(4)
カバンからメモ帳とボールペンを出して、夢の中身を書き控える用意をする。
夢の鮮度は高いはず。今思い出せないのは、現実と夢の間のリンクがいきなりばつっと切れてしまったから。記憶から切り離された氷の塊が氷河端から轟音とともに崩れ落ち、巨大な氷山として海に投げ出されてしまったみたいに。まだイメージはくっきり残っているのに、二度と記憶回路の倉庫に戻せない状態なんだろう。それなら、夢視するのはあっけないくらい簡単だ。
穏やかな部長が泣いてしまうほどのひどく悲しい夢。恐ろしいではなく、悲しい。悲しいってことは、永遠の離別か誰かの言動や行動にものすごく傷付いているかだろう。もし離別だったら、それに対するマイナス感情がどこかで漏れていたはずだ。今までそんなの感じたことはなかったから、多分後者だと思う。それなら、部長が誰と一緒にいるのか、そいつが何を言っているのかだけを引っ張り出せばいい。映像模写が要らないなら、きっと短時間で済むだろう。
わたしは、横を向いたまま黙ってしまった部長の右手首を左手で掴んでベッドに押さえつけ、手のひらの真ん中を右の人差し指で突いた。部長は驚いてるだろうけど、夢視の手順や引き受け条件を説明する時間がもったいない。そして。
「んっ!」
予想通り、視えた夢はものすごく鮮明だった。
部長が見ていた夢が部活の練習風景であり、そこに部員全員……いや、それプラス篠田先輩と須藤先生がいることはすぐにわかった。ただ、それは静止画。しかも、わたしも含めてそこにいる全員が横顔だったんだ。まるで、エジプトの壁画みたいに。泣き叫びながらみんなの間を走り回っているのは。
——部長だけだったんだ。
夢視で見えたものを短くメモにまとめ、黙って部長に渡した。
『舞台と登場人物。体育館にバド部全員と須藤先生、篠田先輩』
『状況。全員静止。無言で横顔。泣きながら必死に呼びかけているのは部長だけ』
メモを受け取って目を通した部長は、はあっと大きく息を吐いて何度も目を擦った。
「ありがとう」
「いいえ」
◇ ◇ ◇
部長はひどい貧血だったみたいで、結局自力では歩けなかった。職員会議から戻ってきた宇野先生が、車で部長を家まで送ることになった。バッグとかを代わりに持って車まで付き添い、部長が学校を出るのを見送ってから真っ暗な中をいつもよりずっと遅くに家に帰った。
「たでーまー」
家のドアを開けると、ぷんとカレーの匂いが漂ってきた。朝わたしをめっちゃ怒らせたから、機嫌を取るのにカレーにしたな。お母さん、やるじゃん。ナイスチョイス! 大好物のカレーに免じて、鉄拳制裁は当分保留しとく。あくまでも保留だからね!
鼻をふがふが動かしていたら、キッチンからお母さんがひょいと出てきた。なんか、すっごくばつが悪そう。あれっほど口止めしたのに、まあた誰かにぺろっとしゃべっちゃったんだろう。たった一日も自制できんのかい! 保留撤回じゃ! やっぱりあとでがっちりシメてやるっ!
「おかえり、ゆめ。遅かったね」
「部長がぶっ倒れて保健室に担ぎ込まれちゃってさー」
「あら! 付き添ったの?」
「うん。さっき養護の宇野先生が、車で家まで送ってった」
「そっかあ。行き先が病院じゃなかったってことは、一時的なもの?」
「だと思う。宇野先生は、貧血じゃないかって」
「たいしたことないといいね」
「うん」
二階がばたばたやかましい。いつものように弟たちがケンカしてるんだろう。そういや、最近弟たちの顔を正面から見てないなと、ふと思った。あいつらは、ケンカばっかだって言いながら違いに顔を背けることはないんだ。むしろ、わたしに顔を向けることの方が少ない。わたしは弟たちの横顔しか見てないし、弟たちはわたしの横顔しか見てないんだろう。
実のあねおととって言っても年も性別も学校も違ってるから、横顔で済んでしまう距離感がある。それでも血の繋がりがある分、最後まで横顔のままってことはないよね。お母さんにしたって咲にしたって、わたしが横顔しか見ないっていう日は一日もない。でも、もし横顔がずっと続いたら。すっごいしんどいだろうなと思う。部長が夢の中で悲しそうに絶叫していたのは、無理ないかもしれない。
おたまを持ったままキッチンから出てきたお母さんが、二階に向かってでかい声を張り上げた。
「
ばたばた暴れる音が止んで、階段を踏み鳴らす音が近付いてきた。
「うううー」
「腹減ったー」
体を放り出すようにして席に着いた二人が、いただきますも言わずに山盛りカレーをぱくつき始めた。横顔どころか、わたしの顔を見もしない。わたしゃカレー以下かよ。いいけどさ。ぶつぶつ。
さて、わたしも食べよっと。めっちゃお腹すいたー。
「いただきまーす」
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