忘れえぬオサナナジミ 5/5 第一話完

 外に出た三人がまず目にしたのは、ずたずたの制服で膝を抱えて座り込む木鳩だ。身体はもとに戻っているようだったが、明るい笑顔は消え、瞳をうるませている。


 加賀崎が駆け寄ってすかさず制服のブレザーを羽織らせる。ベルタがきっと矢淵を睨みつけた。


「いや、違います。僕がやったわけじゃないです!」

「いきなりバックファイアしたの! こんなこと一度もなかったのに!」


 そう叫ぶと、木鳩は顔を隠して階段を駆けあがる。


「着替えるから! そっちでなんとかしといて!」


 ベルタは矢淵をにらみつつ、ショットガンの下部から弾薬を装填する。かしゃこ、かしゃこ、というプラスチック製の薬莢が立てる音が、矢淵を暗に責めていた。

 201の鍵をあけた加賀崎とベルタは、矢淵の部屋に入るときにそうしたように、音を立てぬよう忍び込む。続いて矢淵が入ろうとすると「そこで待っててください」とベルタが告げてドアがしまった。


 二人が入ってすぐだった。てっきりまた銃声が聞こえるかと思いきや、聞こえてきたのは女性の懇願だった。それもどこか気の抜ける涙声だ。


「ごめんなさい~! 許してください~!」


 ドアの外の矢淵にはさっぱりである。それからしばし経ってから、ベルタがドアを開いて手招きする。中の間取りは矢淵の部屋と同じだが、随分と埃っぽい。記憶の中の美智留の部屋とは印象がずいぶん違う。


 リビングでは、ジャージ姿の女が土下座していた。長い髪が垂れ、かとなく不気味さを漂わせている。


「それで、あなたの名前はなんですの?」


 ちゃぶ台を挟んで正座した加賀崎が、静かに、威圧的に問いかける。ベルタは立ったまま近くのタンスによりかかり、散弾銃を抱えている。タバコでも似合いそうな貫禄で、酒場の用心棒のようだ。ジト目で、それでいて鋭く土下座する女性を睨んでいる。


「さ……斎藤春海さいとうはるみです」


 暗い声だった。だがこんな状況におかれればそうもなろう。突然の銃声、銃を持った来訪者、暗くならないほうがおかしい。


「私達がここにいる理由はおわかりかしら? なんでこんなことをしたんですの? 大家の記憶をいじってあなたにどんなメリットがございますの?」

「記憶はいじってないんです。ただ閾下を変えただけなんです」


「いきか?」黙って話を聞いていた矢淵が問い返した。


「閾下とは無意識下の刺激や常識です。歩く時にどちらの足から動かすか、いちいち考えませんよね。それと同じです」と、ベルタがつけ加える。


「そうです。私は、そのぉ。閾下籠絡コピーライターという魔術を持っていまして。人の常識をある程度上書きすることができるんです。それであの使い魔を佐藤美智留という女性だと思わせたんです。ここまでうまくいくとは思いませんでしたけど」


 唐突に飛びでた魔術という言葉に、矢淵は助けを求めるようにベルタを見る。


「説明はまた後日」ベルタは口に指を当てて黙るように伝える。

「それで、どうして矢淵さんに魔術をかける話になるんですの?」

「……あの日は桜が舞っていました」

「短く」


 じゃきん、とベルタがショットガンを鳴らして威圧する。


「ひっ……」

「やめてくださいよベルタさん! 怖がってるじゃないですか」

「そうですわよ。どちらにしろ、怖がらせるのは酷というものですわ」


 不意討ちが一番です。加賀崎はそう心のなかでつけ足した。


「いえ、あの……。会社をクビになって家賃や光熱費が払えなくなってしまったんです。それで、大家さんに架空の幼馴染を作ったら、代わりに払ってもらえたりとか、考えてしまって」


 それを聞いた加賀崎とベルタは、それはもう大きなため息をついた。


「それならそうと、どうして言ってくれなかったんですか」

「クビになったからってすぐに追い出すようなことするわけないじゃないですか。このアパートはね、そういった損得だけでやってるんじゃないんですよ!」


 顔を上げて矢淵は叫ぶ。その頬には涙が流れ、安い蛍光灯の光で輝いていた。

 斎藤をはじめ、その場にいる全員が呆然と矢淵を見る。


「ハナシ聞いてました?」ベルタが冷ややかに言う。


「聞いてましたよっ。でも僕はそんなに責める気になれないんです。いつから僕の記憶をいじったんですかっ」


 矢淵が斎藤の肩を掴んで揺らす。顔を覆っていた前髪がほどけて、あどけなく、化粧っ気のない斎藤の素顔が明らかになる。意外にもそれはずいぶん可愛らしかった。そこに矢淵は微かに、美智留の面影を感じる。


「お、大家さんが事故にあってすぐです。もうその頃には、私の貯蓄もなくって。次の仕事が見つかるまでのつもりだったんです」


 それを聞いた矢淵は正座すると、加賀崎に向き直った。さっきまでの混乱っぷりは消え、きりっとした顔つきになっている。そしてぎゅっと膝の上で拳を握る。


「この人は無罪です。だって僕は、この人のおかげで生きていられたんですから」

「……どうしてですか? 彼女は金銭をかっぱらっていたようなものですわよ? 同じ魔女として、許せませんわ」

「僕が両親を亡くした時、訪ねてくる人といえば無遠慮なマスコミばかりでした。僕は逃げるように実家を後にして、このアパートに閉じこもったんです。それから、どうしようもない孤独感が僕を襲いました。毎日天井を眺めて、気づいたら日が暮れる。食べ物も食べる気がしなくて、誰も助けてくれなかった」


