忘れえぬオサナナジミ 3/5

 木鳩はおとぎ話にでてきそうな古臭い鍵でドアをあけた。耳障りな金属音が、狭い階段を埋め尽くす。

 中を見回して驚いた。まるで本の虫の夢だ。3メートルはありそうな高さの壁に、本がみっしりと詰まっている。円を描く本棚の壁には、レールで動かせる梯子がかかっている。


 広さは教室一つ分くらいだろう。案外広く、明るい。天井には、LED照明が吊り下げられ、現代に戻ってきた感じがある。床には綺麗で艷やかな木材が使われ、上階の図書室のようにタイル状ではなく、高級感がある。


 部屋の中心には応接室のような配置で、高級そうなロココ調の赤いソファーと机が置かれている。周囲の時計や装飾品同様に金がかかっていそうだ。

 矢淵はかばんを持つ手が震えた。体中にワイヤーを通されたようにぎくしゃくする。それはこの高級感のある景色に圧倒されたこともあるが、部屋の中心で座っている人物が問題だった。


 柔らかく艶のある黄金色の金髪、手入れされた品のいい目元は涼しげながらも柔らかさがある。その瞳は清流の青にも似て透き通り、見入った人間をはっとさせる、上流階級の気品というものがある。それが矢淵を緊張させた。


 名前を加賀崎沙都利かがざきさとりといい、男子の間では手が届かないというより手をだせない本物のお嬢様として有名だ。本物の高嶺の花は、遠巻きに眺めることしかできない。そんな現実をこの学校の男子達に知らしめる存在だ。


「あなたが矢淵さんですわね。どうぞ、お座りになって」


 彼女に、「ハイ」という二文字すら言うのに苦労しながら、なんとか言われた通りの場所に腰を下ろした。すると、彼の前に彼女のものと同じカップが置かれる。中には赤い液体が注がれていた。香りを嗅がねば紅茶だとわからぬほど、透明感のある赤色だ。


 矢淵は紅茶に口をつけるのも忘れて周囲を見渡した。ここには魔法瓶も電気ケトルもない。書庫なのだから当たり前なのだが、だったらどこで淹れたのか。そもそも誰が置いたのか。


「えっ」


 彼は驚く。再び机に目を戻してみれば、今度はクッキーが置かれていたのだ。それも彼の好物のレーズンとバターが挟まれた、濃厚な甘みと塩っ気が同居した代物だ。


「うんまー」


 無遠慮にそれをつまんだのは木鳩だ。それからソファーに座り込むと足を組む。


「木鳩、客人より先に手をつけるとは何事ですか」


 背後からの叱責に矢淵が振り向くと、ソファーの後ろにもう一人の美少女が立っていた。黒髪を編み込んで短くまとめ、頭に銀色のカチューシャをつけている。矢淵より背が低い女子はそれなりにいるが、矢淵よりぐっと低いのはなかなかいない。確かこの子が、加賀崎の召使いと言われている女子だろう。


「客人って言ったって私のクラスメイトだよ?」

「私にとってはお客様です。あなたと違って」

「あーあ、後輩に冷たいなぁベルちゃんは」

「先輩を勝手にあだ名で呼ばないでください」


 ベルちゃん、と聞いて思いだした。確かベルタ・スピーゲルという帰化ドイツ人だ。言い方は悪いが田舎の高校では、変わり種は目立つ。よくよく観察してみると、骨格からして違う。背が低いにも関わらず足が長く思える。


「失礼します。補充いたします」


 彼女は皿の上に追加のバターサンドを並べると、加賀崎の横に座り込んだ。顔は全く似ていないが、雰囲気はそっくりだ。身長差も相まって姉妹のように見える。


「さて。お話に入らせていただきますわ。先日は木鳩さんがご迷惑をおかけしたようで……。謝罪させていただきたかったのですわ」

「いえ。迷惑だったのは僕じゃないですし。気にしないでください。もう終わったことですので」


 緊張を引きずったまま彼は言う。すると、ベルタが小さくすらりとした手でクッキーを手で示す。これでも食べて落ち着け、ということだろう。

 矢淵が半分ほど咀嚼してみると、それは彼の知っている好物とは似て非なるものだった。鮮度が違うのだ。まるで今日の朝つくられたような、するりとした舌触りのバタークリームに、サクッとパラっとほどける、香ばしいクッキー。それにラムレーズンが嫌味なく調和している。


 美味しさに目を見開くと、ベルタと矢淵の目があう。ベルタは人差し指で自分をさす。矢淵がクッキーを指差す。ベルタは静かに頷く。彼女が作った、ということなのだろう。彼女は両手の親指を立てた。ちょっと遅れて矢淵も両手で親指をたてて返すと、無愛想な人形のような顔をわずかに崩して、にまっと笑う。意外とおちゃめな人なのかもしれない。


