役目を終えた悪役令嬢(偽)は逃げ出したい

明日原

第1話 婚約破棄イベント

「シュレフィア公爵家令嬢、ミレーナ・シュレフィア!


貴様、フランデ男爵家令嬢、ユリア・フランデに対して、暴行と嫌がらせを繰り返していたそうだな。今日もユリアに魔法で攻撃を仕掛け、怪我を負わせたのだろう。


俺はユリア・フランデを妃に迎える!


そして、俺は嫉妬に駆られ他者を傷つけるような女と結婚などしたくはない!」




 聖堂に裁きの声が響く。




「そ、そんな・・・ジークハルト様・・・!どうかお考え直しになってください!」




 アストライア王国立魔法学校聖堂。


 常日頃は静けさに包まれている聖堂は今、溢れんばかりに集まった群衆の喧騒に包まれていた。


 その中心では、派手なドレスを着込んだ一人の女性が怒りに身を震わせて立っている。対面には、ステンドグラスから差し込む光を後光として背負うように、ここアストライア王国第二王子ことジークハルト・アストライアが仁王立ちしていた。




 王子の傍らには彼の背に守られるようにして、線の細い令嬢が立っている。




 彼女こそがこの世界のヒロイン、ユリア・フランデ。




 より正確に言うのならば、剣と魔法と愛で世界を救う乙女ゲーム『影の騎士と光の巫女』のヒロインであり、




その正体ははるか昔に途絶えたとされていた回復の光魔法の使い手かつ隣国メルガリスの王女で、




当時の王宮の反乱による混乱の影響で平民として育ちながらも




その潜在的な天性の魔法の素養と




それに奢らず努力を続けるストイックさ、




アイドルと言っても誰もが納得するだろう亜麻色の髪の毛に小動物のような癒されふわふわフェイス、




そしていついかなる時にも前を向くことを忘れない太陽のように明るく朗らかな人柄を見出されてフランデ男爵家に引き取られ、




アストライア魔法学校で家柄に胡坐をかかずに日々魔法を研鑽し、




そして今アホのジークハルトと結婚してアストライア王国第二王妃になろうとしている俺の推しだ。




 ユリアは過去、平民時代にその魔力を疎まれ、忌み子として村八分にされていた。




そのせいで4歳の時に両親は蒸発し、6歳までは、空っぽになった家で月に一度親戚から届く申し訳程度のお駄賃を頼みにして生活していた。




 ユリアの人生いきなりハードモードすぎる。だって4歳の子供だぞ?俺ならご飯があっても寂しくて死んでると思う。




 だが、ユリアの辞書に絶望という文字は無かった。




 6歳になった彼女はなんと、自分を村八分にした村人たちのもとに頭を下げに行くのだ。




「私は皆さんを元気にできます。疎まれても蔑まれても、それは事実です。だから、私を使ってくれませんか」




 雨の日も風の日も雪の日も日照りの日も彼女は村へ通い、病人や怪我人が出れば癒してやり、そして、ついに根負けした村人たちの承認を得て、彼女は村の診療所の助手となった。ユリア強すぎる。主に心が。




 月日は流れ、たまたま村を通りかかったフランデ男爵の怪我を治したことでユリアは男爵に貰われていくのである。




 まあ、無事ユリアが男爵家の養子となって魔法学校や社交界に入ってからも受難は続くのだが、もうそれは良いだろう。話していると俺が辛くなってくる気がするので、省略させていただく。




 とにかく、ユリア・フランデはこの17年間で十分すぎるほどの不幸をその身に受け、かつそれを自力で跳ね返してきた強いお嬢さんなのだ。




 よって、もうそろそろ他人の手によって幸せになるべきはずである。




 だからこそ、彼女がようやくハッピーエンドに入れるイベントであるこの婚約破棄イベを、俺は喉から手が出るほど待ち望んでいたのだ。




 ちなみに、彼らの視線の先で唇を震わせ、拳を握りしめ、目が外れるのではないかというほどきつく男爵令嬢ユリア・フランデを睨みつけているのが俺、ミレーナ・シュレフィアである。




