(4)

 意思という骨がない夢。それがわたしの受けた印象だった。


 夢が、反映された自我に強く染め上げられるのはよくあること。というか、それが夢っていうものだよね。高島さんが不自然に補強していた昔の街並みなんかはその典型だ。

 でも、おばさんの夢の中の光景は、壁に印刷された画像みたいだった。輪郭は正確だけど、ぺったりと平面的で存在感がない。そういうものがあるっていう事実が並べられているだけで、意識による彩色が全然感じられなかったんだ。だから淡彩画みたいに見えたんだろう。それは、普通ならあっと言う間に忘れられてしまうはずの希薄な夢。夢の記憶が鮮明に残っていること自体がそもそもおかしい。


 景観だけじゃなくて、夢の中のおばさん自身にも全く存在感がなかった。夢を見ている人って、普段の自分の姿で夢を見ているわけだから、第三者のわたしが見てもその人だとくっきりわかる。でもわたしに視えた姿は、おばさんじゃなかった。おばさんの姿をしてないどころの話じゃなくて、半透明の不気味な物体。どんなに目を凝らしても、生身の人間には見えなかったんだ。

 おばさんは、夢の中をくらげのようにずーっと漂っていた。あちこちの名所をあてどなく、感動も印象も残さず、夢という儚い時空間の中をただゆらゆらと。


 こんな……こんな不気味な夢は初めてだ。とんでもなくグロテスクな悪夢を見せつけられるのは、確かに嫌だけどさ。でも、グロければグロいほどそれはただの夢に過ぎないって突き放せる。現実とは絶対に被らないから、ホラー映画みたいなもんだよねってすっぱり割り切れるんだ。でも……おばさんの夢には、夢と現実との境がない。正体のはっきりしないおばさんが向こうとこっちの間にぬるうっとつながっていて、どうしようもなく気持ち悪い。

 背筋がざわざわする。わたし以外誰もいないはずの小屋に、何かがまだ漂っているような……。やだやだっ!


「う……ぷ」


 さっさと小屋を出ようと思って立ち上がったら、急に激しい吐き気がして、慌てて口を押さえた。


「ぐっ。う、うええっ。や、やばっ!」


 うわ、本当に気持ち悪くなってきちゃった。小屋を飛び出して、一目散に母屋のトイレに駆け込む。


「うげえー……ううっぷ、ぐえーっ!」


 うろろろろっ。胃袋を裏返すくらいの勢いで、全力で吐いた。ぎぼぢわるいよー。くらげおばさんの毒に当たったか。とほほ。

 吐くだけ吐いて、よろよろとトイレから這い出す。洗面所でがらがら口をすすいでいたら、水音を聞きつけたお母さんが様子を見にきた。


「ゆめ! どうしたの」

「いや、急に激しい吐き気が……」

「変な夢、視させられたの?」

「うー、それもあるけど、なんかお腹がむかむかして。冷たい牛乳一気飲みしたからかなあ」

「ちょっと、あれ飲んだの?」

「は?」

「一ヶ月前の牛乳だよ? 捨てようと思ってたのに」


 ごるああああっ! まあた、あんたかあああっ!


◇ ◇ ◇


 よれよれだー。あのあと吐き気だけじゃなく下痢ぴーも来て、トイレに立てこもるはめになった。胃薬を飲んだあともしくしく痛むお腹を押さえながら、くの字になってベッドに転がる。お母さんのいい加減がここまでひどいとは思わなかったなー。がっつり文句ぶちかましたら、味でわからなかったのってあっさり責任転嫁されたし。くっそお!

 ともあれ。いくら骨格強化したくても、賞味期限切れの腐った牛乳飲んだら逆効果になるってことはいやっていうほどわかった。


「はああ……」


 あのくらげおばさんのへんてこな夢はすごく気になるけど。夢が示してることをいくら考えても、わたしにとっては腐った牛乳にしかならないと思う。もういいや。おしまい。


 それより、村岡先生がしてくれた練習チェックをなんとか活かさないとなー。ゆるすぎるっていう理由で部活やめるのはばからしいじゃん。川瀬部長がいた時くらいまで練習量を戻して、だらけた雰囲気を引き締めて、引退するまではぎっちり入れ込みたい。二年の現メンバーでもう一回トレーニング方法を考え直して、そこまで含めて楽しめばいいよね。

 村岡先生は他校の先生だからコーチとかは頼めないけど、練習チェックだけならまたお願いできるはず。須藤先生にそういう風に提案して、了解をもらっておけばいい。ナガやんから話しにくいっていうなら、須藤先生との交渉はわたしがやるよ。結局誰かがしないとなんないんだし。


「よおしっ!」


 なんか、すっごく楽しみになってきた。部活の立て直しが、わたしの骨を作り始める第一歩になればいいな。がんばろっと!

 さっき吐き出したげろにマイナス材料を全部乗っけたことにして。すっきりして。ベッドから降りたわたしは、机の上に英語の問題集を広げた。


「さあて! 模試が近いし、勉強の方もぼちぼちペース上げてかなきゃ!」


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