敷の主人、ヴィオレット・L・マクファーレンが、流行のシュミーズドレスに毛織物のショールを羽織って応接間の入り口に立っていた。


 癖の強い緑髪くろかみを腰まで伸ばした妙齢の麗人。左右で色彩の違う黒い瞳を長い睫毛が隠している。長身痩躯で、その細い肩や腰は、抱きしめたら折れてしまいそう。

 久々に見る、艶麗な姿。エドマンドは頬を熱くして見とれた。だがその至福のひとときは、デリカシーの欠如した男の声で粉砕された。


「よぉ、ヴィー。起こしちまって悪かったな。風呂も後からにしてくれ」

「もういい、今はそんな気分ではない」


 冷たく言い払うヴィオレットに、ラスティは肩をすくめた。まれに彼女は男のような物言いをする。大概が機嫌の悪いときだ。


 ヴィオレットは大股で男二人の元へ歩み寄ったが、どちらにも目を向けることなく、空いた席に腰掛けて脚を組む。ムスッとくちびるを尖らせて、あからさまな不機嫌。

 朝はおおかたこんな調子なので、エドマンドも気にしないが、少し寂しい。


「ヴィオレット様。すぐにお茶をお持ちします」


 シェリルが辞儀をして去っていった。


「おはよう、ヴィー。朝早くにすまないね」


 エドマンドは元いたソファへ腰を下ろしてから笑みを作り、不機嫌な屋敷の主人に声を掛ける。


「何人いるかもわからない、お前の兄姉きょうだいの誕生会に出席する気はないぞ」


 エドマンドのにこやかな挨拶など完全に斬り捨て、ヴィオレットは低い声で吐き捨てた。いつものことながら、出鼻を挫かれたエドマンドは押し黙るしかなかった。

 不機嫌の殻に篭っているこの女を、自分の漁場に誘い出すために、慎重に言葉を選んだ。


「誕生会のお誘いなら手紙で十分だろう。君が不機嫌になるのをわかっていて、わざわざこんな朝早くに来るものか。……ヴィー、話があるんだ」


 そのとき、シェリルが茶を運んできた。話の邪魔をせぬように気配を殺しているが、ヴィオレットはエドマンドを無視して、可愛いメイドに話しかけた。


「いい香りね」

「ええ、先日パラビオの市場で買って参りました。気に入って頂けたようで嬉しいです」


 シェリルがはにかむと、ヴィオレットは妖艶に微笑んでその腕を引き、頬と首筋に口づけた。くちびるでの愛情表現に慣れているはずのシェリルも、ポッと顔を赤らめるようなしっとりしたキスだった。


「まったく、ヴィーはシェリルには優しいなぁ」


 ラスティが締まりのない笑顔で揶揄する。エドマンドもまた、羨望でいっぱいの緩んだ面をしていることを自覚して、きゅっと表情筋を引き締めた。


「お前、ひどい格好ね」


 ヴィオレットの視線がラスティへ向いた。彼は、はだけられたシャツの前を直してすらいなかった。ヴィオレットが足元に転がっていたボタンを爪先で蹴ると、磨かれた床を滑っていった。


「あー、あの綺麗な顔のお兄さんに」


 ラスティが『犯人』を指差す。その指先をたどったヴィオレットとエドマンドの視線が、今日初めてぶつかった。

 途端にヴィオレットは難しい顔をして、目を伏せた。なぜエドマンドがラスティのシャツを裂いたのか、一体なにを確認したのか、理由を悟ったらしい。


 エドマンドは、すかさず問い詰めた。


「ヴィー、この男は、何者だ」


 黙りこくる女に代わって、当事者のラスティが口を開きかけたが、シェリルが肩を掴んで制止した。やはり真相を知るには、ヴィオレットに尋ねるほかないようだ。


「君の従者ではないな? そして、我々と同族ですらない」

「エド、お前には関係のないことだ」


 女は不機嫌を貫く気らしい。彼女がエドマンドに本心を隠すようになってから、もう十年近く経つ。


「ヴィオレット様。差し出がましいこととは存じますが、このまま隠し通すのもなにかと不便でしょう。むしろ、ここでエドマンド様に全てをお話して、今後の便宜を図って頂いた方が宜しいのではないでしょうか」


 シェリルが口出しをすると、ヴィオレットは表情を緩めて『ううん』と唸った。そしてなにかに納得したように、一人で何度も頷いた。


「なるほど、シェリルは賢いわ。──ねぇエド、今後、ラスと仲良くしてやってくれない?」


 にわかに女の言葉が柔らかくなる。変わり身の早さにエドマンドは身を引いた。

 そんなに厄介な出自の男なのだろうか。


「かといって説明するもの面倒だ。エド、お前の『目』で見てみるといい」


 ヴィオレットに従って、エドマンドはラスティを真っ直ぐ見据えた。瞳に『力』を込めて、肉体の最奥に座す魂の正体を見極めようと試みる。

 不可視の力を受けたラスティは強い嫌悪を感じたらしく、腰を浮かせて逃げの体制に入る。それをそっとヴィオレットが引き止めた。


「大丈夫、害は無いから。エドマンドの視線を受け止めて、お前のすべてを教えてあげて」


 ラスティに対し、ヴィオレットは妙に優しげだ。そのことに嫉妬心を抱きつつも、エドマンドはラスティの魂を視認した。


 『人間』でもなく、『亜種』でもない。その正体はむしろ、自分たちと同じ『カルミラの民』と酷似していた。

 ――だが違う。


 『カルミラの民』の姿は、人間によく似ているが、わずかに尖った耳と日に焼けることのない白い肌は固有のものだ。ラスティにその特徴は見られない。


 はて、と銀色の眉をひそめたエドマンドだったが、唐突に理解した。

 あまりの驚愕に立ち上がり、声を震わせその正体を呼ぶ。


「超越者……だと……?」


 ヴィオレットを見遣ると、形のよい紅唇をにやりとつり上げていた。




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シュミーズドレス:シュミーズ=下着

コルセット、パニエ無しで着用するナチュラル志向の薄手ハイウエストドレス。素材は主に木綿。

ナポレオン時代に流行したため、エンパイア(帝政)ドレスとも呼ばれ、現在にもウエディングドレスなどにその形が残っています。

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