海の匂いの人々 1/10

「わざわざ夜の2時に集まる必要ありますか?」


 高校の昇降口の前で矢淵は言った。周囲に外灯はなく、屋内の非常灯の光が4人を照らしだす。矢淵、金本、流依、木鳩だ。

 金本は「かーっ! なんにもわかってねえな! せっかくみんなで夜遊びしようってのにこれだからお前は」とうそぶく。


「そうだそうだ。びびってんのかー?」


 その隣りにいたビビットピンクのパーカーを着た少女がからかう。胸には赤いサメの歯がデザインされていて、フードもサメを模している。そのせいか、彼女の笑顔もどことなく凶暴にみえる。


「矢渕くんはびびりだからね。流依ちゃんや金本くんと違って」


 冷ややかに言った木鳩は、ワイシャツの胸ポケットから鍵を取りだす。それからしゃがんで昇降口のドアを固定していた鍵をあける。


 それを見ていた金本は鼻の下を伸ばす。それに気づいた木鳩は、怒りもせずに金本の手首を掴んでさっさと中に入った。矢淵には目もくれずに。


「まあ、あーしは夜のほうが好きなんだけどね。人混み苦手だしなー。さて、行こうぜえ」


 流依も昇降口のガラス戸の中へはいる。

 矢淵はつばを飲み「テストが近いってのに……」と言い訳がましく呟き、あとを追った。

 夜の学校はどこか異様だ。喧騒はなく、ひっそりと黙り込んでいる。聞こえてくる音といえば自分たちの靴音だけだ。スマホのライトだけが、廊下を照らす。


 4人は廊下を進んでいく。そわそわとしているのは金本だけではなく、矢淵すらも今では緊張した面持ちをしている。

 悪事やいたずらというものは、やけに胸を高鳴らせるのが常だ。矢淵と金本はお互いの顔をみやると、にまりと笑った。「なんだ、お前もびびってるじゃないか」と視線だけで会話する。


 その点、先頭を歩く木鳩は汗ばんですらいない。ワイシャツもさらりとしたままだ。

 最後尾にいる流依は、頭の後ろで手を組んでにやにやと笑うだけだ。


「んじゃ電気をつけて、っと」


 職員室に明かりをつけた木鳩は、次にブレーカーボックスに手を伸ばす。何を落とすか迷った木鳩は、大胆にも全てオフにした。警備会社のセンサーを落とせばいいだけなのだが、わからないのだから仕方がない。


「これでよし! さて、ここから本番、グッパーでペア決めよっ!」


 木鳩が一転して明るく言うと、ばっと拳を突きだす。


「うあー、なっつかし。小学校以来だわこれ。出すタイミングは? ほい?」

「私んとこはジャスだったかなー」

「マジ? あーしんとこグッパグッパのほいだったんだけど」

「グッパグッパ!?」


 木鳩と流依が話し込んでいるのを見計らって、金本が矢淵の背をつついた。


「なんだよ」

「お前パーな」金本は耳打ちする。

「ええ?」

「俺らでペアになったら、なんっの意味もねーだろ」

「うーん……」


 矢淵は正直なところどうでもよかったが、木鳩と一緒になるのは避けたかった。ライブハウスでの一件以来、目を合わせにくいのだ。それは異性として気になっているからではない。

 木鳩が戦うさまは、根本的な価値観を吹き飛ばすような衝撃を矢淵に与えた。女は急に変わるいうが、彼女のそれは化け物じみていた。

 普通に話そうとしても、あの眼球とミミズの群塊のような姿が脳裏にちらつくたびに、背筋が凍り、息が止まってしまうのだ。

 それ以来、二人の関係はぎくしゃくしてしまった。木鳩もそれを感じ取ったらしく、どこか諦めの混じった表情を垣間見せる。彼女は気丈に振る舞っているものの、それが矢淵を責めていた。


 しかし、どう謝ればいいのか矢淵にはわからなかった。


「わかった、一理ある」


 矢淵は自分がまた逃げたことを自覚しながらも、金本に賛成する。

「千里あるわ! ボケ!」


 みみっちい密談を終えたところで、流依がこう宣言した。

「あーしは『パー』だすわ」男たちの心中を見計らったかのような一言であった。

「ってあれー!? それ言ったら心理戦が始まっちゃうのに!」

「いいじゃん別に。ほんじゃ、グッパグッパのほい!」


 矢淵はなんとも居心地悪く、顔をそらしてパーをだす。金本がグーを出すのはわかりきっていたからだ。


 案の定、金本が木鳩に絡み始めるのを聞いた矢淵は、安堵と罪悪感から肩を落とす。

「もっと浮かれろよー、矢渕ぃ」そこに流依が身体をぶつけてきた。


 意外とフレンドリーな流依に愛想笑いを返しながら、なぜこんなことになってしまったのか思いだしていた。

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