クダギツネ 5/10
いつの間にかパソコンを起動していた木鳩が、パスワード入力画面の前で唸っているのだ。適当な文字列を入力して失敗する、というのを繰り返している。
「遊んでると弾かれるよ」
そう矢淵が注意すると、木鳩は「わかってないなぁ」と指を振った。自信満々だ。
「最近のパソコンはさあ、ユーザー名が出るじゃん。この子の場合はしずりっちー。それにこうやって何度も間違えてると……ほら、ヒントが出た。尊敬する人物だって」
「そうは言うけどさ……」
矢淵は部屋を見回す。本棚には様々な音楽雑誌や書籍があり、一発でそうとわかりそうなものはない。いや、候補が有りすぎてわからないのだ。
「ユーザー名とパスワードは鏡のようなもんだよ。みーてーてーみー?」
木鳩は椅子に座ったまま部屋を見回すと、すぐそばに貼ってあるポスターに目を留めた。海外の有名なロックバンドで、そのバンド名は矢淵ですら知っていた。
それからスマホを取り出した木鳩は、バンド名を検索してギタリストの名前をドヤ顔で矢淵に見せる。その人の名はリッチーというらしい。
「これが?」
「ユーザー名の半分はこの人の名前。ってことはさぁ、まず間違いなく大ファンじゃん?さて、ここからは総当りぃ。まずこのギタリストの名前と生年月日を……違う。じゃあ次はユーザー名と生年月日をあわせて……これも違う」
うんうんうなりだした彼女は、今度はパソコンデスクのCDラックを確かめる。すると、ポスターのバンドのCDが一枚抜けている。
「これっしょ!」
木鳩はスマホをいじっていたかと思うと、ブラインドタッチでパスワードを打ち込む。
するとどういうわけか、パソコンは通常通り起動し、デスクトップ画面にたどり着いてしまった。
「どやぁ! 褒めれ褒めれ!」
胸を張る木鳩を、3人が素直に褒める。すると、木鳩は椅子を回して景気よく回転しながら、勝ったと言わんばかりに笑う。
「それにしてもどうやって?」
「そのバンドで一枚だけなかったアルバムがあってさー」と木鳩はポスターを指差す。
「なかったアルバムの発行年月日とユーザー名をあわせて入れてみたら通っちゃった。まあ本人の部屋にいるんだから、当然だけどさっ。さてと、中身は~」
と画面に向き直った彼女は、不思議そうに首を傾げた。『りは』と銘打たれた一つの音声ファイル以外、何も見つからなかったのだ。
試しにクリックした彼女は、すぐに後悔した。そこら中にあるアンプから大音量でエレキギターの爆音が鳴り始めたのである。とっさに耳を塞いだ3人は、音を下げろとめいめい叫ぶが、かき消される。何より一番困惑したのは木鳩である。椅子から飛び上がって転げ落ちた。
それを見たベルタが無理やりパソコンに繋がっている音声ケーブルを引っこ抜く。一転して無音になり、頭を打った木鳩のうめき声だけが響く。
「いててて……」
起き上がった木鳩の顔を見て、矢淵はぎょっとする。よほどぶつけどころが悪かったのか、額の傷口から血を流していたのだ。彼が呆然としていると、ぽたり、と血が彼女の白いシャツに落ち、じわりとにじむ。
「て、手当しないと……」
あたふたと矢淵は居間の収納を片っ端からあけていく。だが救急箱は見つからない。すると、彼の肩を誰かが叩いた。振り返ると、そこには傷口も血も垂れていない、いたって綺麗な顔の木鳩がいる。
「……あれ?」
「あっ、あーえっとねー? 大したことなかったからさ、拭いただけですんだよ」
「ええ?」
納得いかない矢淵を置き去りにして、木鳩は何事もなかったかのようにスマホとパソコンを接続する。どうやらさっきの音声ファイルをダウンロードしているらしい。
「二人が手当したんですか? やっぱり魔術かなにかで?」
矢淵の言葉に加賀崎とベルタは顔を見合わせる。
「ええまあ、そうですわ。ベルタが魔術でやったんですの」
それを聞いたベルタは、バッと加賀崎に振り向く。加賀崎はそっとベルタから目を逸らす。そんなことには気づかずに、矢淵は素直に驚いている。
「そうなんですか? 魔術って便利ですねえ」
「……そ、そうなんです」 ベルタはぎこちなく言う。
木鳩はスマホをくりくりといじっていたが、すぐに終わったようで背伸びをし、あっけらかんとこう言った。
「ん、おっけー。ほんじゃみんなでどっか出かけない? 甘いものでも食べなーい?」
「いや、まだ全然見つかってないじゃないですか」
矢淵の言葉にちっちっち、と木鳩は指をふる。
「細工は流々。あとは仕掛けを
矢淵は首をひねる。木鳩自身がなにかしているようにはまったく見えなかったからだ。
「さて加賀崎っち。私は甘いものが食べたいなー」
「いいですわね。車を出して駅の方に行きましょうか」
「行きたいお店は決まってますか? なければ行ってみたい場所があるんですが」と、ベルタまでもが乗っかった。
まだ遺体のイの字も見つかっていないのに、いいのだろうか。矢淵は四十万様の怒り顔を想像してぞっとする。ああいう表面上は優しく見える人が怒ると、とんでもないことになるんじゃないか。そんな不安が湧き上がってきたのだ。
「大丈夫ですよ。木鳩の嗅覚はアテになります。それにこの事件はそんなに慌てるほどのものではないかと」
ベルタがさらりとそう言うと、加賀崎が女中に連絡を入れ、車に向かって竹林を歩いていくのだった。
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