哲学的回避
またたび
哲学的回避
「仮にあなたが僕に近づいてきたとしよう」
「? どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。例えば僕とあなたは現在多少なりとも離れている訳ですが、まあだいたい距離を5mくらいとしましょうか。するとまず、あなたは僕に触れるためには半分の2.5mまで到達しなければいけないことになります」
「ふむ」
「そして次にあなたは、2.5mの半分、つまりは1.25mまで到達しなければいけないのですが……。そこに辿り着くと今度はさらに1.25mの半分まで到達しないといけないことになり、さらにはそこからさらに半分までの位置に到達しなければいけないことになり……あれれ、おかしいですね?」
「ん?」
「そうです。この理論に基づくと、あなたは常に半分まで行かなければ辿り着けないことになり、これをし続けるとキリがなく、結果的にあなたは僕の元に辿り着けなくなるのです」
「5mしかないのにか?」
「ええ」
「ふん。詭弁だ」
「なら仮にあなたが僕の側まで辿り着けたとしましょう。そこから仮にあなたが僕を殺そうとしても、ナイフを首へ一突き……なんてしようとしても、この理論に基づいてしまえばそのナイフは僕の首元には辿り着かないことになってしまいます」
「だから詭弁と言っているだろう」
「では仮に僕がそのナイフに刺さり死んだとします。その死んだ……というのはどういう状態をもってして死んだと定めるのでしょうか?」
「? どういう意味だ?」
「こんな話を知っていますか? 最近の研究によると思い込みの力というのは素晴らしいようで。プラシーボ効果……確かそんな名前だった気がします。ではここで一つ二つ、考えてみましょう。僕が死んだと思い込めば実際に僕は死ぬのでしょうか? 逆に生きていると思えばどんな状態でも僕は生きているのでしょうか?」
「生も死もそんな単純なもんじゃない。思い込みだけでどうにかなるわけがないだろう!」
「ほお、実に面白い解答だ。あなたは、死ぬから死ぬと思うのですね。僕は逆です。死ぬと思うから死ぬのではないか、と」
「どういう意味だ?」
「まあ質問せず黙って聞いててください。例えば殺すという概念を知らなければどうでしょう? 殺すことなんてできませんよね? 喋るという概念を知らなければどうでしょう? 喋ることなんてできませんよね? 例えば椅子という概念を知らなければどうでしょう? 目の前にあるものを椅子と思えるでしょうか? 答えは全てNOです。認識できないことを成し得るなんて不可能な話ですから」
「ふむ。だが、だからと言ってお前が死なない理屈にはならないだろう。だってお前は死ぬという道理を知っているじゃないか、こうも語れるくらいには」
「ええ、それはまあ」
「それに、人間のような知能が高い生き物じゃなくても、生きたり死んだりする。それは、生死の概念が当たり前の摂理だからだ。知らないままでいられるはずがない、本能的にな」
「まあそれもそうですね」
「ふん。やっと詭弁が終わったか」
「ではそろそろケリをつけましょうか」
「? どういう意味だ?」
「もう気づいちゃっていいんですよ、死んでること」
「はっ?」
「そもそもあなたが僕に近づいてくる前提からおかしいのです。僕が近づいてるのですから」
「えっ?」
「5m離れてます。現在、あなたと僕は5m離れてます。しかし、座標的に言うのならばそれは-5mです。とっくに僕はあなたの隣を通り越して、あなたの後ろにいるのですよ」
「えっ、えっ、はっ!?」
「確かにあなたの言うことも一理あるようで。生死の概念に関しては、思い込みなんてものは通じないようです。一時的にしか」
「なんだこれは……! ち、血まみれじゃないか、なんで……! 武器なんて!?」
「あなたの知らない武器だった、それだけですよ。概念として知らないものはそれを武器として認識できませんから」
「そんなバカな!?」
「あなた……殺されたのに気づいてなさそうだったので、つい好奇心で遊んでしまいました」
「? どういう意味だ!?」
「まず、決着が既についていることを自覚させないために、あなたが僕に近づいて殺そうとしているというデタラメをやんわりと認識させてあげました。僕を殺そうとしていることは覚えていたようなので、あとはあなたが僕に近づいてきたとするという仮定を言うだけで十分でした」
「そんな……!」
「そして、生死の概念すらも超えたあなたのプラシーボ効果がいつまで続くか鑑賞しようとしていたのですが……尋常じゃない汗に、焦ってるのか序盤とは打って変わってやけに喋る様子、無自覚ながらに体がこの事実を認識し始めていることが分かったので、実験は以上としてネタバレをしようと思った次第です」
「信じられない! だって殺された瞬間の記憶なんて全く!」
「脳が都合の悪いこととして忘れようとしたんですね。ですが、よく思い出してください。今までのこと」
そう言われて記憶を振り返る。
このままでは真実を知る前に自分は死んでしまう……それだけは耐えられないと必死に記憶を遡る。
だがしかし。
今を起点として必死に過去の記憶を追いかけている自分に、あの忌々しい言葉が蘇る。
『そして次にあなたは、2.5mの半分、つまりは1.25mまで到達しなければいけないのですが……。そこに辿り着くと今度はさらに1.25mの半分まで到達しないといけないことになり、さらにはそこからさらに半分までの位置に到達しなければいけないことになり……あれれ、おかしいですね?』
過去の中間地点に辿り着いても、まだその記憶までは辿り着けない。
そこからゴールまでの中間地点に辿り着いても、まだその
あの忌々しい屁理屈が! 詭弁が! 精神論では通じることに震えながら、それでも、必死に思い出そうとした。
だが、どう足掻いても、そこまでしか思い出せないのだ。
『仮にあなたが僕に近づいてきたとしよう』
この言葉まで、しか。
そんな自分をバカにするように奴は微笑みながら一言。
「残念ながら、物語はそこからしか描かれてないようですね……言ったでしょ、ないものは認識できない。記憶を遡るのもそこまでが限界です、諦めなさい」
「ふざけるな……! 殺された記憶も思い出せず死ぬなど……認められるか! そもそもどれほどのショックであったとしても、記憶がなくなるなんてあり得るはずが……」
「それは詭弁ですよ。実際に起きてることなんですから」
「そ、そうだ、これは夢だ……夢に違いない、それならこんな無茶苦茶なことだって納得できる……!」
「だから詭弁と言っているでしょう」
哲学的回避、前者成功後者失敗。
哲学的回避 またたび @Ryuto52
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます