(3)

 二階をにらみつけていたお母さんの視線が、険しいままわたしに向けられた。


「ところで。あんたは大丈夫なの?」

「大丈夫って、受験とか?」

「そう」

「具体的な進路考えるのは、来年になってからにする。今はまだ、高校生活をきっちり楽しみたいから」

「まあ、あんたは決めたらすごく集中するから、心配してないけどさ」

「そっちはいいんだよね。でも部活がなあ……」


 思わずぼやいたら、先生が首を突っ込んできた。


「夢乃さんは、なにをされてるんですか?」

「バドですー」

「わっ!」


 おおっと! びっくりー。勢いよく立ち上がった先生は笑顔爆裂。宝物を見つけたような顔だ。


「私と同じ! 私も蔵高のバド部だったんですよ」

「すごーい! そっちも先輩だあっ!」


 二人して、いきなりきゃいきゃい盛り上がる。お母さんは、もういいやと思ったんだろう。あとはわたしに任せたって感じで、さっとキッチンに引っ込んじゃった。おいおい。


「そっかあ。部がまだ続いてたんだー。嬉しいなあ」


 先生は上気してる。声も弾んでる。まるで、高校で部活やってた頃にタイムスリップしたみたいな。


「先生が部活やってた時には強かったんですか?」

「ううん、弱小。でも、みんな一生懸命でね」

「それが一番ですよねー。わたしもそういうのがいいんだけどなー」

「ということは?」

「顧問の先生、全然やる気なくて。すごくまじめな部長が部を引っ張ってたんですけど、三年だから引退して」

「ああ、そうか。新部長がちょっと……ってことね」

「友達なんで悪くは言いたくないんですけど。超のんびりなんですー」

「わかるわー」


 そうなのよねーっていう感じで、うんうん頷いてる。


「練習がだらけるでしょ」

「はい。わたしたち二年はともかく、一年生がどうしようもなくだらだらで」

「どうしてもそうなっちゃうよね。上でしっかり引っ張れる人がいないと、緊張感を維持するのは難しいわ」


 しばらくじっと考え込んでいた先生が、はあっと大きな溜息をついた。


「やっぱり。変わっちゃうんだよね。それもあっけなく」


 変わっちゃう。先生のその一言が今日ずっと考えていたことにシンクロして、重たくのしかかった。

 変わっちゃう。そう、黙っていても変わっちゃうんだ。わたしは、その変化にただ流されるだけでいいんだろうか。わたしの夢視は、変化に抵抗すること。消えゆく運命にあるものをほんの一瞬だけとどめること。それを「とどめる」だけで終わりにしたら、結局なんの意味もないんだよね。うーん……。


 ギモンが言葉になって、口からぽろっと転がり出ちゃった。


「あの……先生」

「はい?」

「先生は、夢、見ます?」


 いきなり部活から夢の話に飛んだから、目を白黒させてる。やっちゃったーと思ったけど、さっきのなしとは言えないし。うう。


「ええと。夢って、ホープの方? それとも寝てる時の?」

「寝てる時のですー」

「よく見るよー。あんまり楽しい夢はないけど」


 それまでの明るさをひょいと横にどかして、先生が寂しそうな表情を浮かべた。


「もっとがんばれば目標に手が届いたかも知れないのにって、そういう後悔ばかり夢に出てくるの。だから、あんまりいい夢にはならないかな」

「そっか……」

「夢乃さんはどんな夢見るの?」

「いつも忘れちゃう。全く覚えてないんです」

「夢って、しっかり覚える人と覚える気がない人がいるって言うもんね」


 覚える気がない、かあ。わたしもそういうタイプなんだろなあ。人の夢を覗くことばかりしていると、自分のは絶対にやりたくないと思ってしまう。自分の夢を絶対に残したくないから、意識して記憶から消去してるんだろう。たかが夢。すぐに消える。さっさと捨てたって、困ることは何もないもの。

 それでも……。自分の夢を粗末に扱ってるわたしに向かって、夢視する者としてそれでいいのかって文句言ってるもう一人の自分がいるのも事実なんだよね。


 あ、そだ。バドの先輩なら聞きたいことがある。話を元に戻そう。


「あの、先生って、今でもバドやってるんですかー?」

「お遊びではね。小学校のママさんサークルに入れてもらって、ぼちぼち」


 うーん、お遊びとかぼちぼちなんていうレベルじゃないように思える。右手の見えてるとこ、すごい筋肉ついてるもん。体つきもシャープだし。


「そこって、練習はどのくらいやってるんですか?」

「週二かな。それ以外に自主練もしてるけどね」


 やっぱりー。まだばりばり現役って感じだ。


「大学でもやってたんですか?」

「やってたよ。インカレにも出てたけど、上位には残れなかったなー」

「すごーい! 手ぇ見せてもらっていいですか?」


 今でもやってるなら、ごっついラケットだこが出来てるんじゃないかなあと思ったんだ。すごく好きそうだもん。


「いいよー」


 先生がすいっと差し出した右の手のひらを見て、ぎょっとした。


「うわあお! これ、お遊びっていうレベルじゃないですよー」

「そう? あはは」


 先生は照れ笑いしてるけど。これって昔やってた跡なんかじゃない。わたしたち以上にぎっちりトレーニングし続けてる人の、かちかちに固まったグリップだこだ。おそるおそるたこに触ってみる。その瞬間、思い切り叫んじゃった。


「しまったあっ!」


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