 俺の立ち位置は少々複雑だ。順を追って説明させてほしい。




 まず、俺は俗に転生者と呼ばれるそれである。ここまでの心の声を読み解いていただけたなら、まあそのあたりはお察しいただけるかと思う。




 前世(?)での俺は、いたって普通な男子大学生だった。『影巫女』をプレイしたのもそういう趣味だったからではなく、妹からスチル回収を頼まれたからだ。ケーキで買収されたともいう。




 最初こそ報酬目当てだったが、途中から何事にも一生懸命な主人公のことを自分も応援したくなり、気が付けばゲームの世界観にどっぷり浸かっていた。




 腹黒さと包容力の鬼、第一王子ユリウス・アストライア。




 拗らせツンデレ俺様、第二王子ジークハルト・アストライア。




 不遇の薄幸天才王子、第三王子グレイ・アストライア。




 ヤンデレわんこ後輩、グリティス伯爵令息テリオン・グリティス。




 爆発アフロ知的眼鏡、宰相令息ガフィスト・ディスフェロ。




 天然系大和男児先輩、王国騎士団長長男クオン・アカギ。




 『影巫女』はざっくり説明すると、「影」と呼ばれる敵性存在を剣と魔法で倒し世界に平和を取り戻しつつ、上記6人の攻略対象たちの誰かと主人公がくっつくまでの道のりを描いた乙女ゲームだ。




 誰かといいつつ、うまくすると6股まで掛けられる。勿論難易度はえげつないが、それでもお相手公認で6股掛けられるユリア・フランデ、流石というほかない。




 勿論俺の推しは主人公ユリアだが、攻略対象とくっつくことが主人公の幸せになる道ならば、どんどんくっついて欲しい。俺はガチ恋勢ではなく、推しは遠くから愛でたい派だ。どちらかというと押しは俺の嫁というよりは俺の娘といった心持ちだ。ユリアには幸せになって欲しいと心から思う。




 で、前世の話に戻ろう。多分俺は死んだのだと思う。恐らく影巫女に夢中になって、真夏の夜だというのにクーラーもつけず水も飲まずに数時間過ごしたことが原因だろう。我ながら悲しくなる死因だ。




 そして、気が付いたらこの世界にいた。幼少期の第三王子、グレイ・アストライアとして。




 いやなんでだというのが最初の感想である。


 何がどうしてそうなった。ユリアへの思いを拗らせたが故の夢か、あるいは幻覚かと思ったが、この世界のあまりのリアリティにその考えはその日のうちに捨てた。




 なにせ身体を切れば血が出るし、だいぶ痛い。魔法が存在するということ以外は物理法則もしっかりと適用されているし、死にかければ走馬燈も見える。自分以外の人物の受け答えも自然に行われているように見える。夢や幻覚にしては処理計算量が多すぎた。




 まるでゲームの世界が現実に構築されたようなこの世界が、もとの世界にとってどう定義されるものであるのかはいまだに理解しきれていないが、ゲームの設定や登場人物が殆ど確実に反映されている。影巫女の設定ほぼそのままの並行世界のようなものということになるのだろうか。




 そんな都合のいいものがあるのかと疑問にも思ったが、目の前にあるのだから仕方がない。




 グレイについても考えはしたが、結論は出なかった。




 他者の身体に憑依する、という都市伝説めいたことが実際に起こり得るのかという最大の疑問はとりあえず置いておく。これは、ここが影巫女の世界だと仮定すればそう大した問題でもないと考えられるからだ。




 実際、本編中でも魂を操る禁術と呼ばれるものは存在していた。魔法だの心だの祈りの力だのといったものが実際に力を持つ世界でそんなことを疑問とするのは無粋というものだ。世界が変われば常識も変わるのだろう。




 問題となるのはそこではない。なぜグレイだったのかという話だ。俺はグレイ・アストライアという攻略対象に対して、特別に入れ込んでいたわけではなかったように思うし、共通点のようなものがあるわけでもない。




