クダギツネ 9/10

 直後、木鳩の体は寸断された。あっけなく腹を割かれ、どしゃりと、一歩踏み出した女中を通り越して背後の壁にぶつかる。


 加賀崎とベルタはその時には銃のボルトを引き終わり、弾薬を薬室に送り込み終わっていた。即座に引き金に指をかける。

 だが不思議なことに弾が出ない。それどころか指を動かすこともできない。思わず彼女らが自分の指を見ると、凍りついて霜をはっている。


「なんですの!?」加賀崎が叫ぶ。


 銃の表面が皮膚に張り付き剥がすこともできない。即座に魔術だと判断したが、このままではどうにもできない。ほとんど素手だ。


瞬間凍結クリスタライズ……」


 ベルタが珍しく苦々しげに瞳を歪ませ呟いた。


「これほどピンポイントに使うとは」


 ベルタに近づいた鏑木は、首元に短刀の刃をかざした。刃に波打つ模様は青白く輝き、ぞっとする美しさとともに、冷たく現実を突きつける。


「仲間を失って激昂もしないとは、なかなかいいものを持っているようだ。しかし……」


 彼女の細首に当てられた刃は押しあてられただけで皮膚を裂き、血が雫になって刀身を這う。


「されるがままというのも、腹が立つ。気骨が足りぬ」


 されどベルタは眠そうな眼差しを崩さない。そのまま女中を見つめ返し、ゆっくりとこう言った。


「浅はかな。誰が死んだというのです」

「なに」


 彼女の瞳は女中の背後を覗き込んでいた。つられて女中が後ろに振り向く。


 木鳩の体があったはずの場所には、ボコボコと泡だつ肉塊があった。血の通ったピンク色の肉腫。内臓のように胎動するそれらは泡のように膨らみ、ばちりと弾ける。そこにあったのは大きな目である。ぼこりと弾けるたびに、瞳が増えていく。指のように小さなものから人の顔より大きなものまである。


 その種類も様々であった。人のものと思われるものから、ヤギに似た一筋の黒目。タコのように笑い顔を想起させる不気味なもの。床を覆い尽くしつつあった肉塊は、すでに女中の真後ろに迫っていた。


 それは数多もの瞳の虹彩を一斉に女中に絞ると、突如としてずるりと触腕を伸ばす。


「くっ!」


 すぐさま刀を振ってそれを両断するが、床に落ちた腕は水銀のように蠢き、本体へ走り、肉塊に飲み込まれる。血の一滴すら流れない。


 肉塊は瞳をぎょろつかせる腕を何本も生やすと、女中の腕や足にまとわりつく。切っても切っても新たな腕が女中を掴む。次第に短刀は奪われて踊り場を滑り、手立てなくデタラメに暴れる女中を自らの頭上に掲げあげた肉塊は、自分の体の上に落とした。波打った肉塊は鏑木を飲み込む。


 粘りのある水滴のように何度も脈動したそれは、まるで食事をしているようであった。歯茎をむき出しにして肉に噛み付く猿のごとく原始的で、おぞましい。人が物を食べているとき、その人の口をじっと見ることはほとんどない。だがいざ観察してみると、別の命を貪っているのだということをまざまざと思い知らされる。


 腰を抜かした矢淵が慄きながらそれを見ていた。彼と視線を交わした肉塊は、次第に収束していく。そしてゆっくりと人のようなものを作り始める。


 やがて、鏑木の首に腕を回して取り押さえるあられもない木鳩の姿が浮き上がった。あまりに美醜の激しい光景であった。


 普段の姿に戻った木鳩は、気を失った鏑木を盾にして体を隠す。


「そのさ、矢渕くん。どうかと思うなー」


 木鳩がいつもとは違い、静かに笑う。


 するとベルタが矢淵の顔を鞄で隠した。彼はそれにも関わらず固まっている。


「早く服を着てください」

「わかってるってば。加賀崎っち、ちょっとこの人を見ておいてくれない?」

「ええ、もちろんですわ」


 加賀崎とベルタの指はいつの間にか元に戻っていたようだった。短刀を拾い、鏑木を運んで壁際に座らせる。その際に、鞄からケーブルをまとめるプラスチックの結束機を取りだして鏑木の手首を縛った。安価で合理的な方法だ。


 その間に木鳩は床に落ちた服を着直す。Tシャツが真横に綺麗に切られてしまい、意図せずおへそが出てしまった以外は無事なようだ。問題点は健康的なくびれが顕になり、前よりも扇情的になっているくらいだろう。


 それからベルタが小指くらいの小瓶の蓋をひねる。あっという間にアンモニアの刺激臭が満ちる。それを鏑木の鼻に当てると、彼女はびくりと跳ね起きた。周囲を見回す。矢淵も同様に正気に戻ったようだった。

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