海の匂いの人々 3/10
金本は木鳩と、矢淵は流依とペアになって夜の学校を徘徊していた。下準備をしていないので終点はない。本当にただ歩き回るだけだ。飽きた頃にスマホで連絡することになっている。
「矢淵ぃ、ビビってっかー?」
先を歩く流依が振り返って矢淵の肩を叩いた。
「それなりにビビってます」
「いいじゃん。楽しんでるねえ」
流依は昼間より生き生きとしている。目つきは淀んでいるが、どこか光がある。流依とペアということで色々と心配していたが、それは杞憂だったようだ。
派手なピンクのサメパーカーは恐怖を忘れさせてくれるし、下にスパッツしか履いていないせいか足が目立つ。木鳩とは違った、スレンダーな美脚が暗闇の中で艶かしい。
「なんだよー。人の後ろばっかり歩いちゃってさー。それともそんなに目立つ? これ」
視線に気づいた流依は矢淵を非難することもなく、自慢気にパーカーをつまんだ。彼女が足を動かすたびに、フードをかざるヒレがぴょこぴょこと揺れる。
「目立ってますけどいいと思いますよ。雰囲気に合ってますね」
「それってあーしの雰囲気に? サメはかわいいからなー。あーしもかわいいってことだな」
と言って彼女の歩調が浮き立つ。全く怖くないようだ。ただ、あまりにも昼間の彼女と違うので矢淵は疑問に思った。
「昼は具合でも悪かったんですか?」と婉曲に探りを入れる。
「いいや? ただ昼間はねみーし、普通の人間と一緒にいるのバカバカしくってさあ」
「普通の人間?」
彼女はまたちらりと振り返る。ロングヘアーはみつあみにしているのか、首元から前に垂れている。私服と制服で印象が変わることは珍しくないが、それどころではない。
「目が……」
彼女の目の色が文字通り変わっていたのだ。虹彩はオレンジがかった黄色へ、瞳孔は赤くなり、ぼんやりと光りを発している。まるで鳥よけだ。
矢淵が呆気に取られていると、流依はバカにしたような苦笑を交えて呟く。
「この目でわかんない? あーしも魔女で、部員なのさあ」
足の止まった矢淵を置き去りにして、彼女は階段を登り始めた。
「その目はどうしたんですか」
「本来はこういう目でなあ。夜でもはっきりくっきり見える。だから昼間は疲れるわけよ。他にも色々できるんだ、まだお前には教えてやらねーけど」
流依は意地悪く微笑む。
「そういうあーしがさ、誤魔化しながら普通の人間と喋っててもクソつまんねーわけ。どいつもこいつも人間関係の話ばっかりだし、自分が何をしたいかもわかってねえ。まあ、自分で選んで学校に来てるやつの方が今じゃ珍しいけどなー。そういうとこにイライラしっぱなしだから、こっちから願いさげってわけ」
矢淵はなんとなく腑に落ちた気がした。彼女が学校で浮いているのは、彼女が望んでそうしているからなのだ。昼間の灰色の瞳のように、世界が色あせて見えているのだろう。
「部員だなんて知りませんでした。でも、ならなんで教えてくれなかったんですか?」
「加賀崎に止められててさ。折り合いもよくねーしなあ。それにお前、まだ部員でもなんでもねーわけっしょ?」
その通りなのだが、矢淵はちょっと癪に障った。
「もっとちゃんと色々教えてほしいんですけどね」と口を尖らせる。
「あーしがこっちから話しとくって言ったからじゃね。ところでさ、加賀崎からどんくらいうちらのこと……魔女のこと教わってんの?」矢淵の心を見抜いたように流依が聞く。
「どんくらいって言われても、全然ですよ」
最初の事件から1週間たつが、このところ加賀崎もベルタも忙しくしているようで部室に集合することはなかった。ゆえに、説明らしい説明は受けていない。木鳩も加賀崎の許可がないと話せないと言う。
「うちらが魔女だってことは知ってんだよな。……ちょうどいい。あーしが講義してやるよ」
へへへ、と笑って流依が階段の踊り場に腰掛け、びし、と矢淵を指さした。
「まず第一に、お前も魔女だ」
「……僕が魔女って?」
矢淵は小さく笑う。男なのに魔女とはどういうことなのか。
「あーしらが指す魔女ってのは魔術を使える人間ってハナシ。男女は関係ねーんだよ。歴史で魔女裁判っての習わなかったか?」
「それは知ってますけど」
「あれじゃ魔法を使えそうなやつは全部魔女って言ってたんだよ。魔女って言葉は性別関係なく、差別用語みたいなもんだったわけさ。そもそも女って言葉は、昔から悪い意味で使われる方が多かったからなあ」
魔女裁判。16世紀ごろのヨーロッパで行われた裁判とは名ばかりの虐殺だ。確かに、思い返してみると男も女も犠牲になっている。世界史の教科書にも男が焼かれる絵があった。
「だからお前が男でも魔女なんだよ。魔女って言葉が定着しちゃってるしな。それに魔法使いって長くて言いにくくね?」
「それはわかりましたけど、僕は魔術なんて使えませんよ。たまたま巻き込まれて、なし崩しですよ」
呆れを隠さず矢淵が言う。
「……じゃあ加賀崎がお前に構うのはなんでだと思うんだあ?」
流依は膝に肘をついて、矢淵を見下ろす。
「お前に何かしらの魔術があるから飼いならそうとしてんのさあ。あーしら魔女は、必ずなんかやらかすもんだからなあ。ベルタみたいに」
「……ベルタさんが?」
「あいつの魔術を知らねーのか」
そう言って流依は苦笑する。
「あいつが一番やべーんだ。木鳩なんか比べ物になんねえ。だから加賀崎がそばにいて管理してんだ。そんなのが増えたらメンドクセーだろうな」
「一体どんなものなんですか?」
「あいつは自分の肉人形を作れるんだよ。手品みたいでおもしれーよ。そのときに、着てるもんから持ってるものまでコピーされて実体化する。本人は
「聞くだけだと、便利そうですね」
矢淵は何人もの自分が家事や宿題を分担する光景を思い描く。
「そうでもねえよ。コピーがオリジナルからの命令を受け付けるのはせいざい1時間。それ以上は命令を聞かなくなる。コピーがオリジナルを殺そうとすることもあるらしいぜ? そういうヤベーのだから、ドッペルゲンガーってあいつは言ってるんだろうなあ」
「ドッペルゲンガーって、もう一人の自分を見ると死ぬ、っていう伝説ですよね」
頷いた流依は「いいネーミングだよなあ」と呟く。
「それにしても、こんなに明確に
「バックファイア?」
矢淵は聞き返す。前にも木鳩の口から聞いたことがあった。
「元々は銃器用語で、暴発の一種だ。銃が裂けたりして怪我するのを言うんだよ。それが魔術の跳ね返りに似てるから使われるようになったわけ」
饒舌に語り始めた流依に矢淵は少々驚いていた。これがもしかしたら彼女の本来の姿なのかもしれない。
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