 また、俺の言動には一定の縛りが課されているらしい。




 具体的には、基本的にゲーム中のグレイと同じような敬語でしか話せない。これは「俺」でないグレイ本体と関係はあるのだろうか。




 どれにしろ、どれほど考えても答えは出なかったので諦めたのだったが。




 さて、本題は俺のことではない。


 現在槍玉にあげられているシュレフィア公爵家令嬢、ミレーナ・シュレフィアのことだ。


 端的に言うと、彼女は存在しない。


 さっきこの世界のことを「影巫女の設定ほぼそのままの並行世界」といったが、その反映されていない側の存在だ。




 乙女ゲームというゲームには、主人公と攻略対象の恋愛をメインに据えるその構造上、どうしてもその恋の障害となるものが必要となる。




 その障害の内容は時に身分差だったり、時に二人の物理的な遠さだったり、時に同じ人間に恋をするライバルの存在だったりする。




 影巫女の特定ルートにおいて、そのライバルにあたるのがミレーナ・シュレフィアだ。




 ふわふわ愛され系の容姿のユリアとは対極の、姫か女帝とでも呼ぶべき黒基調の容姿の彼女は、影巫女において立派にライバル令嬢を務めていた。




 攻略対象に恋慕したユリアをアストライア魔法学校でいじめ抜き、最終的に攻略対象に婚約破棄されこっぴどく振られる役どころだ。




 ユリアほどではないが、俺は彼女もかなり推していた。行為こそ犯罪で、行き過ぎた感はあるが、その動機は純然たる攻略対象への愛と心配だ。彼女は実はよくできたお嬢さんなのである。




 将来国を背負って立つ王子である婚約相手がその日出会った平民出の女に突然うつつを抜かし始めたら、誰だって多分普通に心配する。いや、百歩譲って婚約相手でなくても、相手が王子でなくても心配すると思う。


 街で偶然ぶつかった人が運命の相手とか、ちょっと都合が良すぎて美人局を疑う。




 寧ろ乙女ゲームの世界が、主人公を中心に局所的に恋とか愛に寛容すぎるのだろう。ミレーナの他に誰も王子を止める人間がいなかったことも、彼女の行為のエスカレートに拍車をかけたのかもしれない。




 ミレーナは影巫女において、攻略対象の婚約者として描かれる。




 彼女が出てくるルートは第一王子のユリウスと第二王子のジークハルトのルートである。


 より正確に言うのなら、第一王子のユリウスの婚約者あるいは第二王子のジークハルトの婚約者として描かれる。両方のミレーナは同一人物であり、二股ルートでは先にルートに入った方の婚約者となる。




 それぞれのルートは同時間軸でないとはいえ、彼女がどちらの婚約者であるかは主人公がルートを選択するまで決定されないというのはストーリー上若干の問題がある。


 ルート決定前に二人の王子に「あなたの婚約者は?」と尋ねた時の答えが一様に定まらないのだ。これは怖い。




 おそらく制作側が悪役を作るのに手を抜いたのだろうというのがプレイヤー側の主な見解だが、それにしたって同じ人物を別ルートで使いまわすのは流石にどうかと思う。それとも乙女ゲームではこれが普通なのだろうか。




 彼女の特徴の一つである黒い猫耳のような髪型と上記の事情から、ミレーナはプレイヤーたちの間である呼称を欲しいままにしている。




 その名も黒猫令嬢。


 主人公が観測するまでその姿を明らかにしない、シュレフィンガーの猫というわけである。




 で、今回。


 その黒猫令嬢のシュレディンガー的性質が裏目に出た。




 限りなく現実に近いつくりとなったこの世界では、ミレーナが第一王子と第二王子、どちらの婚約者であるのかということが、主人公のルート選択と関係無く決定されなければならなくなった。




 それはそうだ。彼女の不思議な在り方はゲームだったからこそあり得た事態であり、現実では





・第一王子か第二王子、どちらかの婚約者である




・どちらかは自分もわからない




・相手もわからない




・どんな第三者にもわからない




・ユリアが第一王子か第二王子のどちらかとある程度親しくなった時に、ユリアが親しくなった側の


婚約者であったことが明確になる




・それらの場合以外にどちらの婚約者であるかがわかる条件は存在しない





なんてことは流石にない。黒猫令嬢のアイデンティティふわっふわである。傍から見ればもはやギャグだ。




 だが、この条件をクリアしなければミレーナという悪役令嬢がこの世界に存在することは出来ない。ひいては、ミレーナという悪役を内包することで成り立つ世界自体存在することが出来ない。




