海の匂いの人々 9/10

「まだ生きてたのかあ」どこからか声が響く。

 天井に残ったタールから吐瀉物のように落ちてきた物体が、吊り下げ式の蛍光灯にへばりつく。みるみるうちに見慣れた流依の姿を象った。


「こっちのセリフでしょ。なんならやってみる?」


 木鳩が言うが早いか、流依は拳銃を撃った。同時に木鳩の周囲を突風が吹く。あまりに素早い彼女の動きで風が起こったのだ。

「ふふん」

 木鳩がかざした2本の指の間には銃弾が挟まれていた。


「やーるじゃん。それで食っていけるぜ。人間だったらなあ」

「あなたのイルカショーよりはウケるかもね」

 蛍光灯にブランコのごとく腰掛けた流依は、笑みを絶やして彼女をにらみつける。

「はん。いつまで人間ぶれるのかやってみろよお!」


 タールが音もなく天井を覆う。流依が顎を引くと、そこから飛びだしてきたのは斧の山だ。粗末なものから絢爛豪華なものまで様々だが、どれもが処刑用を思わせる肉厚さと刃渡りをもっている。

 一斉に風を割って振り下ろされたそれらは、床を砕いただけで終わった。


「あったらないよー!」

 木鳩は矢淵を抱きかかえて壁に跳ねていた。凄まじい加速度に矢淵は舌を噛む。それを追うように今度は槍が貫こうとするが、やはり木鳩を捉えられない。後追いしかできないのだ。


 ピンボールのごとく自由自在縦横無尽に跳ねる木鳩は、斬撃を交わしながら流依へ接近しつつあった。流依は座ったまま動かず、足を溶かす。そこに浮きでてきたのは、ツボのような物体が先端に装着されたパイプだ。それは古い対戦車火器であった。


 素早く動く木鳩に対して流依が選んだ対策は、図書室という室内空間ごと吹っ飛ばすことだった。これなら避けようが当たろうが関係ない。

 パイプについた照準器からピンを抜いて起こし、内部の板バネを指で押し込む。それ自体が爆発物のように発射煙を撒き散らし、ラグビーボールのような弾頭が翼を開いて飛んでいく。


 彼女の目はそれを捉えていた。単純な弾頭信管であることを見抜いた彼女は胴を捻り、勢いをつけた裏拳で弾頭を横から弾いた。窓の外に吹っ飛ばされたそれは校庭で爆音をあげ、衝撃と破片で図書室のガラスを粉々にする。


 まだ彼女の攻撃は終わっていない。弾頭を弾いた際に生じた反動で体を逆回転させ、流依へ回し蹴りを繰り出す。その速度に流依はついていけず、腕で防ぐのがやっとだった。


「やべっ」

 衝撃を受け止めきれず蛍光灯から弾き飛ばされた彼女は、自分の落着点がどこなのか気づいた。部室のドアだ。とっさに脇腹から蜘蛛のごとく8本の足を形成し、ドアを跨いで着地し、慣性を殺す。背後で緑色の閃光が走ったがパーカーの裾が触れただけで済んだ。木鳩の目論見を封じてやった、と彼女は笑みを浮かべて顔をあげた。


 不意をつかれたが二度目はない、逆転のチャンスはない。

 そう嘲った流依の瞳が見開かれる。


 本棚の一つをスターターにして一息に加速した彼女は、膝を畳んだ蹴りを両足で叩き込んだのだ。彼女の腹に足がめりこむと同時に、バネが戻るように足を伸ばす。弾くための蹴りとは違い、押しこむための蹴りだ。木鳩と矢淵の体重が、流依の腹部へかかる。


 内臓を圧潰された流依は叫ぶこともかなわず、ドアに叩きつけられた。目を潰しかねない閃光を発しながら、流依は結界に焼かれていく。結界に触れる直前に流依から跳んだ木鳩は、彼女が断末魔をあげながら消えていくのを、荒げた息で見送った。

 一歩間違えば自分も焼かれる、捨て身の作戦だった。


 静まり返った図書室に、ずたずたに引き裂かれたカーテンのはためきと、木鳩の荒い息が響く。遅れて、カエルの鳴き声が風にのって吹きこんでくる。数日ぶりかのような静けさに、木鳩は肩を落とした。


 激戦だったことは疑いようもない。ガラスの破片がそこら中に突き刺さり、月光を反射してきらめいている。刃の跡のついた床は割れ、弾痕がそこかしこに穴を開けている。無事に残っているのは部室のドアくらいだ。


 壁に張り付いていた蜘蛛の足が、ぼとりと床に落ちる。びくりと震えたそれは、途端に壊死を始め黒く固まっていった。炭化したそれは、窓から吹く風で砂のように崩れる。


 木鳩はそれを見て力が抜けたのか、膝をつき、肩で息をする。


「ぎゃははは! 終わったと思ったかあ?」

 木鳩が天井を仰ぐと、タールの張り付いた天井に流依の顔が浮かんでいる。そう、彼女全体を殺したわけではない。あくまで彼女の人形を殺したに過ぎないのだ。

 ぼたりと落ちた黒い滴はあっという間に流依を再現すると、次いでサメを模したパーカーまでをも復元した。流依はフードを被り直し、みつあみを前に引っ張り出す。


「まだやるっていうなら付き合ってあげてもいいけど。私は絶好調だし?」

「だったらこっちも本気でやってやろうかあ?」

 流依はポケットに手を入れたままふんぞり返る。

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