(3)
それは、ちょうど晩ご飯を食べ終わった頃。八時ちょっと前だった。呼び鈴が鳴って、誰だろうって感じで玄関に行ったお母さんがわたしを手招きした。
「ゆめのー、お客さんよー」
この時間に知り合いなんか来るもんか。あっち、だろなあ。げんなりしちゃったけど、話だけは聞かなきゃ。
玄関先に立っていたのは、ものっすごく元気のないやつれたおばさん。見たことない人だ。お母さんより年は若そうなんだけど、無駄に元気なお母さんより年を取ってるように見える。服装は普段着っていう感じじゃないけど、そっけないベージュのツーピースで猛烈にお地味。まるで、どっかの会社のユニフォームみたいだ。髪もメイクも中途半端で、なんか……冴えない。うーん……。
「夢乃はわたしです。夢視のことですか?」
「はい。わたしは
「ええと。まず、お話を聞かせてください。今、部屋の鍵を開けますので」
サンダルを履いてプレハブ小屋の扉を開け、灯りをつけた。冷え込んできたのでエアコンの暖房スイッチを押す。エアコンの大きな作動音に紛れるようにして、お母さんがさっと母屋に引っ込んだ。それを見てほっとしていた津村さんを部屋に招き入れる。
「どうぞー。靴を脱いで上がってください」
「はい。お邪魔します」
物腰が柔らかいところは、この前来た高島さんと良く似ている。でも、高島さんのは鍛え上げられた物腰だったのに対して、このおばさんの場合は覇気がないから柔らかく見えるだけ。こう、なんつーか、しおしおなんだ。なにかあってしょげてるというより、性格的に最初から前に出られないっていうか……そんな感じがした。
おばさんがソファーに座るのを待って、すぐにオーダーを聞いた。
「ええと、何を確かめればいいですかー?」
「主人と旅行している場所。その場所がどこかを知りたいんです」
「なるほどー。昨日見られた夢ですよね」
「そうです」
「じゃあ、大丈夫かな」
もしかしたら。ご主人が亡くなってしまったから、夢に出てきた観光地を特定して思い出をたどりたいってことなのかなと思ったんだ。でも、どうも様子がおかしい。おばさんの表情は悲しいっていう感じじゃない。無気力っていうか……。
まあ、いいや。場所の特定なら、この前の高島さんと同じで、特徴的なものを引っ張り出せればなんとかなると思う。悪用する元気なんかなさそうだから、そっち系のチェックは省こう。もう一つの条件だけ確認しとこうかな。
「わたしは、夢の中身がこんなだよってお伝えするだけですけど、それでいいですか?」
「はい」
なんつーか。幽霊相手に話してるみたいで手応えがなにもない。
「わかりました。お引き受けします」
「ありがとうございます」
普通、わたしが夢視できるよって答えると、みんなすごく喜んでくれるんだよね。でもこのおばさんは、ずっとテンションが低いままだ。うーん……。首を傾げながらスケッチの用意をする。
「じゃあ、始めますね。右手を出して手のひらを上に向けて開いてください」
「はい」
のろのろと手を差し出したおばさんは、わたしの目の前で握っていた手をゆっくり開いた。
「……」
うわあ……こんな手は初めて見た。それは、ただの手。そこから何かが生み出されているというエネルギーが感じられない、ただの『手』。夢視をしていて、初めて触りたくない手というのに出会ってしまった。でも、今さらやらないというわけにもいかない。
「リラックスして、夢をぼんやり思い出す感じで」
「はい」
おばさんの返事も、まるで機械音のよう。どうしようもなく気持ち悪い。やだなあ。触りたくないよう。ううう。しょうがない。覚悟を決めて手のひらの真ん中に指を置く。
「ん」
スケッチを取るまでもなかった。淡い淡彩画のような光景として浮かび上がっていたのは、鳥取砂丘。でっかいしめ縄が特徴的な大きな神社は、たぶん出雲大社だろう。海っぽい湖面が広がっているのは
「んー?」
「どうなさったんですか?」
薄く閉じていた目を開いたおばさんが、おずおずと聞き返した。
「いや、ちょっと判別できないところが出てきたので。もうちょい探ります」
「はい!」
その時だけ、ものすごく強い返事が戻ってきた。やっぱり……おかしい。場所は全部わかってる。山陰の有名観光地。それ以外の場所は一つも出てこなかった。だけどご夫婦での旅行のはずなのに、夢の中にご主人が出てこないの。一回も。どこにも。背中どころか、気配すらない。本当にご主人との旅行の夢? うーん……。疑問ばかりがぼんぼん膨らむ。でも、深入りしてもしょうがないよね。ささっとスケッチを済ませて、夢視を切り上げることにする。
「終わりましたー」
「どこでしたか?」
おばさんが、食い入るようにわたしの描いた粗末なスケッチを見つめる。
「たぶん、山陰だと思います。鳥取砂丘、出雲大社、大山、宍道湖、境港……じゃないかな」
「……はい」
きちんと場所が特定できたのに、まるっきり喜んでいない。逆にすごくがっかりしてる。どうにも……変だ。
「ありがとうございました」
それ以上何のリアクションもなく。おばさんは夢遊病者のように揺れながら帰っていった。おばさんの丸まった背中が闇に飲み込まれるのを見送ったわたしは、思わずぶるぶるっと震え上がった。
「あのおばさん。くらげみたいだ」
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