それでもまた日は昇る その4
「ドーモ、大賢者サイトー=サン。サスーケ・フクベです」
壁をぶち壊して侵入してきたド派手なニンジャは、真っ赤な衣装をひるがえしながら両手を合わせると、俺にお辞儀した。
脱衣所に展開している魔方陣は崩壊寸前で、外からの圧力に負けて妙な変化まで始めていたし、俺の手の中の爆破コアは今にも破裂寸前だ。
心配なのか、春香が不安そうな瞳で俺を見詰めている。
ここは俺の度量の深さを見せるべきだろう。
春香にとっても大賢者とは、常にゆとりを持った超絶な存在のようだし。
「ドーモ、サスーケ・フクベ=サン。大賢者サイトーです」
俺は派手すぎるニンジャと同じように両手をあわせて、不敵な笑みを浮かべながらお辞儀をする。
サスーケは俺の態度に感心したかのような笑みを浮かべたが……
「もう、こんな時になにやってんですか」
春香はとても悲しそうな顔をした。
うん、ゆとりとは実に難しいものだ。俺が異世界にいる間にそれを教育に取り入れようとしたそうだが、失敗して当然だったのだろう。
――価値観は、人それぞれだからな。
俺が日本の教育について思い悩んでいたら、
「奥ゆかしい女性と秘め事めいた最中、誠にブレーとはぞんじマスが、急を要するアンケン。マザーの命により、この空間の制御にハセサンジ、ソーロー」
サスーケは俺に背を向けると、早速とばかりに人差し指を立てた状態で両手を組み、怪しげな呪文を唱えながら、脱衣所の魔方陣の修復を始めた。
呪文の途中で「にんにん」とか呟いているから、忍術のつもりなのだろうか?
術も格好もふざけすぎていたが、サスーケは俺でも制御が困難だった外からの圧力をいなし、空間を安定させ始めていた。
その技と力は神の領域に達していたし、なにより相手の術をよく知っているような感じだ。――と、なると、やはりサスーケは新たなる神の使いか何かで、この圧力を掛けているのは、この世界の『大いなる意志』なのだろうか。
「ご主人様…… あの妙な人は、敵なんですか? 味方なんですか? ちょっと謎すぎて、どこから突っ込むべきかわかんないです」
悩み込んでいたら、春香が乱れた浴衣を更に乱しながら、上目遣いに寄りかかってきた。
俺としてはその妙に色っぽい仕草も謎だが……
「奥ゆかしい猫の少女よ、今は敵でもなければ味方でもありませんデス。ただ利害が一致しているだけ。マッポーの世は常に移ろいケリニ」
「そ、そーなんですか」
春香は首を捻りながら、俺に体を密着させる。そして腰に回してきた手をさわさわと動かしながら、バスタオルの下に侵入させた。
たしかに今は
ニンジャの目的や、その存在理由。そして我が弟子たる春香の謎の行動。
夜も遅いし、もういろいろと面倒くさいから、このまま家に帰ってゆっくりと休みたい。しかし、手の中の起爆術式と未だ宙に浮かぶエマさんを、放っておく分けにはいかないだろう。
時間停止魔法をサスーケが制御してくれるおかげで、他の魔法が使いやすい状態だから、今のうちに動く必要がある。
まずは不測の事態に備えて、この防御力の低い姿をなんとかしよう。
春香の危険な魔の手も、バスタオルの下でナニかを狙っているからな。
「衣よ、俺を守れ」
空間が遮断しているせいか収納魔法までは手が届かなかったが、ローブも騎士服も脱衣所のカゴの中にあったから、直面の危機のひとつは回避できた。
「ちっ」
いつもの姿に戻ると、春香がつまらなさそうに舌打ちしたが…… うん、聞かなかったことにしておこう。
乙女心とは複雑奇怪で、今考え始めたら、きっとこの局面を乗り越えられない。さすがの大賢者様にも、得手不得手はある。切羽詰まった今、この悩み事の優先順位は日本の教育問題より後回しだ。
次に優先しなくてはいけないのは、起動してしまった爆破術式だ。
「収納魔法に届かないなら、ここで止めるしかないか」
術式の解読は済んでいるし、サスーケのおかげで魔力も限定的だが使える。これなら問題ないだろうと、手のひらに封印の魔法陣を展開させると。
「……待って、い、……いました……」
