弔い

 彼女は、喜びと楽しみを崇拝した。何もかもを、嫌がらせも、死ぬことも、喜びに変え楽しんだ。そして、人を恨むことは無く、悲しむ事も怒る事も無く、狂った人間の様に、笑い喜び、楽しんだ。

 笑い病。この病は人から人に伝染するとされている。人が意味もなく笑ってしまうのは、この笑い病の為とされている。

 喜びの悪魔は、喜ぶことを、やめない。喜びからしか、動かない。腹を抱えて笑っている。下品な笑い声だ、しかし、笑う事をやめないのだ。

 楽しく、嬉しい、その感情しか存在しない、そんないかれた能力。その人間は、笑う事しかできない。楽しむことしかできない。喜ぶ事しかできない。絶望を知らないし、知れない。其れは、病、希望しか見れない病、笑ってしまう病、恐怖の感情も無く、ただ笑いに笑い、楽しみ、喜ぶ病。


 「私は、笑う事しかできないの。ねえ。どうしてなの。嬉しくって、楽しくって、仕方がないの、ねえ。だけれど分からないのよ。どうして、こんなに、嬉しいのか笑っているかが。不快が無いの、ずっと笑っていられるの。ねえ、如何してなの。どうして、私はこんなに。」

 

 彼女は、何をするときも、気丈にふるまった。

 

 「笑い病だな。其れは。数億人に一人の病だ。そして感染症だ。」

 

 「対策は、なるべく笑わないことだな。苦いものを飲む。のが治療法として知られている。人間に近づかないというのも、その治療法の一つだ、山に籠る事をお勧めするよ。」 

 

 現代社会は、対人関係上のコミニケーションから、とにかく愛想よくしとけ、笑っておけといった風潮があり、特に女はこの病にかかりやすく、笑わなくてもいい時に笑ったり、面白い事をいって、笑いを感染させようとするような、そういった、症状がみられるのだ。 

 

 「人を笑わせようとしなくていいんですよ。この病の人は、人の機嫌を気にしますからね。」 

  

 「私、暗いのは苦手なんです。」

 

 「陽気にしてないと、嫌われちゃうかなって。ついつい、笑いを取りに行っちゃうんです。」 

 

 「其れは、重症ですよ。」

 

 「歌を歌って、周りを楽しませたりとか、贈り物を送ったり、とにかく他人の為に何かしていないと不安で、人から感謝されるのが好きなんですよ。いい事をしていないと、神様にも見放されると思って怖いんです。」 

 

 「これは、酷い症状だ。一人になった方がよいでしょう。無駄に交友関係を結びすぎなんですよ。要らないです。あなたのような人は、何もできないクズですよ。他人ばかりにたよって、見放されるのが怖いからと、笑い、贈り物を送る。これは病気です。不愛想で結構ですし、そんな事で居なくなる程度の関係は捨てて終いなさい。」


 「一人になったことありますか?いつも誰かと一緒に行動する、貴方は山に籠り、自分と向き合いなさい。」 

 

 毎日座禅を組んで、瞑想をし、綺麗な山の水を飲み、滝に当たる。

 

 精神を清めるのだ。


 「無理に笑っている事に気づきましたか。無になりなさい。笑ってはいけません。」

 

 己の精神が、世俗に此処迄汚されていたとは、今まで気づけなかった。何という事。

 

 下らない。下族共に、如何して、笑い媚を売っていたのか。みすぼらしい限りだ。世間の下らん上下関係、商売上の取引、仕事、クラブの集まり、こういった、ものがどれ程己の精神をすり減らし、笑いたくもないのに笑わせれ、結婚しろや、彼女、彼氏をつくれ、子供を残せ、しっかりした仕事に就いて、親孝行しろ、世間に示しをつけろなどと、このような、煩わしい事もなく、示しなんぞ、憑ける必要はないのだ、外からの圧力には、イライラさせられる。


 世間の意見は、クソだ。社会不適合者は、社会不適合者で括って仲間扱いし、片輪は片輪で集まり、世間は認知する、なんと、くだらない事か。あの、女だ。彼奴が、言いふらしたんだ。そうあの女、私の秘密を世間に言いふらした。あの女。許すまじき。あの女。 

 

 殺してやる。あの、気持ちの悪い、人を不快にさせるあの女。あの八方美人の、下衆おんな。腐れ外道。彼奴と、あの男さえ死んでくれれば...。


 カタストロフィーを予測出来れば、一体何人の人間の命が助かったことだろう。地震、津波、高波、台風、大雨、洪水、ゲリラ豪雨、大雪、火山の噴火、隕石の落下。そういった自然災害を阻止する、システムが構築できれば、どれだけの被害を減らせるだろうか。突然やってくる災害に立ち向かう事は、徒労に過ぎないのかもしれない。町は破壊される。其れは自然の意志であり、我々人類の現状の技術では成す術もない。

