状況は予断を許さない

「ご主人様、で、どうしましょう?」


 耳を澄まさなくても、ギシギシアンアンが聞こえちゃうこの状況をどうすれば良いのか、それはさすがの大賢者様にも謎だった。

 どうしてこんな場所で、お日様が高い時間からこうなっているのかも、謎でしょうが無い。


「うむ、こんな時は落ち着いて状況確認だ」

「はい」


 俺は腰をかがめて伏せたまま、キラキラ眼の春香に教師のように人差し指を立てて、念話を送る。


「てっきり俺は異世界移転で聖国に移動したと思っていたが、違うかもしれない」

「どう言うことでしょう?」

「状況があまりにも不審すぎる。そうなると、エマさんの記憶の中にダイブした可能性も考えるべきだろう」


 春香は周囲を見回してから小首を傾げた。


「つまり、人がいないのは記憶の中だからって事ですか」

「そうだな、夢の中と同じで、肝心なこと以外はぼやけてしまっているのかもしれない」

「じゃあ何で、こんなアレが」


 そして恥ずかしそうに太ももをこすり合わせながら、門番の詰め所の壁を見上げる。春香の浴衣はすっかりはだけてしまっているし、表情も妙に色っぽい。

 いろいろと決断を急がなければ、大賢者様でも収拾がつかない大変なことになりそうだ。


「印象的な出来事…… 例えば、子供の頃どこかで何かを覗いてしまったことが、心に残っているのかもしれない」

「と、トラウマみたいな?」


 それなら、今の状況に説明が付く。俺が自分の仮説に納得していると……


「じゃあご主人様、その理論だとこのお二人はゲームのNPCみたいなものですか」

「NPC?」

「村人Aみたいな。こっちから会話を持ちかけても、決まった台詞しかしゃべらないような、そんな感じなんじゃないかと」


 なるほど…… たしかにその通りかもしれない。

「じゃあ、春香。思い切って話しかけてみよう」

「今、あの状態のお二人に?」


 しかし、ここで情報収集できないのは痛い。不用意に教会本部に踏み込んで、問題を起こしてしまっては、取り返しが付かなくなる可能性もある。


 これがあの、俺の世界の『大いなる意志』を名乗った者の思惑なら……

 異世界転移なら、教会の人たちに何か問題が起きている可能性が高い。そのためにはまず、情報を集めなくてはいけないだろう。

 エマさんの記憶の中なら、なにかメッセージがあるのかもしれない。その場合は記憶を改ざんしないように、慎重な対応が求められる。


「あ、愛し合う…… 彼らには悪いが、のんびりとしてもいられない。俺が思いきって話しかけてみるよ」

 ほてった顔の、色っぽすぎる春香を見詰めているのもそろそろ限界だ。放っておいたら、詰め所の中の二人も、俺たちも、行ってはいけない場所まで行きそうな勢いだ。


 俺は立ち上がって咳払いをひとつすると、詰め所のドアをノックした。

「誰もいないようなので、ちょっと訪ねたいのだが」


 できるだけ堂々とした態度で、大声を出す。

 知らないふりをした方がお互いハッピーだろうと思い、気を遣ってみたのだが……


 すると詰め所内からバタバタとした音が響き、服を着直す衣擦れの音まで聞こえてくる。

 どうなんだろう、この状況を察した行動だと、『異世界転移説』が有力になってくるが…… これだけでは判断がつかないし、やはりもう少し踏み込んで、情報を収集する必要がある。


「えーっと、どちら様で?」

 首筋にキスマークがバッチリついちゃっている、慌てて服を着ましたって感じの、若い騎士がそっとドアを開けた。


 聖国でも魔王討伐隊に入って以来、俺の名と顔は有名だ。ましてや門番を預る騎士なら、諸外国の重鎮の顔ぐらいはおぼえているだろう。


「サイトーだ」

 胸を張ってそう名乗ると、

「はあ? どちらのサイトー様ですか」

 シャツのボタンもまだろくに留まっていない若造が、首を捻った。


 俺の後ろで「ぷっ」と、春香が吹き抱いた声まで聞こえる。

 ちょっと滑った感があって恥ずかしいが、俺は頑張って情報収集のために話しかけた。


「なぜこの場所に人気が無いのだ」

「街のあちこちにある『おふれ』を見なかったんですか? 今日は『聖女神託』の日で、皆、大聖堂で祈りを捧げています。だからここも、関係者以外の立ち入りを禁止してますから……」

