第三話 夢の背景

(1)

 部長の夢視絡みでものすごーく不愉快な思いをしたから、しばらく夢視は引き受けないでおこうと思ったんだ。でもそういう時に限って、どうしても断れない依頼が来る。日曜日にわたしを訪ねてきたのは、近くに住んでいる顔なじみじゃなく、遠くからわざわざ会いに来てくれた人だったんだ。


 プレハブ部屋のソファーにちょこんと座っているのは、とても品のいい小柄なおじいさん。見た感じ、七十はとっくに過ぎてると思う。もしかしたら、八十を過ぎてるかもしれない。地味なチャコールグレーの背広を着ているけど、しょぼくれた感じがしない。銀髪は短く整えられ、皺の奥に埋まっている小さな目はとても柔和。背筋がぴんと伸びていて、粗野な感じがどこにもない。

 わたしもこんな風に年を取りたいなあと思ってしまうほど、全てが洗練されていて。その雰囲気だけで、もう引き受けざるをえない気がした。


「斉木夢乃さんですね。初めまして。私は高島たかしま進之介しんのすけと申します。初めてお目に掛かるのに、無理を言って大変申し訳ありません。失礼であることは重々承知の上で、あえて夢視のお願いにあがりました」


 立ち上がったおじいさんが、わたしに向かって深々と頭を下げた。わたしも慌てて礼をして、頭がぶつかりそうになる。

 うわわわっ。こりゃあ人種が違う。高校生のわたしを見下すような態度がこれっぽっちもない。普段けんつくやりあっているお母さんがごくつぶしの悪魔なら、このおじいさんは清らかな仙人だ。直視したら、神々しくて目が潰れるかもしれない。


 テーブルの上に、薄水色のきれいな名刺が乗せられた。手にとって、じっと見つめる。肩書きは一切なくて、名前と住所と電話番号が印刷されているだけ。でも、それがおじいさんの潔さを表しているように思えた。これだけ品のいい人だから、働いていた頃は会社のお偉いさんとかだったんじゃないかな。でも、それを一切引きずっていない感じがした。


『今のわたしはこれだけです』


 開き直るでも、すねるでも、投げやりになるでもなく。ものすごく自然に、自分以外のものを全て捨て去った潔さ。それが、シンプルな名刺からふっと立ち上ってくる。


「ええと」


 近所のおばちゃんとかの夢視なら、ほいほいいいよーでできるけど、こういうしゃっちょこばった依頼はヘビー級のことが多い。がっつり身構えちゃうな。


「昨日どのような夢を見られたのか、だいたいでいいんですけど、覚えていますか?」

「もちろんです。というか、私はその夢しか見ないのです」

「えええっ?」


 そりゃあ……びっくりだわ。そんなの、初めて聞いた。


「毎回同じ夢っていうことですか」

「そうです。でも」


 それまで柔和な表情を崩さなかったおじいさんが、ふっと顔を曇らせた。


「どうしてもわからないことがあって、私にはそれがとても気になるんです」


 わからないこと、か……。

 同じ夢だってわかるのは、それがおじいさんにとってとても大切な夢だからだろう。忘れてはいけないと繰り返し記憶するから、夢舞台のセットはくっきり整っているんだ。そして、繰り返される夢はきっと悪い夢ではないと思う。悪夢なら必ず忘れようとするから。残っても、恐怖の断片にしかならない。そもそも夢視してもらおうなんて思わないだろうし。

 自分にとってとても大切で、どうしても残したい夢。そこに大きな欠損があってずっと埋められないなら、確かにすごく気になるだろうな。


 ものすごく真っ当な依頼だから、わたしには断る理由がない。重そうだなと思ったけど、やってみよう。


「お引き受けします。ただ、わたしは夢の中に出てきたものを書き留めるくらいしかできませんけど、それでいいですか?」

「もちろんです。どんな形でもかまわない。わからない部分を推測するためのヒントが欲しいんです」


 うん。わたしの夢視の限界をちゃんとわかってくれてる。それなら、大丈夫だよね。最初にターゲットを絞り込んでおこう。


「どうしてもわからないっていうのがどんな種類のものかを教えてください。人なのか、場所なのか、できごとなのか」

「場所です」


 おじいさんが即答した。その返事には悲痛ささえ感じられた。


「先ほども申しましたが、見る夢は毎回同じです。登場する人物もそこで行われることも、少しずつアレンジされていますが、大筋はほとんど変わりません」


 携えていた黒の折カバンを開けたおじいさんが、中から使い込まれた感じの大学ノートを一冊取り出した。


「これを読んでいただけないでしょうか」

「わ! もしかして、夢ノートですか?」

「そうです。夢を見るたびに、その内容を思い出せる限り書き留めてきたんです」


 す、すご……。思わずごくりと生唾を飲み込む。ここまで徹底して思い詰めている人には初めて会った。正直あまり関わりたくない。わたしの夢視の結果がおじいさんの人生すら変えてしまうかもしれない、そんな切迫感をごつんと突きつけられたから。でも、さっきうっかりやるって言っちゃったんだよね。もう逃げられない。


 ふうっと一つ大きな溜息を置いて。わたしはノートを開いた。


「読ませてもらいますねー」

「はい」


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