 

 対策なんて物は、精精、非常食くらいなものだ。公共の組織も何ら役に立たない。いつ来るかも分からない助けだ。食う者も日に日に減っていく、このような時、碌でもない人間は、食糧を横暴に分け合うことなく食べるのであろう、サバイバルで生き残るためには、食糧を多めに採るのが恐ろしいものだ、我慢して、何日分かに分けて食べるのが定石だろう。

 

 普段は、欲張りに見えない、あの人が食料を馬鹿の様に食っていた時、此奴殺してやろうかと思った。誰の作った料理だと思っているんだ、なけなしの食糧だぞ無駄にするな。シェフが、旨い料理が作れるシェフがいないと、駄目だ、料理の下手な奴に飯は作らせない事だ。

 

 食料さえ、食材さえあれば、料理は作れるが、どうだろうか。どうして、その食料は狩りか、農業でしか作れないのだろうか。そうだ。クソだ。食べないと死ぬのである。御金ももとは、この食料の備蓄から始まったものだ、そして、集団での国同士の戦争もそうだ。


 苦しんでいれば罪悪感があるとでもいうのだろうか、喜んで、楽しんでばかりの、人間に価値などないのだ。それで自分を許す人間に価値などないのだ。醜くて憎い。病に繋った人間は、喜ばずにはいられなくなる、楽しまずにはいられなくなる。一体、何者が何の目的で人間に、喜びと楽しみを与えたのだろう、生きる事は、苦痛なのに。楽しいとつらいは同義だ。つらい事にしかやりがいは生まれない。其処までの人間だという事だ。実に、不愉快だ。軽々しくて、薄っぺらい、軽薄で、杞憂だ。

 

 直ぐに、喜ぶ、直ぐに楽しそうにする。そんな奴のほうが心配だ。そんな程度の事で笑えてしまう奴が、喜んでしまえる奴が心配だ。そんな程度で楽しめるお前らは、生かしてくれてありがとうってか、バカらしい、ご飯が食べれて、家族で過ごせることが、嬉しいか、楽しいかそんなものは糞にもならない。そんな事は、何も生み出さない。

 

 こいつらは、どうして楽しそうに、嬉しそうにする。自分が楽しそうにすれば周りもそうなるとでも思っているのだろうか。自分が喜べば、周りも喜ぶとでも思っているのだろうか。そんな、奴は処刑だ。


 どうして、笑う。どうして、怠惰でいられる。すぐ笑う。すぐに、泣く。癇癪を起す。


 何が、楽しいのだろう。どうして楽しんでいられるのか。どうして直ぐに自分を受け入れ、許すのか、そんな、生き方が、平凡な、何もない人間を量産しているのだろう。厳しくしないから。自分に厳しくない人間に価値はない、

 

 死体がありました。私は死体を眺めて居ました。どうして死体を埋葬するのかが分かりませんでした。


 「自分が死ぬ時に誰に看取られたい?。誰に供養されたい?」

 

 それとも、死んだら何もなくなるんだから、供養したって仕方がない。無駄な、徒労だと考えるかい?例えば、誰か知らない人の遺体が落ちていたとして、貴方は可哀そうだと、埋めてあげますか、それとも見て見ぬふりをして、通りすぎますか。

 

 どうして、死んでしまったものをわざわざ供養する必要があるのだろう、非合理的だなあ。死んでしまったのが悪いんだ。死んだ奴に何もいう事も、弔いの念を抱くこともないだろう。

 

 ミイラにして永遠を祈るのもいる。ご冥福をお祈りいたします。

 

 眠りについた、彼等彼女等に、一体何を思いますか。記憶ですか。思慕ですか。


 僕にはわかりません。

 

 ただ、弔ったという、記憶だけがあるだけです。懐かしい記憶でした。

 

 死んだ人は、何もしゃべらないので、僕達生存者が、彼、彼女等の生前の行いについてどう評価しようが、死体が其れは違うだとか、それはそうだとか、自分で自分を味方することも、厳しく評価することも、謙遜することもできないのです。

 

 散々に言われていても何も言い返せず。いったい、死んだ後に何が残るのでしょうか。物質的な物しか、残らない。生前の記録をカメラに保存しておくことは出来るが、果たしてそこに、意味などあるのだろうか。カメラには、旅行を楽しんでいる、死んだ人が写っていた。この写真が残っていた、歌っている動画が残っていた、生存者は、其処から生前の彼女のメッセージがないものかと探していた。一体彼女は、なにを思い、考えていたのか、資料には、何も残されていなかった。只、遺品が残っていただけだ。