「私もつまんでいいかしら?」

「もちろんです。いくらでもご自由に」

「あなたも食べていいですよ」

「ひゃはー! 待ってました!」


 いつの間にか矢淵の緊張はほぐれていた。美味いものの魔力かもしれない。


「ところで先程の話ですけれど、迷惑がかかったのは結局どなただったんですの? 矢淵さんではないとお聞きしていますけれど、大家さんでらっしゃるのですのよね?」


 クッキーの余韻を楽しみ、紅茶のカップを置いてから加賀先が切りだした。


「僕の幼馴染の美智留……っと、佐藤美智留ってクラスメイトがですね、木鳩さんの隣に住んでいるんです。それで大家の僕に注意してくれないかと言ってきたわけで」

「なるほど。それではその人にも謝罪の品を贈ろうと思います。このクッキー、美智留さんのお口にかなえばいいのですが」

「ありがとうございます。こういうお菓子は美智留も大好きです。ところで、木鳩さんの問題を、どうして加賀崎さんが謝るんですか?」


 すると加賀崎は、人差し指を頬にたてる。


「私達は同好会のメンバーですの。木鳩ちゃんは私の後輩ですし、私からも謝罪するべきだと思いまして」

「いやあ、ここまでちゃんと謝っていただかなくても」

 と矢淵は苦笑いする。

「ところで、美智留ちゃんとはどういうご関係なのかしら。ちょっと興味がありますの。よろしければ答えていただけませんか?」

「あ、えっと……子供の頃から家族ぐるみで付き合っているだけですよ。いるのが当たり前というか。兄妹のようなもんです。えっと、僕の両親の事故のことはご存知ですか」

 知らない人などいないとばかりに三人は頷いた。


「あの飛行機に、お互いの両親が乗ってまして。それから僕のアパートで一緒に暮らそうってことになったんです。なんとかお互い支え合って、生き抜いてこられました」


「同じ部屋で……ですの?」神妙な面持ちで加賀崎が問う。


 そうではないと知っているくせに、木鳩が「高一で? 早いなぁ」とはやし立てる。こいつ、もしかして中身は金本じゃないか。


「いやまさかそんな。部屋も階数も別ですよ。僕が101、美智留が201で、せいぜい夕飯を届けてやるくらいです。美智留は昔から料理が苦手で」

「そう。その時は、直接お渡しになるのかしら?」

「ええ、そりゃもちろん」

「なるほど……」


 加賀崎は矢淵の顔をじっと見つめる。なにかおかしな視線だった。恋愛話に興味がありそうなからかいの混じったものではなく、いたって真面目なものだ。


「それは興味深いですわ。私はアパートも一人暮らしも縁がなくて。矢淵さんはお料理は得意ですの?」

「それなりに、という感じです。パスタとか、カレーとか。和食はあまり得意じゃないですね」

「まあ、それでは私より自活力がありますのね。私はベルタに任せっきりで、全然自分で作ったことがありませんの」


 ということは、加賀崎とベルタは一緒に住んでいるのか。召使いという話も、あながち嘘じゃないのかもしれない。それにしても同年代の召使いとは恐れ入る。ベルタは嫌になったりしないのだろうか。


「加賀崎さんほどの人になればそういうこともあるんでしょう。でもこんなお菓子を作るくらいだから、きっとベルタさんの料理は美味しいんでしょうね」

「ええ。でも料理中に厨房に入ると、ベルタはとても怒りますの」


 はぁ、と悩ましげに加賀崎がため息をつく。それから上品に、そつなく指でクッキーをつまみ、手で隠しながらかじった。

 それに比べて、木鳩の食べ方はまさに貪るという表現が近い。矢淵が二口で食べる大きさのクッキーを、先程からぽんぽんと口に放り込んでいる。ベルタは皿の上が空きそうになるたびに、手品のように新しいクッキーを皿に補充していく。どこかからとっている風でもなく、彼女が手をかざすたびにクッキーが2倍に増えるのだ。


「それ、どうやってるんです?」

「あぁ、単にどっさり焼いてきただけですよ。それと手品を少々。日頃から練習しておくと身につきやすいので」


 手品と言うが、いくら観察しても矢淵には見破れそうにない。それが悔しく、矢淵はしばしそれを見つめていた。


「ところで、美智留さんはどんな人なんですか?」

「どんな、と言われても……」矢淵は答えに詰まる。

「そうですわね、どんな髪型ですの? 可愛い感じなのかしら。性格はベルタのように、大和撫子ですの?」

「ん……」


 大和撫子、と言われて矢淵はなんとなくベルタを見やる。髪は黒いが、肌の色は真っ白できめ細かく、粉砂糖をなでつけたようだ。それに、眠たげに見える瞳は金色だ。見た目だけなら大和撫子とは遥かにかけ離れているだが、性格に関して言っているんだろう、と彼は結論づける。


「どうでしょう。大和撫子というよりちょっとわがままな甘えん坊ですかね。だいたい、面倒なことは僕に押し付けるんです。今日なんか、あいつの代わりに電気代を払うんですよ。後で返してくれるからいいですけど」

