(2)

「はあ……なんかいいことないかなあ」


 机の上にあごを乗せて、雨のノイズにあかんべえを食らわす。


 変化はいいけど、壊れてくとか崩れてく変化ばっかじゃどんどん気分が低下する。変わんないのがちびまるこなとこだけじゃ、モチベーション全然上がんないよね。いかんなー、こんなんじゃ。

 だいたい、この雨がよくないんだ。晴れた日ばかりじゃないってのはわかってるし、雨が必要なんだってこともわかる。でも……こんな強い雨降りの日はどうしても気分がずぶずぶ沈む。わけもなく感傷的になっちゃう。雨音の壁に隔てられて人との距離が強制的に遠ざけられ、裸のまま一人で立ちすくんでるみたいな……不愉快な感傷。感傷は説明できない気持ちの問題だから、原因を取り除けば解決するってことにはならない。雨宿りと同じで、過ぎ去るのをただひたすら待つしかないんだよね……。


 とか。なあんもする気が起きないまま、ぼんやり雨音に身を任せていて。おやあっと思った。


「あいつら、妙に静かだなー。不気味ー」


 そう。年中無休でケンカしてる弟たちの部屋から騒音が聞こえてこない。時間的にはもうとっくに帰ってるはずだから、部屋で大人しくしてるってことか。どういう風の吹きまわし? 風邪でも引いたのかな? そうか。妙に感傷的になるのは、いつものやかましい騒ぎ声が聞こえないせいもあるなー。おっと、制服を乾かしとかなきゃ。


 珍しいこともあるもんだと思いつつ、ハンガーにかけた制服を持ってリビングに降りた。


「あれ?」


 見たことがない背の高い女の人が、ソファーに座ってお母さんと話をしてた。いつの間に? 雨でチャイムの音が聞こえなかったのかも。慌ててお辞儀したら、女の人が話を中断してわたしにお辞儀を返した。ダークグレーのシンプルなスーツを着たお姉さん。二十代半ばくらいかな。顔が細くてメークが薄い。肩くらいの髪を後ろで束ねてる。目を引く美人じゃないけど、つんと澄ましたところがなくて笑顔がすごく優しい。とっても感じのいい人だなー。お父さんの会社関係の人かな? おっと、制服を乾かさなきゃ。

 エアコンの前にランドリースタンドを動かして、そこにハンガーをかちゃっとかける。あるかないかのエアコンの風を受けて、制服がゆるゆると揺れ始めた。


「お母さん、わたし二階にこもるね」

「勉強?」

「それもあるけど、お客さんでしょ?」


 ものすごーく難しい顔になったお母さんが、はあっとでかい溜息をぶちかました。んん?


「まったく、かなわんわ」

「は?」

「あのガキどもよ」


 ぴっ! お母さんの中指が、二階に向かって突き立てられた。ふぁっきゅー、すか。そらあ穏やかじゃないっすね。


「あの二人、なんかやらかしたの?」

「すみません……」


 お姉さんが、ぺしゃっとしょぼくれた。


「私、拓くんの担任教師の村岡むらおか智美ともみと申します」


 おおっと。そっか、小学校の先生だったのか。優しそうに見えるはずだよなー。


「わたしは夢乃ですー。姉ですー」

蔵高くらこうなんですね」

「二年です」

「私も蔵高だったんですよ」

「わ! じゃあ大先輩じゃないですか」

「ごめん、大は取って」


 あわわわわ。うっかり失礼なことを言っちまった。


「すんませーん」

「あははっ」


 いたずらっぽく笑うお姉さん。そっか。ぱっと見よりずっと明るくて人懐こい感じだ。子供たちにはもてそうだなー。で、例によってお母さんがべらべらぶちまけ始めた。


「勘弁して欲しいわ。うちでケンカするなら思う存分にやりなさいだけどさ。教室のど真ん中でプロレスやってどうすんのよ!」

「げえー、あいつらクラス違うじゃん」

「論外よっ! 学校に呼び出されて大恥かいたわっ!」


 そゆことか。何があったのかぜえんぶわかった。悪いのはあの二人だけど、ケンカを止められなかった先生が責任を感じたんだろう。でも、先生には何の責任もないじゃん。あいつら、ほんとにしょうもな。


「じゃあ、二人とも反省モード?」

「あいつらが、反省なんかするもんか。ケンカ歴がはんぱじゃないんだから」

「でも、静かだよ?」

「静かにさせるなら、コンセント抜くしかないでしょ」


 おーらい。全て了解しますた。


「飯抜きの刑ね」

「そ。明日の昼の給食まで一日メシ抜きっ!」


 静かなはずだ。確かにケンカする燃料を断つのが一番有効だもんな。


「まったく! 自業自得だよね」

「そう。二人揃って、成績は地べた這いずり回ってるし」

「そりゃあ、朝から晩までケンカしかしてないから。勉強してるとこなんか一回も見たことないもん」

「あれで来年から中学生だってか。とことん呆れるわ」


 おいおい、親としてその姿勢はどうよ。でも、うちは勉強関係オールフリーだからなあ。わたしが中受をぶっちしたところで、お母さんの教育熱が冷めたんだろう。


 わたしとお母さんのハイテンポの会話に入れなかった先生が、慌てて口を挟んだ。


「大丈夫ですよ。男の子はどこかでやる気スイッチが入りますから」

「あいつら、スイッチそのものが最初から壊れてるんですよー」


 お母さんがばさっと切り捨てたのを聞いて、やれやれって感じで先生が苦笑する。


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