(3)

 ノートに目を落としたまま急に黙り込んだわたしを見て、おじいさんが不安そうに身を乗り出した。


「なにか気になりますか?」

「あの、正直に言っていいですか」

「はい」

「夢に出てくるお兄さんという人。それが会社の先輩だとは、どうしても思えないんです」

「どうしてでしょう?」

「人は、実物以外はなかなか夢に出せません。夢はあくまでも現実の写し、もしくはそのパーツの組み合わせなんです」

「……」


 今度は、おじいさんが黙り込んだ。


「たとえば。わたしによく夢視を持ち込む近所のおばちゃんたちがいるんです。わたしは韓ドラシスターズって言ってるんですけど」

「ええ」

「おばちゃんたちは、韓国イケメン俳優の夢を見たくてしょうがない。俳優さんたちの写真を、穴が開くくらい毎日見続けてるんですよね。当然、夢に出てくる顔はその写真が下敷きになるんです」

「あ……」


 おじいさんの首が、かくんと前に折れる。


「そうだね」

「でしょう? 高島さんがお兄さんとして認識されているのは、実際にその年齢くらいの男の子。実在の人物以外にはありえないんですよ。その子の顔が毎回変わるならともかく、ずっと同じなんですから」

「ええ」


 諦めたように、おじいさんが嘘であることを認めた。


「さすがだね。夢でも嘘はつけないってことだね」

「いや、夢だから嘘はつけないんです。嘘をつかないとならないような夢なら、覚えようとなんかしません。すぐに忘れちゃいますよ」

「確かにそうだ」


 ふっと短く息をついたおじいさんが、ゆっくり体を起こした。


「本当はね、それは孤児院にいた時の兄貴分。戦友って言った方がいいかな」

「戦友、ですか」

「そう。二人して、人には言えないろくでもないことばかりしでかしてたからね。中には、若気の至りで済まされないこともありました。そんなのは、何の自慢にもなりません」

「ありゃりゃ」


 おじいさんは、苦笑混じりに種明かしを始めた。


「私が孤児院にいたのは、まだ戦争が終わった直後の混乱期でね。あちこちに戦災孤児があふれてた。孤児院なんてのは名ばかりで、実際は浮浪児の溜まり場です」


 うわ。浮浪児って、外国のスラムとかの映像に出てくるストリートチルドレンってことだよね。想像もつかないなあ。


「私が丁稚奉公に出されたのだってそうだ。すっかりスレてしまった浮浪児をさっさと厄介払いしたい孤児院が、働ける年齢になった途端に孤児を地方の工場に送り出してたんです」

「うわわ。いいんですか、そんなことして」

「混乱、貧困、飢え……。そんなのが幅を利かせていた、大人でも生きづらい時代です。それなのに職までもらえるなら儲けものですよ」


 そっか……。


「ただね。大きな都市ってのはあちこちに食い扶持があるんです。ちょいとこすっからいことをすれば、なんとか暮らせてしまう。真面目に働かなくても生きていけるんです」

「うわ」

「街中で働かせると、私らはすぐそこを飛び出して浮浪児に戻ってしまうんです。だから、戻れないほど遠くへ行かせろ。そういうことだね」

「じゃあ、兄貴っていう人もそうなったんですか?」

「わからない」


 おじいさんが、ぐっと口を結んだ。


「私たちにとっての召集令状……どこぞに行って働けってのは、突然来て拒否権がない。それが、私の方に先に来たんです」

「そうか。孤児院の先輩は取り残された形になったんですね」

「ええ。兄貴の消息を知りたくても、私は仕事を覚えてこなすことだけで精一杯だった。悠長に人探しなんかやってる暇はなかったんです」


 そうか……。おじいさんは、兄貴分の人を置いて孤児院を出てしまったことを負い目に感じてるんだ。言いたくなかったんだろな。だからわたしに対してだけでなく、自分自身にも嘘をつこうとしてた。そういうことか。おっと、本筋に戻そう。実在の場所の確認をしておかなくちゃ。


「あの、孤児院があったのはどちらなんですか?」

「横浜です」

「でも夢の背景は、横浜でも萩でもないってことですね」

「はい。思い出せる限りの情景を書き出して、萩も横浜も何度も回ってみたんですよ。でも……」

「どうしても合致しない、かあ」

「はい」


 おじいさんが同じ夢を見始めたのは、そんなに昔のことじゃない。でもそれまで見なかった夢を、ある時点から突然見始めるっていうのもおかしい。きっと、ある時点まではその夢を無視していて、何かの制限が外れて夢を直視するようになった……そんな感じじゃないかな。

 それなら、見ている景色はずっと昔のものだと思う。現代との違いが極端だったら、夢の風景を描き出せてもうまく照合できないかもしれない。建物とかじゃなくて、ずっと変わらないランドマーク的なものが視えるといいんだけどな……。


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