 だが、現実にこの世界は存在している。


 ここから先は俺の憶測になるのだが、この面倒な条件を並行世界が解決した方法が、ミレーナそのものの消滅だったのではないか。




 並行世界が黒猫令嬢ミレーナ・シュレフィアそのものをなかったことにすることで、「ミレーナ・シュレフィアの存在しない影巫女世界」という安定した世界を作り出したとするなら、本編に登場したキャラのうちミレーナだけが存在しないのもうなずける。




 彼女がこの世界に存在しないという事実を知った時は驚いたものだが、もしも世界に意思があるとするのなら、悪役を失うリスクより、世界にとってバグのようなものであるミレーナを排除できるリターンの方が大きかったのだろうか。




 いや、ミレーナがバグであるがために排除されたというのは俺の仮説であり、確実な真実ではないのだが、今のところ真実に近いような気がしている。




 とどのつまり、悪役令嬢ミレーナ・シュレフィアはこの世界に存在しないのである。




 だが、ここで問題が発生する。


 主人公であるユリアが、第二王子ジークハルトルートへ進んだのである。




 当然の如く、ジークハルトルートに入った時に最大の障害となるべき筈のミレーナは存在しない。ミレーナの介入によってユリアとジークハルトの仲が深まるイベントは、片手で数えられないほどあるというのに。




 このままではユリアとジークハルトの仲が本編ほど深まらないまま終わってしまう。バッドエンドルートなんかに入ったらもう目も当てられない。




 ユリアの幸せを願う者として、それは避けねばならない。


 あとジークハルトも一応は兄だ。一応は。不幸になるか幸せになるかなら、まだ幸せになった方が寝覚めが良い。ギリギリだが。




 なので、俺がミレーナになることにした。


 結論を急ぎ過ぎた感はあるが、これにはれっきとした理由がある。




 ユリアは初期設定としては平民の娘だ。貴族ではなく、社交経験も皆無に等しい。そんな女性が突然王子の傍に現れたとしたら、ミレーナでなくてもよく思わないお嬢さん方もいるだろう。




 ミレーナがいなければ、彼女らが中心となって悪役の役回りを受け持つ筈だ。その場合の懸念として、本編に登場していない彼女らの行動は予測できないというところがある。それよりは、行動のわかっているミレーナの存在があった方がやりやすいと考えた。




 また、この結論にはグレイの設定も関係している。


 『不遇の薄幸天才王子』であるところのグレイ・アストライアは、ゲームでの設定通りというか生まれつきずば抜けて魔法の適性が高い。自分でも引くレベルで、本当にわけわからんほどえげつなく高い。




 一度見た魔法を次の瞬間に真似するくらいは朝飯前だし、しかも通常なら魔法行使の触媒として使用するべき魔法陣と詠唱を全てすっ飛ばしたうえで、本家の魔法の数倍の威力と精度を叩き出す。




 勿論普通に魔法を使用してもその破壊力は抜群で、グレイルートのバッドエンドイベントでは、ファイアボールと呼ばれる手のひら大の火の玉を発生させる初級魔法でアストライア魔法学校の校舎の半分を焼失させたこともあった。




 だが破壊力のみがとりえというわけではなく、寧ろ彼の魔法の本質はその繊細さにある。




 通常この世界において行使に魔法陣や詠唱等の手間のかかる魔法とは影への攻撃手段でしかない。だが、それらを排したグレイの魔法は例外であり、もはや彼自身の手足と言っても過言ではなかった。


 グレイは本編中でもノートをとったり、お茶を淹れたり、本のページを捲ったりと日常的な動作に魔法を使っていた。いや、そうしなければならなかった理由もあったりはするのだが、だからというか、グレイの魔法の繊細さには目を見張るものがあった。




