(6)dreamer side

 かさかさかさっ。

 茶封筒から夢乃さんが書いてくれたメモ紙を抜き出す。それを開く前に、一度大きく深呼吸をする。


「ふうううっ」


 もし具体的な場所だったら、すぐにどこそこですと言ってくれたはずだ。そうじゃなく、俺自身がどういう状況にあるのかを書いてくれたんだろう。俺は激しくどつぼってたから、ろくでもないものしか視えなかったはず。それで、後で読んでくれって言ったんだ。ショックを受けるかもしれないから、見るかどうかも含めて慎重に考えて欲しい……そういう配慮なんだろう。さすが気配りできる課長の娘さんだなあと、改めて感心する。


「よし」


 覚悟を決めてメモ紙を開いた。


『風景は粉々で復元できませんでした。でも、坂野さんの領域は明確でした。坂野さんは半透明のプラスチックケースに入った顔のないデッサン人形になっていて、中から出ようとしてずっともがいていました』


「うっ!」


 戦慄が走った。それは、俺には見えない夢の中の俺の姿。俺自身の心象を、怖いくらい正確に表していた。


「夢視ってのは……恐ろしいな」


 ムラに出会っていなかったら。これを見てしまった俺は、完全に壊れていたかもしれない。ぞーっとしちまった。


◇ ◇ ◇


 昼にムラと大学時代の話をしたことを思い返しながら、晩飯のビニ弁をむしゃむしゃ食った。出来合いメシは味気ないよなあと思いながらも。今までご飯作ってくれる彼女どころか、一緒にメシを食いに行く友人すらできなかった自分自身にがっかりする。きっと、人付き合いをものすごく窮屈に考えていた意識が周囲に漏れちまってたんだろう。そりゃあ敬遠されるよな。自分で自分の首を絞めてたんじゃ世話ないわ。


 ぴるりぴるり。携帯が鳴った。


「おっ! ムラだ!」


 速攻で出る。


「おう」

「ああ、しんちゃん?」


 再会した途端にしんちゃん呼ばわりはないだろうと思ったけど、俺にはその砕けた言い方がものすごく心地よかった。人から名前の方で呼ばれるなんて、いつ以来だろう。


「ムラ、昼はありがとな。ごっつ元気出たわ」

「いやー、大学の時もそうだったけどさ。しんちゃん、まじめ過ぎだよー。もっと肩の力抜かないと」

「ははは。そうなんだよなー」

「まあ、いいけど。ところでさ」

「うん?」

「私と付き合わない?」


 ごとっ。動揺してスマホを取り落としてしまった。慌てて拾い上げる。


「ちょっとお! なによ、その反応!」

「いや、その、心の準備というものが……」

「しんちゃんの心の準備待ってたら、私がばばあになっちゃうもん」


 な、なんと言うか……。


「ムラってそういうキャラだったか?」

「そういう風になった。てか、がっつり鍛えたの」


 鍛えた、か。確かにそうかも知れない。サークルで一緒だった頃のムラは、気は良かったけど、どこか人の顔色を伺うようなところがあった。それは、ペアでの試合の時にマイナスに作用したんだ。肝心な時に一歩が出ない。ペアのパートナーに主導権を預けてしまう。ムラはそれを致命的な欠点と認識して、克服しようと鍛えてきたんだろう。あの頃より劣化した俺とは逆だな……。


「私がゆめちゃんくらいの時は、みんなから浮いてて、自分を人に合わせるのにすっごい苦労したんだ」

「うわ、まんま今の俺じゃん」

「でしょ? なんかね、しんちゃんの苦境がひとごとに思えないの。自分を閉じ込めるのって、すごく苦しいよね」

「ああ……」


 ふうっ。夢乃さんが書いてくれたメモに、改めて目を通す。これは俺だけじゃなくて、人とのやり取りにしんどさを感じる誰もが一度は追い込まれる領域なのかもな、と。そして、ムラも一時はその中にいたんだろう。


「なあに、付き合うって言ったって最初はお試しじゃん。やってみてだめならさっくり解消。そんな感じで、どう?」

「ははは。そうだな。さっそく来週末にデートでもすっか」

「いいねえ。わくわくするわ!」

「どこ行く?」

「うちの小学校の体育館。練習日なの。ラケット持ってきてね」


 げ。そ、そう来たか。


「しんちゃん、体がゆるゆるにたるんでるみたいだから、血へど吐くまでぎっちり絞ったげる。健全なる精神は健全なる肉体に宿るよ。いひひひひ」


 あーあ。色気もなにもあったもんじゃないな。まあいいか。俺はやっとこさ箱から出られたんだ。しっかり暴れて、自分をぶちまかしてやらんとな。


「ぬかせ! 返り討ちにしてやるぜ!」

「ほほー。大きく出たね。私は今でも大学の時と同じ練習量だからねー。甘く見ないようにねー。んじゃあ!」


 あっかるいムラの声がぷつっと切れて。俺は、体の芯がかあっと熱くなっていくのを感じた。これこれ、これだ。この感覚だよ。俺が欲しかったのは!


 押入れをかき回して、どうしても捨てられなかったあの頃のラケットを引っ張り出す。ムラは「鍛えた」と言っていた。俺もあの頃の領域に逃げ込むんじゃなく、この際一からぎっちり鍛え直すことにしよう。

 まずラケットのガットとグリップテープを張り替えて。いやいや、それよりすっかり緩んでしまった手足の筋肉を急いで戻さないとだめだ。


「ジョグとストレッチを始めないとな。いきなりアキレス腱をぶっつり切っちまったら、デートどころじゃなくなるし。早速やるか!」



【第六話 夢の領域 了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る