 若い騎士は、更に不審そうに俺を睨む。


 聖女神託とは、聖国が次期聖女を決める大切な日だ。

 前回は国王の子であるアンジェとエマさんが候補となり、神託の日にアンジェが選ばれたそうだが……

 なぜ今になって、聖国は『聖女神託』を行っているのだろう。まさかアンジェに何かがあって、新たな聖女を探しているとか。


 俺は腕を組んで、状況を整理する。騎士の態度や話しの内容から考えると、どうやら…… エマさんの『記憶の中』説はなさそうだな。

 騎士の乱れた服装やキスマークがあまりにもリアルだし、対応も柔軟性に富んでいる。


 そうなると聖国に何かがあって、それを解決させるために、あの『大いなる意志』が、俺たちをここに転移させたことになるのだろうか。


「アンジェに何かあったのか?」

 ついつい言葉がもれると、

「アンジェ姫様は元気でしたよ。今朝も騎士の詰め所まで遊びに来て、聖歌を唄ってくれました。俺たちのアイドルですよ。あの大人しすぎるエマ姫様より、聖女はアンジェ姫様の方が向いてるだろうって、俺たちは…… んん? って、あんた何者なんだ」


 騎士はとめなおしていたボタンから手を離し、俺の格好を眺めると、我に返ったように腰の剣に手を伸ばす。

 まあたしかに、この大陸では珍しい黒髪に黒い瞳の男が、帝国の騎士服を着てこんな場所にいたら、疑われても仕方がない。


 さて、どう説得しようかと考え込んでいたら……

 騎士服の男の青い瞳がキラリと輝き、俺の実力を探るようなサーチ魔法が展開した。見てくれはチャラいイケメンだが、その動きにスキはない。


 騎士の言葉を信じるなら、この時期にひとりで正門を任せられるぐらいだから…… ひょっとしたら聖国でも実力を認められた騎士なのかもしれない。

 まあ、やってたことがちょっとアレすぎるが。


「我は、賢を極めしケイト・モンブランシェットの弟子にして、その業と意志を継ぎし者。大賢け、け……」

 無意味な戦いをやめさせようと、名乗りを上げようとしたら、『大賢者』のところで魔術がキャンセルされた。

 この感覚は、この世界の『大いなる意志』に拒絶されたような気が……


「はっ、世迷い言を!」

 騎士が俺の首を狙って、腰の長剣を抜く。魔力の乗りも、剣の早さも申し分ない。――やはり相当の腕だ。

 魔力が使えなくなった俺は、ギリギリのところで体を後ろにそらし、その剣をしのぐ。


「ほう、初見で俺の抜刀術をかわしたのはお前が初めてだ。自慢して良いぞ、詐欺師!」


 魔力を乗せた言葉で『大賢者』を名乗れるのは、大いなる意志に選ばれたものだけだ。しかしそれを悪用し、魔力を乗せたふりをして、師匠の名をかたるものもいたと聞く。


 きっとこの騎士は、俺のことを、それと同じように師匠の弟子を名乗る詐欺師だと判断したのだろう。

 そしてこの騎士は『初見でかわした』と言ったが、それも間違いだ。あんな剣技を魔力なしで、初見でかわせるかどうか。さすがの俺でも自信が無い。


 俺はこの剣筋を一度見たことがある。間違いない…… こんなことができるのは、この異世界でもひとり。

 聖剣ラン・ブレードだけだ。


 姿があまりにも若かったから今まで気づかなかったが、その青い瞳と整った目鼻立ちは、たしかに彼で間違いない。


 以前ふらりと師匠を訪ねてきて、ボコボコに返り討ちにあっていたが…… 師匠もその実力を認めたし、負けた剣聖も、

「剣はまだまだ奥が深い! それに、実にこの世は面白い」

 と、なぜか俺の顔と師匠の顔を見比べながら、大笑いした。


 そう言えばその昔、聖国の騎士として活躍したが、問題が多すぎてクビになったって聞いたこともある。


 なかなかの豪傑で、シスターちゃんを何人も毒牙にかけちゃったとか、酔っ払いながら魔族軍の一個小隊を、たったひとりで全滅させたとか……


 そうなるとここは今の聖国でもなく、エマさんの記憶の中でもないのだろう。

 かの名探偵も言っていた。どんなに可能性が低くても、考え得る選択肢を全て網羅し、消去法で生き残ったのが…… 唯一の事実だと。


「だが、これはよけられねえだろう」

 俺がその事実におどろいていると、ラン・ブレードは剣を下段に構え、ゆっくりと左足を前に出しながら小声で詠唱を口ずさむ。


