海の匂いの人々 10/10 第三話完
「できないくせに」木鳩はどこか哀れむような視線で流依を仰いだ。
「あなたくらい長生きなら、校舎ごと私達を呑みこめたはずでしょ。そうしなかったのは、できなかったから……。幽霊騒ぎも肝試しも、あなたが本気を出さないためのもくろみ」
流依は苦々しく口をつぐんでいる。
「どうしてここに入りたがるの?」
そう聞くと、流依はため息をつき、窓の外を眺める。彼女は口を開いた。
「言えるかよ」諦めを滲ませる声色で流依は言う。
「……どういうこと?」
木鳩の言葉に答えず、流依は天井のタールに飛び込んで消えてしまった。彼女本体は影が走るように校舎の廊下に流れ、図書室は本来の白い天井を取り戻す。木鳩はそれを黙って見送った。
「なにがなんだか!」
肩から力を抜いて床に座り込んだ木鳩は呆れまじりにそう叫ぶ。それから矢淵の顔を眺めた。気絶しているが、心拍はある。多分大丈夫だろう。その額をそっと撫でると、汗でつるりと滑った。その感触ひとつひとつが、やけに繊細に感じられる。握り続けた手も汗でべとつくが、なぜだかそれも不快に思わない。
「ずっと……自分がわからなかったんだよね」
木鳩がぽつりと漏らす。自分が死にかけていた、すべての情報が揮発しかけたあの時。矢淵の不思議な魔術で木鳩は蘇った。そこで何が起こったのかは二人にはまだわからない。
「でもさっきの君のおかげで、やっと私は私だって思えるようになった」
身体のズレを感じなくなった。思い通りに動かせる。自分の身体はこれだと納得することができたのだ。あんな曲芸的な戦い方までできるようになった。人間のように振る舞うことを意識して体を動かしていたこれまでとは、決定的に違っていた。
「ありがとね。矢渕くん」
そうつぶやいた彼女は、徐々に頬を染める。
「あーあもう! 恥ずかしいな! 早く目ぇ覚ましてよ!」
急に恥ずかしさがこみあげてきた木鳩は、笑って誤魔化しながら彼を揺らす。すると、ごとりと床に転がった矢淵が泡を吹き始めた。
「うひゃー! 言ってる場合じゃなかった! 揺らしたから!? えっと、あーっと、人間ってこういう時どうしたらいいんだっけ!? あっ、そうだ加賀崎っち、ベルちゃんでもいいや、電話電話!!」
木鳩の慌てふためく声が、深夜の学校に響き渡った。
学校の屋上。飛び降り防止用のフェンスの外側に、一人の少女がいた。矢淵が幽霊と呼んだあの存在だ。血はついていないが、間違いない。
フェンスを掴んでつんのめった彼女は、手を離したら死んでしまうというのに、臆することなく単眼鏡をもう片方の手にして住宅街を観察している。
「収穫はありましたか」
静かで抑揚の少ない声だった。すると、背後で流依が顕現する。
「聞く必要あるか? にしてもよく気配がわかんなあ」
「あなたが近づいてぞっとしない人のほうが、よっぽどぞっとします。それで、ひさびさに同属と会った気分はどうでしたか。ずいぶん楽しくじゃれあっていたようですが」
冷ややかに、咎めるように少女が言う。
「ひでえなあ。お前だって面白がってたじゃねえか、幽霊役。よくもまーあんなに色々と思いつくもんだ」
「ホラー映画のコピーですよ。……チッ」
そうやって喋っていると、少女は舌打ちした。単眼鏡のレティクルの先に、こちらに向かって走ってくるリムジンを捉えたからだ。ナンバーは加賀崎のもので間違いない。
「どうやらあちらも失敗のようです。逃げますよ」
単眼鏡を胸ポケットにしまった彼女は、フェンスをしならせ飛び越える。
「しゃあねえなあ」
流依は液状化して少女を包んだ。そうして大きなカラスへと変身すると、屋上から舞い上がる。月光の下で黒い翼を広げると、赤い瞳の軌跡を残して彼女らは飛び去ったのだった。
西洋魔導研究会 戸賀内籐 @tokatoka00
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