(5)dreamer side

「ふふ」


 斉木さんのお宅から戻って。自室で高校の卒業アルバムを開いてる。強い雨音が私を現実から切り離し、あの頃にタイムトリップさせてくれる。しばしその余韻に浸って……静かにアルバムを閉じた。


「どこにどんな出会いがあるか、わからないもんだなー」


 独り言がぽんと転げ出た。私は、お子さんのケンカをうまく仲裁できなかったことを謝罪しに行ったのに。逆にたくさんお土産をもらったように感じて、すごく気分がよかったの。

 双子の兄弟の取っ組み合いは年中行事みたいだし、副校長があとで個別に指導するって言ってたから、私はアフターフォローだけで済む。そっちは大したことじゃない。それより、夢乃ちゃんと話出来たのがすごく楽しかった。単にバド繋がりっていうだけじゃないんだよね。夢乃ちゃんの部活での悩みや考え方は、あの頃の私にそっくりだったんだ。


 もっとうまくなりたい。試合に勝てるようになりたい。私の向上心は、単に楽しくやりたい部員の中で完全に浮いていた。そんな私が孤立しなかったのは、部長がすごくしっかりしてたからなんだよね。


「シングルスだけでなくてダブルスもあるの。それが本当にダブルスになるまではがんばろ?」


 部長は、上級生だからって上から目線で命令はしなかった。でも、私たちをたき付けるのがとても上手だったんだ。シングルスはぐだぐだでもいいけど、ダブルスだけはまじめにやろうよ。そういう部長の提案が、見事にはまった。

 上手な子に依存して、あとはお願いっていうのはダブルスとして機能しない。ちゃんとエリアと役割を割り振って作戦を立て、コンビを機能させないと試合にならないんだ。だって、相手は下手な方だけを露骨に狙ってくるんだもん。ペアの下手な方だけがすごく目立ってしまう。どんなにぐだぐだな子でも、笑い者にはなりたくないよね。しゃあないやるかあで、だんだん部としてまとまっていったんだ。

 みんながまじめにトレーニングするようになったから、私の練習熱はみんなの中で浮かなくなった。だから、それまで以上に練習に熱が入った。その頃は日一日と力がついてるっていう実感があって、実際対外試合でも半分以上勝てるようになった。どんなに練習がきつくても、毎日が充実してて本当に楽しかったんだ。


 その極上の充実感が、部長の引退と同時にぺしゃんこに潰れた。新部長には求心力が全然なくて、みんなをうまくまとめられなかったんだ。だから部が元のぐだぐだに戻っちゃった。だらけきった空気が嫌で嫌で、何度も口から「それなら私が部長やる」って飛び出しそうになった。でも私は、その声を必死に飲み込み続けるしかなかった。だって、一人だけ浮いちゃうっていう結末がはっきり見えていたから。


 夢乃ちゃんもそうなんだろう。今の部長は友達だって言ってたから、部長それはまずいよとはなかなか言えない。じゃあ、あんたが部長やんなよって言われるのは目に見えてるもの。意思が強そうな子だったから、きっと部長はこなせるでしょ。でも、みんながついてくるかどうかは別。顧問の先生が、素人の上に不熱心で全然あてにならないのも同じ。状況が私の時とすごく似てるんだ。


 私は、結局誰にも相談できなかった。だから高校時代の後半は、大幅なレベルアップを諦めることにしたんだ。しょうがないって。その緩みはハンデにまで膨らんでしまって、大学時代にがんばっても取り返しきれなかった。それが……今でも大きな後悔になってる。もっともっと、私なりにできることはあったんじゃないかなって。


 でもそれは、私が思春期を抜けたから振り返れたこと。まだ世界を大きくしきれていない夢乃ちゃんに、しっかり自己分析してうまくやんなさいとは絶対に言えない。だから、夢乃ちゃんから練習をチェックしてくれって頼まれたのは、まさに渡りに船だった。あの頃誰にも頼れなかったっていう私の後悔を、夢乃ちゃんには背負わせずに済む。私も、きっと心の重荷を下ろせる。


「ほんと、不思議な巡り合わせだよねー。ふふ」


◇ ◇ ◇


 簡素な夕食をとったあとでお風呂に入り、パジャマに着替えてベッドに転がる。どうしても、手が高校の卒アルに伸びちゃう。整列して澄ましてる写真じゃなく、教室や体育館でわいわい騒いでる写真。その中の自分を探しちゃう。探しちゃうのは、写真の中のどこにいるかじゃない。その頃の自分の心がどこにあったか、だ。


 よく、あの頃は良かったって、そういう言い方で過去を振り返る人がいる。それは、あまりよろしくないと思うんだよね。その時その時に、必ずいいことと悪いことがあって。悪いことはさっさと忘れようとするし、いいことはしっかり覚えようとする。だから、後から思い返すといいことしか思い出せない。そういうことなんじゃない? タイムマシンで過去に戻れたら。きっと、その頃嫌だった気持ちやマイナス感情を消化できなかった未熟な自分まで戻ってきちゃって、がっかりすると思う。


 夢乃ちゃんが言ってた『夢』の中身。私の場合、そのほとんどは過去の悪夢だ。後悔ばかりが凝り固まって、いつも夢を台無しにしちゃう。じゃあ、楽しい夢ばかり見たい? いや、私はそうは思わない。楽しい夢だったら、目が覚めた時の喪失感がはんぱないもん。

 現実に残したくないがらくたを夢に捨てていって、夢にしか出てこないようなきらきらしたものを努力して現実に引っ張り出す。私の理想はそういうスタイル。だから自分のできることを全力でこなしている今は、すごく充実してるし楽しいんだ。


 楽しい、やりたいっていうことばかりが推進力じゃない。練習量と実力が連動してくれない歯がゆさ。二度と繰り返したくない大失敗。目標に届かなかった悔しさ。そういうことに対してこんちくしょうと思う気持ちがなかったら、前になんて進めない。後悔がなくなるってことは一生ないけど、その後悔はちゃんと燃料にできるし、しないとならないんだよね。

 トレーニングっていうのは、身体を鍛え技術を磨くっていうことだけじゃない。なかなかイメージ通りに伸びない自分の不甲斐なさに付き合って、こつこつ心を強くする。それもトレーニングじゃないのかなって。今の自分は、そう思う。


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