 グレイルートでは魔法で作り出した氷の塊を炎の魔法で炙って氷像を作り、ユリアを喜ばせていたし、暇つぶしに風の魔法で浮かべた紙を同じく風の魔法だけで折って折り鶴のようなものを作っていたり、空中のマナ濃度を直接操作して認識に歪みを作り、疑似的な幻術を独自に作り上げたりしていた。


 すごいというかわけがわからない。ついでに言うなら現時点での俺も同じことができるわけだが、それでもやはりわけがわからない。




 本編中グレイルートでの彼の言葉を引用するなら「大気中のマナだけが唯一無二の親友」らしく、おそらくアストライア王国中で最もマナを正確に感じ、また最もマナに愛された人物だろうと断定できる。純粋な魔法のみでの勝負なら、彼の右に出る者はいない。




 だが、グレイにはいくつか致命的な欠点があった。




 まず、身体が病的に弱い。


 終盤HPが4桁、物理防御が3桁の大台に乗る影巫女において、最後までHP500、物理防御50を切るのはこいつくらいだという事実からもそれは容易に想像できる。


 グレイルートでは、魔法学校に来ようとして途中で血を吐いて倒れたグレイをユリアが介抱するイベントがある。ヒロインに介抱されるなよという話である。




 身体が弱いため普段は王宮の隅の小さな小屋に閉じこもって養生しているのだが、ユリアが所用で暫く通えなかったところ、しびれを切らして自分から来たらしい。


 それでユリアの目の前で倒れるのだから、なんというか残念な男だ。いや、看病してもらえたのだからそれはそれでラッキーなのだろうか。




 そして、グレイは現国王と平民の女性の間に出来た子供だ。


 国王の過去の過ちの象徴であり、下賤な身分の血の入ったグレイを王宮の人間たちは当然歓迎せず、グレイは腫物のようにして避けられて育った。


 王宮の隅の小屋で暮らしているというのも、その病弱さの為だけでなく、そういった事情があったらしい。


 その為第一、第二王子たちとは一応異母兄弟ではあるものの、あからさまに距離をとられたり、その血の為に蔑まれ嘲笑われてきた記憶しか無い。・・・・ユリアと結ばれるジークハルトの幸せを素直に祝福したくないのはその点からだ。




 幼い日、吐血の発作の為にうずくまった俺を見下すユリウスの顔に微かに浮かんだ好奇と嘲笑の表情を、その後ろから送られた刺すように冷徹な蔑むようなジークハルトの視線を、おそらく俺は一生忘れることは出来ないだろう。




 子供の頃の話であるし、そもそも俺の精神年齢は、前世を踏まえれば成人している。とはいえ、大人げない話ではあるが、病の苦痛と死の縁の寒気の中で向けられた無邪気な悪意の存在を水に流せるほど俺は聖人ではない。




 グレイが他王子たちと仲が良くないというのはゲームでも設定としてあったが、例の吐血の日のシーンは影巫女本編には収録されていなかったので驚いた。




 まあ、あまりリアルな暗い話はユリアには似合わないし、人気キャラクターであるユリウスやジークハルトのそういう面をわざわざ表に出す必要は無いのだろう。




 とはいえ、本編で彼らがユリアに対してそういう面をあらわにすることは無かったし、注いでいる愛情も純粋なものに見えた。彼らも人間であるのだから、清濁併せ持っているのは当然だ。ユリアの前では清の部分だけを出すようコントロールするくらいのことは出来るだろう。彼女が主人公である限り、ユリアに実害は無いだろうと言える。


 ただ、俺がユリウスとジークハルトを好くことは出来ないというだけの話だ。




 感傷が入って長くなってしまった。申し訳ない。


 つらつらとグレイというキャラクターについて説明してきたが、要するに視覚を誤魔化す独自の幻術もどきを扱えるグレイならば、ミレーナの外見をそのまま模すことだって難しくはないのである、という話だ。






 ミレーナがいないと気が付いたのは俺、というかグレイが4歳の時だ。6歳になるジークハルトと8歳になるユリウス、両方の誕生会の客名簿に他の登場人物たちの名前はあるにも関わらずシュレフィアの名だけが無かったことを疑問に思い調べる中で、シュレフィア公爵家という家自体が無いことを知った。