 それは聖剣流の代名詞でもある『残動剣ざんどうけん』の構えだ。


 彼が創始者である魔法剣最大流派の必殺技。下段の切り上げから上段の振り落とし、そこからさらに突きを一気に行う、三段コンビネーション。

 一般的な長剣流派に多い基本技だが、彼はその魔力とスピードで残像を発生させ、敵に動きを察知されることなく、自分の剣を当てた。


 まだ流派を立ち上げる前だが、この技はどうやらもう完成しているようだ。


「まて!」

 俺はなんとか説得しようと声をかけたが、ラン・ブレードは嬉しそうに口の端をつり上げると、正に神速で踏み込んでくる。


 目の前に複数のラン・ブレードの残像が舞ったが……

 初撃をバックステップでしのぎ、二撃目をサイドステップすると、突きを構えた騎士服の男が俺の真正面に現れた。


「ちっ!」

 舌打ちと同時に踏み込んできたラン・ブレードに、俺も同時に踏み込む。

 魔力キャンセルされたせいで収納魔法すら開かなく、ニョイも出せなかった俺の狙いは、カウンターのボディー。

 師匠直伝の『ローリングサンダー・ストマック・大賢者ブロー』だ。

 セクハラで怒る師匠が良く使ってきたこのパンチは、まともに食らうと一晩は動けない。


 突きをかわしながら体を沈め、渾身の右フックをその空いた腹に打ち込むと、

「ぐおっ」

 ラン・ブレードは踏みつけられたカエルのような声を出して体をくの字に曲げ、パタリと音を立てて倒れた。


「ご主人様!」

 同時に、詰め所の陰に隠れていた春香が駆け寄ってくる。


 ガッツポーズを決めそうになり、重大なことに気付く。

 思わず天を仰ぐと……

「ど、ど、どうしたんですか?」


 春香が心配そうに聞いてきた。

「どうやらここは、過去の聖国のようだ。時間転移魔法は、運命を変える可能性のある魔法の最大禁忌のひとつだが、どうやら俺たちはそれに巻き込まれたようだ」

「そうなんですか…… で、いつの時代に来ちゃったんですか?」

「エマさんとアンジェのどちらを聖女にするか選んでるようだから、十数年前だろう」


 そして倒れている騎士に向かって大きくため息をつくと、春香も同じように視線を向ける。


「で、この方は…… お知り合いか誰かで?」

「ああ、この世界最強と言われる魔法剣士の若い頃で…… 彼の最大の武勇伝が、『聖女神託』の際にしのび込んできた賊を、討伐したことだ」


「それって、ランなんちゃらさんですか?」

「どうして春香がその名前を……」

「みんなで恋バナしてたときに、その武勇伝をアンちゃんから聞いたことがあって…… たしかアンちゃんとエマさんの初恋の相手です」


 その話を聞き、俺はいろいろと不安になって、気を失って転がっている色男を足でつつく。ま、まさか幼い頃のアンジェやエマさんに、こいつ手を出してないだろうな?


「ご主人様…… さすがに殴り倒した相手の顔を踏みにじるのはどうかと」

「はっ! なんてことだ。無意識につい」


 自分の行動におどろいて、足をよけると、

「じゃあ早速、その賊とやらを成敗しちゃいましょう」

 あっけらからんと、春香がそうおっしゃった。

 俺が首を捻ると、


「もうこれ、あたしたちでその賊を討伐して、歴史を守るミッションでしょ。ラノベやアニメでもよくあるパターンじゃないですか」

 とても楽しそうに微笑み返してくる。


 たしかにそう考えれば、いろいろとつじつまは合いそうだが、

「しかし今、俺は魔力がほとんど使えない。はたして若かりし頃の剣聖が苦労した、その謎の賊を倒すことが……」

 そこまで話したら、春香がため息をつく。


「えーっとですね、それは、その剣聖さんを素手で殴り倒した人が言うセリフじゃないと。それにそろそろ、あのシスターちゃんをなんとかしないと」


 春香の視線を追うと、詰め所の奥のソファーで、シーツを抱きしめた半裸の美少女が、口をぽかんと開けてこちらを見ている。

 もうなんか豊満な横乳がコンニチハしてて、アレでソレで、危険極まりない。



 ――どうやらまだまだ、状況は予断を許さないようだ。

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