(6)dreamer side

 斉木さんが描いてくれた光景にぴったり当てはまる場所を探し回って、それらしい場所にあたりをつけた。川縁に枝を広げている大きなにれの木の根元。夢の中の光景に、ぴったり一致する。深く埋めると言っても、子供の手だ。大仰に掘りかえさなくても、すぐに探り当てられるだろう。写真は諦めている。土の中で濡れて腐って、もし残っていても破片だけだ。だが、私が埋めたおもちゃは残っているはず。それさえ探り当てれば、見続けた夢の光景にピリオドを打てる。長い旅の終わりに、やっと兄貴の遺言を実行できるんだ。


 楡の木は、八十年の間に風雪によって何度か折れたり再生したりを繰り返したんだろう。夢の中の木の大きさとそれほど違っていなかった。それなら、埋めた場所も変わっていないはず。木の根元に屈み込んで辺りを見回した私の目は、木の葉がどっさり溜まっていた小さな窪に吸い寄せられた。まるで、誰かに導かれているかのようだった。スコップ代わりに木の枝を突き立て、夢中で掘り返す。枝が何かに当たってがちっと金属音を立てた。そこだと確信した私は、犬のように手で土を掻き出した。


「あったあっ! 確かにあったぞおっ! 兄貴ぃ! あったあああっ」


 恥も外聞もなかった。八十年前に兄と一緒に埋めたかけがえのない宝物を掘り当てて。私はただただ号泣し続けた。


◇ ◇ ◇


 ホテルに戻って、錆びたおもちゃとただの四角い紙片になってしまった写真をサイドテーブルの上に乗せる。

 写真はなんとか形を保っていたものの、何が写っているのかは全く判別できなくなっていた。だが、私には見える。そこに並んで立っている家族四人の姿が、くっきりと。斉木さんがちゃんと描き出してくれたからね。私にとっては、写真が実在したという事実だけで十分なんだ。

 全てが無に沈んでいてどうしてもわからなかった私自身の背景が、実体がないはずの夢からわかるなんざ痛快極まりない。人間てのは本当にすごい能力を秘めた生き物なんだなと、改めて感心する。


 錆びたおもちゃを指でこつんと弾いて、微笑を向ける。


 私は……家族に恵まれたことはない。親とは死別しているし、唯一残った兄貴とも生き別れた。私を引き取ってくれた高島の家からも、結局離れることになった。それは私のせいか? いや、私はその時々自分に出来る限りのことをしてきた。自ら家庭を壊すような愚かな真似をした覚えはない。高島の実子とは、そこが違う。

 それでも、神は運命を不規則に揺らす。揺らして、私から次々家族を取り上げてきた。正直、その不実を心底恨んだこともあったよ。でも、こうして最後の背景がかちりとはまると、全く別の絵が見えてくる。

 私は両親に愛され、兄貴に愛され、高島の養親に愛され。ずっと愛情の中でこの年まで生き続けてきた。私を家から追い散らした神は、代わりに絶えない愛情をくくりつけてくれたんだ。それをこうして確かめることができた私は、最高の幸せ者だ。本当に、長生き冥利に尽きる。


 窓際の長椅子に背を預け、夜景を見下ろしながら追憶を巡らす。


 私は……一度だけ。たった一度だけ、ある女性に恋焦がれたことがある。もう何十年も前のことだ。斉木志乃しのさん。会社の事務員として採用された、清楚な女性だった。侵してはならない神聖な雰囲気をまとっているように感じられて、私のような出自の怪しい男にとっては高嶺の花だった。だが志乃さんは、私にはいつも気さくに接してくれた。いつもご精が出ますね、と。

 なんとか私からも話かけてみたいと思いつつ、多忙に紛れているうちに、志乃さんは突然寿退職してしまったんだ。何もしない、できないうちに、目の前の宝玉が失われること。その衝撃は、落胆ではなく絶望にすら感じられた。


 失恋を克服することができないまま時が過ぎ、私は結局適齢期に伴侶を得られなかった。生涯独身を覚悟した五十過ぎ。工場長になっていた私は、工場見学に訪れた女性ツアー客の芳名帳の中に『斉木志乃』の文字を見つけて、心臓が止まるかと思った。

 その時の志乃さんは年齢相応の風貌だったが、まとっている雰囲気は若い頃と全く変わっていなかった。名字が斉木のままだったことに一縷の望みを託して、案内がてらご家庭のことを伺ってみた。あの時の後悔を繰り返すのはどうしても嫌だったんだ。だが彼女の説明で、私は二度目の絶望を味わうことになった。


「あはは。うちは女性が跡を継ぐ家系なので、お婿さんをもらうんです。今はもうそんな時代ではないと思うんですけど、結局末娘の春乃もそうなりそうですね」

「おやおや。志乃さんのお嬢さんなら、男性は選り取り見取りでしょうに」

「いいえー。あの子は見てくれはともかく、中身が主人そっくりのがさがさで。婿でも取らないと引き取り手が……」


 ふうっと大きな溜息をついた志乃さんは、その話はもういいでしょうとばかりに、会社での思い出話を始めた。結婚のことがなければ、もっとここで働いていたかった。ここはとてもいいところだったと。それが、どんなに私を打ちのめすかを知らないで。

 そして十年ほど前に、志乃さんは私を置いて彼岸に旅立ってしまった。もう二度と……私の手の届かないところに行ってしまった。私に与えられてきたたくさんの愛情の中で、伴侶のところだけはずっと欠片のままだ。悔いは残るが、今さらどうすることもできない。


 それでも、背景が復元された絵を目の前にしてしみじみ思う。私にとっては、奪われたものより得たものの方が多かった人生だったなと。最後の心残り……どうしても埋めたかった大事な大事な背景をお孫さんの夢乃さんが探し出してくれたのは、きっと先に旅立った志乃さんが配慮してくれたんだろう。ありがたいことだ。


 夢視してもらった右手を開いて、そこに語りかける。志乃さん、夢乃さんはとても誠実で優しいお嬢さんだね。こんな枯れ果てたじじいのわがままを叶えてくれて、あまつさえ涙まで流してくれた。さすが……志乃さんのお孫さんだよ。


「さて。夢乃さんに報告の絵葉書を書こう。おかげさまで背景は全て埋まりました。本当にありがとうございます。それだけでいいよな」



【第三話 夢の背景  了】

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