 当時は本当に驚いたし動揺した。


 で、詳しくは割愛するが、動揺のままシュレフィア家を作った。




 作ったという言い方は正確ではないが、殆ど同じだ。没落寸前の男爵家に財をぶちこんで爵位を公爵まで持っていく見返りに名前を変えさせ、産業を発達させ、領民を増やし、領地を潤わせ、ついでにミレーナとミレーユという二人の娘が存在するように振る舞わせた。




 そして、俺が彼女たちとして振る舞っても構わないという承諾を取り付けた。


 娘を二人分としたのは、ユリアがユリウスとジークハルトのどちらを選んでも対応できるようにするためだ。


 二人をそれぞれユリウスとジークハルトと婚約させることが出来れば、攻略対象がどちらになっても対応可能である。


 最悪の場合は二人を含んだ浮気ルートだが、その場合はどちらかを事故死でもしたことにして退場させれば問題ない。




 まあ、一見すると若干奇抜な条件になってしまったきらいはあるし、実際新シュレフィア家の人々には結構やばい人を見る目で見られたが、なにはともあれ目的は達成されたので良しとする。




 最大の鬼門となったのはユリウス、ジークハルト二人との婚約である。


 当然、最初は難航した。というか、取りつく島もなく断られた。


 当たり前である。主人公以外に主人公補正は発動しない。この前まで没落寸前だったのに突然成り上がった貴族の令嬢と未来の王候補を結婚させても国にメリットは無い。




 正攻法では勝ち目がないので、ちょっと裏技を使わせてもらった。


 殆どズルみたいなものだが、ユリアの幸せがかかっている。悪く思わないで欲しい。


 具体的には、ユリウスルートの終盤で明らかになる、アストライア王家の忌まわしき秘密と呼ばれる情報を使って国王を脅した。




 アストライア家の先祖は「影」であるとか、うん千年前の人影大戦争で捕虜になった一族なのだとか、能力の高い子供や瞳の赤い子供が生まれるのはその名残だとか、そういった一般には公開されたくない内容のオンパレードだ。


 取引不成立及びシュレフィアに不都合が起きた瞬間に秘密が隣国のメルガリア王室に流れる手筈になっているとちらつかせると、国王は割に素直に取引を受け入れた。


 あまりに即断だったので罠かと思ったが、数年経っても何か仕掛けてくる気配もないのでそういうこともあるかと思って放置した。




 色々と必死だったので、それから先は殆ど王宮に対してコンタクトはとっていない。


 よく考えればミレーナがユリアに嫌がらせを行うのは、主に婚約者を思ってのことだ。それを踏まえてもう少し婚約者を愛しているアピールをすれば良かったのかもしれないが・・・いや、駄目だ。考えただけで虫唾が走る。




 当然ながら当時はまだユリアによるルート選択前であったのでミレーナが必要になるかはわからなかったのだが、備えあれば憂い無しというやつだ。


 実際ユリアはジークハルトを選び、この準備は無駄にはならなかったのだから万々歳である。


 ちなみにユリアが王族以外を攻略対象に選んだ時には、俺は全てを放り出して町人として楽しく生きる予定だった。それはそれで良い人生だと思うが、推しの為に生きられるというのも悪くない。嘘だ。最高だ。




 備えといえば、その他にも色々と動いた。ミレーナがいないという以外に本編からの大きな変化は無かったが、状況を本編に近づけるための準備ではなく、よりよく進めるための準備ならいくらあっても困らない。




