クダギツネ 1/10

「矢淵さん、お迎えにあがりましたわ」

「さっさと準備してください。遅れは看過できませんので」

「あっれ、もしかしてお昼ごはん食べてた? タイミング悪かった?」

「悪いですよ」


 加賀崎とベルタ、木鳩が部屋の玄関口から、矢淵のいるリビングを覗いている。木鳩以外は休日にも関わらず学校の制服を着ており、しわ一つなくぴっしりと着こなしている。木鳩は暑さからか、Tシャツにホットパンツというラフな格好だ。


 矢淵は居間のテーブルを振り返る。そこには割り箸を突っ込まれたカップ麺が、湯気を立てていた。その奥からは、工事業者の電動ドリルが床板を打ち付ける音が響いている。


「お怒りになるのも当然ですけれど、一日で終わる修理ですわ。我慢なさってください。変わりと言ってはなんですが、落ち着けないでしょうし、おでかけに誘いに来ましたの」

「あのですね……」


 あくまで優雅にのたまう加賀崎に、矢淵は苛立ちを抑えきれない。


「いや~。怒るのも分かるけどさ……あれを見たら気分も変わるんじゃない?」


 木鳩はアパートの廊下の奥を指差す。怪訝な顔でそこを覗き込んだ矢淵は、それが何か気づくと靴を履いて玄関からふらふらとそれににじり寄っていく。


 アパートの前に止まっていた車を見ると興奮を隠せなくなった。そこにはリムジンが停まっていたからだ。車体の長さだけでアパートの部屋くらいありそうだ。


「リムジンだよ~? どう、乗ってみたくない?」


 流線型の車体はドアや窓で区切られているもののほとんど凹凸がなく、技術力を語る。水滴のようなフォルムは磨き上げられ、矢淵のアパートと頭を垂らす麦穂を照り返している。都会的な美と田舎の風景はやけに対照的で、超現実的とさえ形容できそうだ。


 矢淵は別に車好きではないが、初めて見るリムジンにテンションが上がらない高校生などいない。恐る恐る中を覗こうとすると、勝手に後部ドアが開き、エアコンの効いたひんやりした空気が漂ってくる。それにしても分厚いドアだった。20センチはありそうだ。おまけに分厚い鉄板が埋め込まれているようで、その厚みは彼が勉強で使う辞典よりも分厚い。といっても、今どき紙の辞書など数えるほどしか使ったことがないが。


「矢淵さん、何をしておりますの? 早く乗ってください」


 あっという間に機嫌を直した矢淵の後ろから、加賀崎が急かした。


「は、はい」


 中には対面式の4つのシートがあり、矢淵の反対側には加賀崎が座った。ベルタは背の低さのせいか、ベビーシートに座っているように見える。意外と違和感を覚えないのは木鳩で、ラフさとボディーラインが相まってオフショットのセレブリティに錯覚しそうだ。とはいえ、備え付けのクーラーボックスに驚いている様からはそうは見えない。


 矢淵は空腹が吹っ飛んでしまったかのようだった。走りだしても、沈み込むような肌触りのいいシートや、静かでスムーズな走り心地に興味津々だ。いきなりだったから仕方がないとはいえ、ラフなズボンとTシャツという格好は、子供っぽく見える。加賀崎はそれをじっと見つめ、微かに笑うが、すぐに気を取り直したようで語りだした。


「さて、今回は急にお呼びして申し訳ありません。こちらとしても急なお話でしたの。緊急の依頼が入ったんですわ」

「ちょ、ちょっとまってください。ただ単に遊びに出かけるわけじゃないんですか?」

「おでかけと言っただけですわ」


 矢淵はすべてを諦めて、ふかふかのシートに身を沈み込ませた。どうやらまんまと乗せられてしまったようだ。


「依頼者は四十万菊しじま きく様。西洋魔導研究会の創設メンバーです」

「あ! 思いだしたーっ! 四十万って、もしかしてだけど『管狐くだぎつね四十万しじま』?」


 クーラーボックスのシャンパンに手を伸ばしかけていた木鳩が振り返って声を張り上げる。


「そうですわ。今の西洋魔導研究会の方向性を位置づけた人。大先輩ですわね。現在も現役で活動してらっしゃいます」

「なんなんです? 方向性って」


 耳慣れない単語が飛び交う中で、唯一聞き取れたことを矢淵が聞く。結局、今に至るまで魔術も魔女も詳しく説明されていないのだ。もっとも、矢淵が奇襲を受けたのは昨夜のことだ。警察のおざなりな取り調べの後、家に帰って寝こけていたのだからしょうがない。


「私もわかんない」


 木鳩もそれに乗っかった。すると加賀崎は覚えてないだけでしょう、と思いながら話を続ける。


「モットーのようなものですわ。『魔女を裁くのは魔女であるべきだ』。というのが初代西洋魔導研究会のモットーでした。魔女の中の警察のようなものでしょうか。今では、警察より先に犯罪を犯した魔女を消すことで、魔女の痕跡を消し、世間からその存在を隠す……。というものになっておりますわ」


「え、じゃあ僕も……」


 周りを見回した彼は、自分がとんでもなく危険な人物に囲まれているんじゃないか、と思う。いや実際そうなのだが、改めて言われると恐ろしい。


「別に目撃者を殺すとは言っていません。あなたは大丈夫だと、加賀崎様は判断しました」


 大丈夫、その言葉には様々な意味が込められている。楽に消せるから、証言能力が低いから、天涯孤独で嗅ぎ回る人物がいないから。


 矢淵は気づいていないどころか、まるで自分の人格を褒められたように錯覚して照れくさそうにしている。


「それにあなたが騒ぐような人でも、世間は認知しないでしょう。想像してください、私達が魔女だと言っても、他の人が信じますか?」


 矢淵はしばし考えると、神妙な顔をして呟く。


「確かにそうかもしれませんけど……それって悪人のすることじゃないですか?」

「明るみに出たところで、綺麗なものと言い切れませんもの」


 諌めるような矢淵の言い方に加賀崎は一抹の悩みもないあっけらかんとした笑顔を浮かべる。


 矢淵はそうだろうか、いやそうなのかもしれない、と思いつつ車窓の外を流れる麦穂を眺めるのだった。

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