海の匂いの人々 6/10

 階段を一足とびに駆け下りた矢淵は、1階の図書室の引き戸に手をかける。が、鍵は閉まっていた。


「くそっ!」


 思い切って体当たりすると、安っぽい引き戸がずれる。今度は助走をつけて肩をぶつけると、鍵ごともげたドアとともに中に倒れ込む。

 東側に窓があるおかげで月光が入るのか、それほど薄暗くはない。電気のスイッチはいくら切り替えても点かない。そういえば木鳩がブレーカーを落としていた。


 図書室の奥に向かった彼は、いかめしい防火扉のドアノブをひねった。だが開かない。そこですぐに気づいた。自分でこのドアを開けたことはなかった、と。いつも木鳩が開けてくれるから入れていたのだ。

 もう一度体当たりをしてみるが、びくともしない。それどころかこっちの肩がどうにかなってしまいそうだ。


 スマホで木鳩に電話をかけようと思った矢淵は、自分に唖然とした。勝手にビビって傷つけている相手を、自分の都合で振り回していいのか。冷静に考えてみれば、あまりにも身勝手すぎる。

 そうして迷った末に、加賀崎にメッセージを送った。せめて開け方を聞ければ、と思ったのだ。もしかしたらこの部屋の中に合鍵が隠してあるかもしれない。

 しかし返事はない。そうやって待っていると、徐々に息が落ち着いてきた。そうなると、今度は流依がどうなったかが気になった。今からでも戻って確かめてみるべきかもしれない。いやでも、もしも……。


 そう考えていた矢先だった。


 どさ、と何かが落ちる音がした。ばっと周囲を見渡すと、矢淵が歩いてきた本棚の間に、一冊の本が落ちている。さっきまではなかったはずだが。


「流依さん……?」


 名を呼ぶが返事はない。


「ばあっ!」

「うわあーっ!!」矢淵はおもわず跳びあがった。

 本棚の影から飛びだしてきたのは心配していたその人だった。


 流依は本棚に手をついてゲラゲラと肩を震わせる。フードについているサメのヒレが揺れていた。

「ひっ、ひっ、ひはははは! い、いまのツラ……!」

 矢淵はほっとしたが、笑い声を聞いている内に腹が立ってきた。


「び、ビビるに決まってるじゃないですか!」

「くははは……、猫みたいに、くはっ、跳ねやがった。っとそうだ、部室の鍵だせ。中に入るぞ。あーし普段寄らねーから忘れちゃってさあ」

 息を整えながら流依は手を伸ばした。


「いや持ってないですよ。そもそも僕は部員じゃないんですってば」

「じゃあ本は?」

「本? 本ってなんです?」矢淵は立って流依に聞き返す。

「本だよ。開ける時に使うだろ」

 思い返すと、たしかに木鳩は本も使ってドアを開けていた。


「だから本も持ってないんです。本当に」


 矢淵がそう返すと、流依は眉間にしわを寄せる。


「んじゃどうすんだよユーレイは。まいただけで殺しきってねえ。あいつらまだまだ来るぞ」

「そんな……。二人で体当りしたらどうにかなりませんか?」

「ムリなんだって」


 首をひねる矢淵に見せつけるように、流依は手をドアに近づける。するとバシン! と緑色の閃光がきらめいた。図書室全体がフラッシュを焚かれたように照らされる。


 目を開けた矢淵の前で、流依の手は消し飛んでいた。焼き切れたという方が正しいかもしれない。手首から先はなくなり、断面は炭化している。


「あーしらバケモンが近づくとこうなっちゃうわけ」


 こともなげに言った流依の手首から先は、黒く粘つく液体が染みだしたかと思うと、あっという間に人間の手を復元する。まるで引いた波の中から貝殻がでてくるような様相だった。


「木鳩さんと同じなんですね」

「そうなんだよねー。同じなんだよあいつと」


 流依はけらけらと笑う。自分をバケモンと呼び、正体を明かしたというのにひょうひょうとしている。木鳩とどうしてここまで反応が違うのか、矢淵は気になった。同時に、流依に相談すれば助言をくれるのではないか、とも思う。だが逃げおおせてからのほうがいいだろう。


「方針を変えませんか。ここに入れないなら、学校の外に逃げましょう」

「んー、そういうわけにもいかねーんだよなあ。あーしはどうしてもここに入りたいんだよ」


 流依は顎を指で触りながら考え込む。


「また別の日に来ればいいじゃないですか。今は逃げたほうがいいですよ」

「いや、いま入る。今日しかねーからな」


 流依はポケットから銃を抜くと、くるくると指でそれを回して遊び、それを目で追っていた矢淵の額に突きつけた。


 銃口と、細い指。それが流依の顔の半分を隠していた。その奥からは黄色く縁取られた赤い瞳孔がまっすぐ矢淵の瞳を見つめている。


 面白半分で狙っているような無邪気さだった。


 びくりと固まる矢淵に、流依は歯を剥き出しにしてニヤつく。そこには三角の歯が何重にも並んでいた。まるでサメだ。

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