 

 彼女の葬式には、彼女にゆかりのある人間が参列していた。彼女の生前の行いが良く分かったが、其れが一体何になるのだろうか。その記憶も感情も語り継ぐものが居なくなれば、物質的に完全に消えるのだ。


物事をいいようにしか捉えないくず。低賃金の仕事で満足するような人間にだけはなるな。普通の賃金で世帯を持った人が偉いわけではない、家族持ちが優遇されるのは、子供が幼い内だけだ。

 

 鈍感な振りをしてお惚けする、許すべからざる行為 だ。死体は、腐臭を発している。ホルマリン付けの死体、ドライアイスで氷らされっている遺体、殺してやった。憎き彼奴らを殺した。私は悪くない。財布からお金を盗み、金庫から銀行の手帳を盗み、大金をてにした。


 「ざまあ。ねえな。」

 

 奴の事を弔う人間は誰もいない。笑い人形。歓喜の化け物。


 直ぐに歓喜する化け物。笑い人形。表情筋の緩い安い人間。緩くて安いクズ。優しくもなく、役にも立たないくず。心配症のクズ。常識のあるくず。普通過ぎてみて居られない。平凡の其れそのもの、向上心はなく、平凡を許容している、なんというクズなのだろう。

 

 社会人、定年退職後の老人。実にくだらなくて、見て居られない。結婚して、子供を残すことが幸せだと植え付けられた先入観で、育てられ、そういった価値観を植え付けられ、家庭を持つことが正義とされ、仕事に就くのが正義とされ、そのレールに乗せられ、完全に歯車にされるの


 大きなものに巻かれろ。などというこの世界の大半の人間に価値はない。自分のアイデアを貫き通さない奴に価値はない。大多数の考えに従うマジョリティ(多数派)に価値は無いのだ。流されて年寄りになった人の考えなんて糞の役にもたたない。他人に先導されて、敵勢力に寝返ったお前は裏切り者だ、其れはお前の考えではなくて、他人に動かされた云わばそれだけの、存在だ。他人の為になんていうのは、なんて都合のいい言葉なんだろう。人助けは自分の為にしていしているだけじゃないか。御前なんて他人の為に働いてきたつもりだろうが、其れは、他人の為に懸命に働いてお金を稼いでる私、偉い、賢い、可愛いと言われ、尊敬されたいから。半端な人助けの仕事で給料を貰っているんだから、医療の仕事に就いてる奴は、偽善者の集まりだ。

 

 幼い頃、裕福でなく、住み込みで働いてお金を稼ぎながら、学校に通っていた、彼女には他人の為に尽くすという、如何しようもない、奉仕の精神が植え付けられているようだ。実に惨めな女だ。他人の為に奉仕することが、彼女の精神そのものなのだ。それが素晴らしいことと教えられて来たのだ。家主の為に、働かなければ捨てられるという恐怖を植え付けられ、自分を捨て、他人のために働くように行動を抑制させられ、下女のような性格をはぐくみ、奴婢のそれとなんら変わらないのだ。彼女に権利などあるのだろうか。権利はあるが、あれは、精神にもはや奴隷としての性情が宿っている。そして、奴隷の味方。弱い者の味方をするクズだ。弱い奴は強くなる義務があるのに、その義務は果たさずに、弱い者の味方をするとは、社会のレジリエンスの甘さゆえだろう。

 

 死ねばいい。社会の中で餓死して、死ねばいい。どうして、弱者の声をきくのか。それも、医療スタッフとして働いた人間は、植え付けられているのだろう、マニュアル通りだ。弱者に、負傷者に、障碍者に、患者にその家族に慈悲の心を示し、心中を察する。実に厭な仕事だ。

 

 誰が、赤の他人なんぞの為に働けるものか。命を助けて難になるのだ。他人の命なんてクソだ。何の繋がりもない患者にまで丁寧に治療する、ストレスでおかしくなりそうだ。こんな仕事無くなってしまえばいいのに、こんな奴隷みたいな仕事。


 「退院おめでとうございます。」 

 

 そうした、環境の中で、人間の死相や、人間の考え、その体調に敏感になった。その様子から、人間の動きを予想した。こんな仕事をしていると思う。死んでしまっては元も子も同じだと。患者が無理をして死んだのをよく見てきたし、医療の仕事をするもの同士での、関係も精神を蝕む。ベテランの私は特に責任が重大だし、指示を出すのも億劫だ。


 どうして、こんな仕事に就いたのか。医療関係の仕事は無くならない。し安定している。そんな、安定志向の考えでこんな糞の様な仕事に就いたのだ。正直にいうと後悔さえしている。


 色々な可能性よりも、安定を望んだ私は生来の臆病ものらしい。

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