 ので、グレイこと第三王子を死んだことにしたり、体調を誤魔化す方法を見つけたりした。




 ただ、それをここで詳しく話しても話が長くなるだけなので省略させていただく。




 そして俺は、ミレーナとして魔法学校に入学し、ユリアが攻略対象を選ぶのを待った。




 彼女が対象を選んでからは簡単だ。ジークハルトに近づくユリアを目の敵にする令嬢たちを取りまとめ、本編の通りに暴力の限りを尽くせばいい。




 今この場で必要なのは、俺が転生者であり、黒猫令嬢ミレーナ・シュレフィアとして魔法学校でユリアに対して非道の限りを尽くしたという事実のみだ。




 ・・・いや、正直に言うと手は抜いたかもしれない。うん。


 ユリアは俺の推しだ。推しに踏まれたいとは思っても、推しを踏みたいと思うファンはいない。それはもはやファンではない。アンチだ。


 ・・・大丈夫だろうか。俺は本当にちゃんと自分勝手にジークハルトに執着する、ユリアに対して冷酷非道な悪役の役回りを果たせていただろうか、不安になってきた。




 主にユリアに対して冷酷非道、とジークハルトに執着する、のあたりが。


 俺はユリアが好きだし、ジークハルトが嫌いだ。






 ・・・・・・・・・・・・・。






 いや、だが、この婚約破棄イベントが発生しているということは、それ自体がシナリオ通りに進んでいる証左だと考えて良い。俺の精神安定のためにそう考えたい。そう考えよう。大丈夫だ。何も問題は無い。




「ジークハルトさま・・・!いけません、そんな!」




 ユリアがジークハルトに縋って小さく叫んだ。ミレーナにいじめの限りを尽くされておいてそんな台詞が言えるなんて、やはり彼女は良い娘だ。流石ユリアである。




 規定路線なら、俺はユリアへの嫌がらせで国外追放になるだろう。本編を見る限り流石に身ぐるみ一つで放り出されるわけでもなさそうだったし、適当にのんびりと暮らすとしよう。




 重要なのは、ユリアがハッピーエンドに進むことなのだから。


 俺は追放後のプランを練りつつ、ゲーム本編で見たジークハルトハッピーエンドルートのスチルでのユリアの笑顔を思い出していた。




 白い花嫁衣裳に見を包んでジークハルトに抱えられたソフィアは、花が咲くような笑顔を浮かべていた。






 ジークハルトは好きではないが、ソフィアにあんなにも幸せそうな顔をさせることができた点は評価に値する。





 もしもジークハルトの虫の居所が悪かったりなどして本編よりも重罪として判定されようが、まあどうせ一度は死んだ命だ。あの笑顔の礎になれるなら、最高の使い途である。




 いくら王子さまであろうと、流石に学園でのいざこざ程度で一族郎党皆殺しとまではなるまい。シュレフィア家の皆さんに迷惑をかけることもないだろう。多分。おそらく。




 なら、不安要素は無い。


 俺はそう心の整理をつけて、シナリオ通りの婚約破棄の宣言を待った。





「ミレーナ・シュレフィア!」





 第二王子の鋭利な声が響く。


 ようやくか。


 長かった。ここまで本当に長かった。


 運命の言葉が放たれる。


「だが、父上への恩あって婚約の解消は出来ない!


よって、正室にユリア・フランデ、側室にミレーナ・シュレフィアを迎えることとする!!異存無いな!!」




 そう言い切ると、ジークハルトはふんとそっぽを向いた。




 同時に俺の思考回路は一時停止する。 


 視界の端でユリアが安心したように胸を撫でおろしているのが見えた。




 ・・・・・・・・・・・・・。




 ・・・・・・・・・・・・え?




 なんて??




 今なんて言った??オニイサマ(仮)???




 聖堂がわあっと歓声に包まれる。野次馬たちが両手を振ったり、踊ったり、めいめいに動いているのがぼんやりと見える。


 その中で、俺だけが世界が歪むほどの眩暈にとらわれていた。




 ジークハルトの言葉を反芻する。




 ・・・・・・おい。


 おい。


 おい。




 死んでくれ。


 頼むから死んでくれ。




 もしくは俺が死ぬ。


 殺してくれ。




 こんな展開は、本編には無かった。


 なんだこれ。


 何が起きてる?




 自分が混乱していることはわかったが、だからといって次に何をすればいいのかはわからなかった。




 胸に去来する想いはただ一つ。




 ・・・・・・・どうしたらいいんだ、これ。




 かくして、第三王子あらため第二王子側室(仮)の王宮脱出チャレンジが今始まった_____!!!






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