クダギツネ 8/10

 木鳩の案内を頼りに駅前から歩いていくと、矢淵はすぐにどこに向かっているのかわかった。ごたごたしたビル街の中に一角だけ開けた場所。神社だ。その神社を通り過ぎ、隣のビルの前で木鳩は立ち止まった。


 矢淵はここに見覚えがあった。子供の頃はここが唯一と言っていい映画館で、家族でよく通ったものだ。くすんだ赤レンガ色のタイルや、どことなく不気味さを感じる2つある入り口などは何も変わっていない。上映映画のポスターや店名が変わっただけで、今でも中に入ればめくるめく異界への入り口に感じられる。


 確か半地下への階段が正しい入り口だったはず、と思ってそちらに足を向けた矢淵を、木鳩が引き止めた。


「半地下の方はステージで、2階が楽屋だからそっちにいくよー?」

「ああ、そっか。今はそうなってるんだ」


 上階への入り口から入ると、受付になっていた。カウンターに座ったチャラそうな店員が座っている。加賀崎はかつこつとローファーを鳴らしてそこへ歩み寄る。


「静流さんの御学友なのですけれど、ギターのチューナーを忘れてしまったらしくお邪魔いたしました」

「ぷげっ!」


 木鳩が踏まれたカエルのように鳴く。何だと思って振り返る間もなく、ベルタが木鳩を突きだす。木鳩は錆びた機械のようにぎこちなく笑いながら、鞄の中から機材を取りだした。20万だとかなんだとか木鳩が驚いていたものである。


「あっ、あははー! もしかしてこれのことかな? これかな?」


 わざとらしく笑う木鳩の顔色がやけに青ざめているのは気の所為だろうか。


「チューナーならうちでも貸してるんでぇ、別にわざわざ……」


 とスタッフが言いかけるが、機材をみた瞬間、くわっと目を見開いて呆然としていた。


「っ……ピーターソンッ! ありえねえッ! フツー持ち歩くかコレ!?」

「というわけで、あまり人の手を渡らせたくありませんの。静流さんの楽屋はどちらになりますの?」


 加賀崎の言葉に、スタッフはチューナーを見つめたまま観音開きのドアを指差す。


「ありがとうございます」


 防音ドアの先は広い階段だった。フロアマップによると、ここは吹き抜けのライブステージと繋がっていて、楽屋にしか通じていないようだ。機材を円滑に運ぶためにこのような構造になっているのだろう。ライブステージと繋がっているせいか、かすかに激しいサウンドが漏れ聞こえる。


 階段の踊り場まで登ったところで、全員立ち止まった。そこにいた人物から発せられる並々ならぬ殺気を察知したからだ。紺色の作務衣をまとったその人は、以前とは全く違うただならぬものがある。懐に入れた手は何かを取り出そうとしているようで、それが抜かれればただではすまない、そう語っている。


 壁に背を預けてもたれかかっていたのは、四十万家の女中、鏑木であった。


「静流様のことをお思いなら、ここでお引取り願う。退かぬなら、血を見ることとなる」


 女中は作務衣の中に手を入れたまま、加賀崎を睨みつける。


「鏑木さん、あなたが首謀者だったんですの?」

「そんなことすらわからずにここまで来たとは、情けない。これが今の西洋魔導研究会とは、ほとほと呆れる。手際は良いがそれだけではな」


 ついに鏑木は懐から短刀を抜く。艷やかな漆塗りのそれを見せつけるようにかざしたのち、腰に構える。


 それに応えるように、加賀崎がピンと指を伸ばしてスカートにかざす。それは臨戦態勢を告げるサインだった。スカート内の太ももに、ホルスターが上下逆向きにつけられているのだ。彼女の提げる銃は古いものだが、留め具を外せば重力でグリップが手に当たり、すぐに抜けるようになっている。これは古い銃を現代的に扱う上での、彼女なりの工夫だ。


 それを察知して、ベルタは鞄を両手で持って、片手を中に滑り込ませる。


 矢淵でさえ、音が聞こえなくなりそうな張り詰めた空間に息をするのも忘れていた。なんとかこの空気を収めなくては、またとんでもないことになる。それを察した彼は震える唇を動かそうとするも、


「喋るなこわっぱ」


 と鏑木に心中を見透かされ、つばを飲んだ。なすすべなく、彼は成り行きを眺めることしかできない。


 先に動いたのはこちら側だった。加賀崎はスカートを跳ね上げ、ホルスターから落ちた銃のグリップを宙で握ってしゃがんで構える。ベルタは鞄からサブマシンガンを抜くと、鞄が床に落ちるのに任せる。


 そして木鳩はそれより早く、猫のように足の筋肉をしならせ飛びかかった。

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