「……彼女のどこが好きなんですの?」


 脱線した列車のごとく予想外で直球の質問に、彼は手に持っていた食べかけのクッキーを落としてしまう。それを察知した木鳩が落下中のそれをキャッチすると、即座に自分の口に運んだ。犬じみた機敏さだ。


「べ、別にそういうわけじゃ……」

「ぜひ」


 ずいっと身を乗りだしてきた加賀崎は、目をらんらんと輝かせ、実に楽しそうである。さっきの真面目な顔はどこへ消えたのか。

 助けを求めて周囲を見渡すものの、ベルタも木鳩もじっとこちらを見つめているので、余計に彼は恥ずかしくなった。そんなにわかりやすいのか? と矢淵は自問してしまう。


 応えるのも面倒になって、矢淵は話題の転換になるものはないかと探す。そこではたと時計に目をとどめた。時間は6時になろうとしている。なんとなく予感がしてスマホをみると、そこには美智留からのメッセージが表示されていた。帰りが遅いから心配しているようだ。


 彼女自身ひとりで心細いのだろう、と矢淵は察する。病気のときはそうなりがちだ。彼はストラップのついたスマホをしまいこむ。


「す、すいません。そろそろ夕飯を作りに帰らなくちゃいけないので」

「そう。それは残念ですわ」


 あっさりと引きさがった加賀崎はベルタに目配せする。ベルタはソファーの裏に置いてあったバスケットを取りだすと、かばんを持って立ち上がった矢淵に手渡した。綺麗な模様の布で覆われたその中には、どっさりとバターサンドが入っている。バスケットに入ったクッキーをもらうことなんて初めてなので、ついまじまじと眺めてしまった。


「矢淵さんが味見をしてから、美智留さんにお渡しください。この季節ですし、味が変わってしまっていたら食べないようにお願いします」

「ご馳走様です。でもそこは心配しなくても大丈夫ですよ。家はそう遠くないですし。……このバスケットはあとでベルタさんに返せばいいですか?」

「ええ。そのうちまたお会いしましょう」


 ぺこぺこと頭を下げながら矢淵は部屋からでていった。こつこつと階段を登り、うるさく防火戸が閉まる音が響く。それから本に囲まれた部屋の中で、三人の美少女はお茶会を続ける。


「やっぱりいないね、ほら」


 木鳩がベルタにスマホを放り投げる。そこには飛行機事故の犠牲者の名簿が表示されている。新聞で公表されているものだ。加賀崎とベルタはそれをスクロールし、何かを探した。


「佐藤という名字は世の中にあふれている割に、この中にありませんね。悔しいですが、木鳩の言うとおりのようです。佐藤美智留という女子は存在しません」とベルタが断定する。

「矢淵という名字はありますから、彼が事故の被害者であることは確実ですわね。学校でも大変な騒ぎになりましたし」

「すぐ鎮火したけどさ、あの時はマスコミが来て大変だったもんねー。それから先生がお触れをだして、すぐに喋らないようになったけど」


 なるほど、とベルタが手を打つ。

「それで矢淵さんが妙な名前を口にしても言えなかったと。『佐藤美智留なんてクラスメイトはいない』……と」


 ふぅ、と加賀崎はソファーにもたれかかる。どうやらこの問題はこのメンバーで解決するしかない、と判断したからだ。普段は被害が出てから対応するのが鉄則なのだが、今回は未然に防げる可能性が高いうえに、メンバー自身の生活に影響する可能性がある。ただこういった場合は被害者にどうやって納得させるのか、そこが悩みどころだ。


「それにねー、彼が美智留ちゃんのことを口にしだしたのはここ最近なんだよね。どっちかっていうと、大家さんとしてアパートの修理とか見積もりとかで忙しくしてたイメージしかないのに、いきなりおかしいって」


 得意げに語りはじめた木鳩に加賀崎が微笑する。


「ずいぶんよく知ってるのね、悠季ちゃん」

「そりゃー同じ屋根の下に住んでたら嫌でも気づくよ? ベルちゃんと一緒に住んでるならわかると思うけど、どっちかが寝つけなかったら物音で気づくでしょ。そんなもんじゃない?」

 木鳩はそう言いつつ目を泳がせた。

「さて。どういたしますか? 精神感応系だとしたら、本体の火力はさほどでもないと思いますが」


 加賀崎はそれには答えず、ソファーから立ち上がる。


 本棚の一つに手をかけた加賀崎は、分厚い百科事典を抜き取るとその隙間に手を入れる。すると、本棚が大きな観音開きのドアのように開いた。


 その中には檻がかかった小部屋があった。壁にかけられているのは、多種多様な銃器に刀剣、鈍器だ。


「穏便に行く気はありませんか?」

 意地悪くベルタが聞くと、加賀崎は上品な表情を崩して薄ら笑いを浮かべる。

「私達に『穏便に』という言葉は似合いませんわ」


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