 矢淵は泣きそうな声色で語り始めた。


「そんな僕を支えてくれたのが美智留でした。だから僕は彼女をこのアパートに誘って暮らし始めたんです。美智留は今から考えてみるとたしかにわがままで、騙されていたんだと思います。よくよく思い出してみると、金銭関係はほとんど僕が払ってましたし」


 彼がちらりと晴海を伺う。彼女は顔を隠すように頭を下げる。


「だけど、美智留のいた生活はそんなに悪いものじゃありませんでした。電気代の払い方もわからなかった僕に教えてくれましたし、精神的にも励ましてもらいました。お互いに苦しみを打ち明け合ったりもしました」


 加賀崎は黙ってそれを聞く。内容がどうであれ、矢淵自身にとって大事なことだったんだろう、と感じられたからだ。


「どこからが本当で、どこからが嘘なのかは僕にはわかりません。ただ、それでも。美智留が僕を救ってくれたのは事実なんです。支えになってくれたのは本当なんです」


 なんとかお互い支え合ったから、生き抜けた。資料室で矢淵は恥ずかしげもなく言った。そこに嘘はないのだろう。

 加賀崎の透き通った青い瞳が矢淵を見据える。


「ではあなたは、この人をこのまま放っておいてほしいとおっしゃるのですね」


 すると彼は、頷くように頭を下げた。

「お、大家さんがなんで頭を下げるんですか!」

 晴海が長い髪を振り乱して矢淵のそばに滑りこんで土下座する。


「この人がまた同じような罪を犯したら、この決断を後悔するかもしれませんわ。そういうことまで考えて、この人を放っておいてくれと、そうおっしゃるのですね」

「はい。……それにこのアパートはただでさえ住民が少ないんです。また店子がひとり減ったら、やっぱり寂しくなるじゃないですか」


 加賀崎は、持っていた拳銃の安全装置をかけるとホルスターにしまいこんだ。


「わかりました。今回はお咎めなしということにいたしましょう。ただ次に何かあったら、覚えておいてくださいね」




 部屋から出てきた加賀崎とベルタを待っていたのは、腰に手を当てて頬を膨らませた木鳩だ。服を着替えたのか、灰色のスウェットを着ている。


「どうしたんですの」

「べっつにー。外から聞いてたけどさ、意外な方向におさまっちゃったなーって。殺しちゃえばよかったじゃん」


 すると、ベルタが納得したように「ああ、嫉妬ですね」と呟く。


「入学してすぐの頃、大家さんがカレーくれる嬉しいー、とかよく報告してきましたけど、彼のことでしたか。それがなくなって恨んでいたと。もしかしたら、彼の幼馴染との思い出のうちの何割かは、あなたとのものかもしれませんね?」


 ベルタが含み笑いを隠さずに言い放つ。木鳩は黙っているが、どうやらベルタの言う通りらしい。


「木鳩さん、そういえばバックファイアしたといいましたね」

「うん。人間でいる時間のほうが最近は多いのに、変だなあって」


 加賀崎は木鳩の体質を知っている。おいそれと暴走するような身体ではないはずなのだが……。


「……木鳩さんは斎藤晴海と矢淵准の監視を続行していただけますか」

「両方とも記憶の消去もなしに、ただ監視だけで済ませるのですか。それは我々の方針に反するのでは?」


 ベルタが加賀崎に意見するのは珍しいことだ。彼女は基本的に加賀崎の手足となることを望み、あまり自分の意志を挟むことはない。その原則を破るくらい、異例のことだ。


「悪しき魔女を葬ること、それが西洋魔導研究会の目的です。今回は被害者が許していますし、たまにはいいでしょう。それに、矢淵さんが木鳩さんのバックファイアを引き起こしたなら、彼にも魔術の素養があるのかもしれませんわ。それを見極めるためにも、時間をおきましょう」


 そう言って加賀崎は歩きだし、ベルタもそれに続く。木鳩は軽く手をふると、見送ることもせずに自室への階段を上がっていった。


 道路には高級車が一台止まっている。彼女らが近づくと、ドアが自動的に開いた。乗り込んだ彼女らはほっと一息つき、車窓から矢淵のアパートを見やる。日が落ちても、この季節はまだ空が白んでいる。


「ベルタ、あなた恋をしたことがありますの?」

「……ええ。あります」

 加賀崎の問いに、ベルタはすげなく答える。


「初恋は実らないからこそ、忘れ得ない」

「どういう意味です?」

 内心どきりとしたベルタは、隠すように平静を取り繕って聞く。

「矢淵さんの記憶のことですわ。……いじられた記憶が消える日は来るのでしょうか」

 背もたれに深く沈み込むと、加賀崎は目を閉じた。

 窓の外では、川べりの田園風景が流れていく。ずっしりと実をつけた稲穂が垂れ、はるか遠くまで平和そうな光景が続いている。

 だが、のどかだからこそ、深い夜に埋もれていくのだ。


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