(2)
ノートの紙面には鉛筆できちょうめんに書かれた文字がびっしり並んでいて、わたしは目がくらくらした。わたし、すっごい字が汚いからなあ。こんなきれいな字を見せつけられると、嫉妬を感じちゃう。ええと……。
状況はいつも同じ、だ。小学校高学年くらいのおじいさんとおじいさんのお兄さんが、二人で遊びまわってる。草っ原みたいなところじゃなくて、街中だ。路地をぐるぐる走り回って、かくれんぼしたり、鬼ごっこしたり。でも、遊び相手はいつもお兄さんだけ。
そのうち、遊び飽きた二人は、それぞれ宝物を手にしてどこかに行く。その『どこか』の狭い情景——川縁にある大きな木の根元——は明確なんだけど、地域がわからない。映像はあるらしいんだけど、おじいさんにはそれがどうしても特定できない。自分の今いる場所、過去にいた場所。そのどこにも該当しそうな光景が見つからないらしい。
大きな木の根元にしゃがみ込んだ二人は、手で穴を掘って宝物を埋める。絶対に誰にも見つからないようにと深く深く穴を掘って、埋める。宝物を埋め終わってお兄さんと顔を見合わせたおじいさんは、とても晴れがましい気持ちになって。
——目が覚める。
「筋立てだけじゃなくて、情景も同じなんですね」
「はい。細かい部分にいろいろ違いはあるんですが、だいたいは同じです」
目覚めた時の感覚が、悲しみではなく喜びだということ。それは、おじいさんにとって夢に現れる情景が幸福の象徴であり、その幸福を絶対に手放したくないという執着に近い感情があるからだろう。毎回同じ情景っていうのも、それで理解できる。おじいさんが失いたくない記憶が夢の中にしっかり格納されていて、薄れそうになるたびに取り出されて埃が払われ、磨き直されてる。だから同じ夢であり、夢の内容も鮮明なんだ。でも『地域』だけが最初からずっとわからない……か。
「ううー、苦手なスケッチをしないとならないかあ」
わたしが頭を抱え込んだら、おじいさんがひょいと首を傾げた。
「スケッチ、ですか」
「はい。夢の中身を取り出すのは、すぐにでもできます。でも、そのイメージはわたしにだけわかることで、高島さんにそれをお伝えするには、わたしがイメージを具体化しないとならないんです」
「ああ、そうか」
「夢の中にデジカメを持ち込んでぱちぱちっと撮影できればいいんですけど、そうはいかないので。どうしても、わたしの手で描かないとならないんです」
「そうか……」
「わたし、美術の成績悪いんですよー。絵がへたくそで」
しょうがない。引き受けた以上、うまいへたにこだわってる場合じゃない。できるだけ正確に再現しないとなー。ぶつくさ言いながらノートの文章を読んでいる間に、気付いたことがあった。
「ええと。高島さん、一つ聞いていいですか?」
「なんでしょう」
「舞台はいつも街中ですよね」
「はい。私は山口の萩に住んでいるんですが、少なくともその街中ではありません。確かめました」
「そこは、『今』と一致しないってことかー」
「ええ。鮮明なのに、全く覚えがないんです」
「この夢はいつから見るようになったんですか?」
「もう十年になりますかねえ」
ゆったり腕を組んだおじいさんが、目を細めて回想モードに入った。
「私には親がいなくてね。孤児院を出て、山口の酒造メーカーに丁稚奉公に出されたんですよ。それからは、その社一筋で働いてきました。社長にかわいがられて、社長の家の養子に入ったんです」
「わあお!」
「養親の家にはわたしより四つ上の一人息子がいたんですが、養親と折り合いが悪くなって、家を飛び出してます」
「高島さんが養子に入る前ですか?」
「そうです。私はその方とは面識がないんです」
面識がない、か。それじゃあ、お兄さんにはならないよなあ。
「その養親の息子さんの消息は?」
「少なくとも私にはわかりません。養親はその方の話をするとひどく不機嫌になったので、私からは聞きにくくてね」
「わかりますー。じゃあ、夢の中に出てくるお兄さんというのは、その方ではないんですね」
「はい。働き始めた頃の先輩に私を実の弟のようにかわいがってくださった方がいて、その人だと思います」
「なるほどー、兄貴分という感じかあ」
「ははは。そうですね」
「じゃあ、顔もそうなんですね」
「先輩の子供の頃は知らないので、私が想像して作っているんでしょう」
いや。違う。それは絶対違う。わたしは猛烈な違和感を覚えた。人っていうのは、現実からしか像を作れない。鋳型がないと人の顔を創造できないんだ。
韓国イケメン俳優の出てくる夢を見たくて、枕の下に写真を敷いて寝てるおばちゃんたち。ばかばかしいって笑うけど、夢に見たいものを作る努力としてはものすごく真っ当だと思う。それはちゃんと鋳型になるんだもん。でも、今のおじいさんの話はそうじゃない。夢の中に出てくるお兄さんの姿を、無理に先輩という型に押し込めようとしてる。どうして?
おじいさんが、その理由をわたしに隠す必要はない。だって、わたしはおじいさんの生い立ちには興味がないもの。お兄さんが誰であっても、それはおじいさんにしか意味がないんだ。でも、人物を捏造しなければならないほど自分自身に圧力をかけている。
「んー……」
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