脳に直接、ノイズ混じりの年老いた女性のような声が響いた。
慌てて封印魔法を止めようとしたが、
「むっ! すでに侵入しておったか!!」
サスーケが背にした刀を抜いて、膨張を始めた爆破術式に切りかかっても、
「ご主人様ー!」
春香が俺を守るように、落雷に似た電子制御魔法を発動しても……
俺は意識ごと、爆破術式に吸い込まれるように何処かへ強制転移させられた。
× × × × ×
「歴史上、やまなかった雨はなく…… どんなに暗い夜が続いても、それでもまた日は昇ります。これで歪んだ力は全て転移のエネルギーに変換されましたから、あの雨もやみ、爆破も起きることはありません」
長距離転移を行う時に感じる、前後左右の感覚すら消失した真の暗闇の中で、その老女のような声が初めてクリアに聞き取れた。
ひょっとしたら、地球では邪魔をする存在がいて、彼女は会話すらままならないのかもしれない。その声の魔力波長は、俺のよく知る異世界の『大いなる意志』と似ていたが、何処か疲れたような弱々しさも感じられた。
俺にしがみついていた春香がブルリと震える。どうやら春香もこの強制転移に巻き込まれてしまったようだ。
俺は老女の声に意識を集中しながら、春香を守るために抱き寄せる。おかげでムニュとかポヨンとかの感覚がより鮮明になったが……
ここは安全が優先だろう。
「あなたが地球の大いなる意志か」
「そのような意味の言葉で、呼ばれていたこともあります」
「俺を、俺たちをどうするつもりだ」
「日は必ず昇れども、生きとし生けるものが安らぐ明日が必ず来るとは限りません。この世界と、異なる世界をつなぐ『歪み』の調停者よ…… 希望をつなぐ、架け橋となってくれぬか」
この言葉を素直に信じれば、いつか師匠が言っていた、俺を異世界に転移させた『リリアヌスの真の意図』である二つの世界のバランスを守る使命。――それが地球の『大いなる意志』の目的となる。
「リリアヌスに俺や陛下の異世界転移を起こさせたのも、あなたの狙いなのか。それに、エマさんをどうするつもりだ」
「あの世界の神々の願いも我と同じ。あの歪みし力に操られた少女を救う方法は、この先にある」
そうなると陛下を異世界に戻すのも、エマさんの今の状態を何とかするのも、この声の主の依頼を受ける必要がありそうだが……
どうしても、あのニンジャもどきが悪人とは思えない。新たな悪しき神がニンジャの言う「マザー」だとしても、この「大いなる意志」と名乗る声が必ず正しいとは限らない。
いつか師匠も言っていた。
「良いだろう。だが俺は、賢を極めしケイト・モンブランシェットの弟子にして、その業と意志を継ぎし者、大賢者サイトーだ。もしその依頼が
師匠から受け継いだローブをひるがえしながら、老女の声に応えた。
「願ってもないことです。我と異なる世界の意志が認めし調停者よ」
少し嬉しそうな、それでいてどこか含みがありそうな笑いと共に、そんな声が聞こえ……
俺と春香は、暖かく輝く緑の光に包まれた。
× × × × ×
転移ゲートをくぐり抜けると同時に、俺は周囲を警戒しながら自分の魔力回路のチェックを行う。
「ご主人様、ここは」
春香は俺にしがみついたまま、キョロキョロと辺りを見回した。
俺たちの背には高さ五メートルを超える白い壁が続き、正面には美しい噴水がある。噴水沿いに石畳の道が延び、フランスの凱旋門のような大きな白い建築物がそびえ、その奥には白亜の塔が二つ堂々と構えていた。
その規模は、地球上のどの建築物よりも大きい。
俺が知る限り、帝都城の次に大きな建造物だ。
「ここは異世界の神聖王国の教会本部、別名『
「アンちゃんから聞いてはいましたが、想像を絶する大きさですね。上の方なんか雲でかすんで、どこまで伸びてるのか見当も付かないです」
春香はアンジェが治療で日本にいた頃、仲良くしていたから、色々とこの世界の話も聞いていたのだろう。物珍しそうにしているが、怖がっている感じはしない。むしろどこか楽しそうだ。
「こっちの大型建築物は地球と違って、魔法建造だからな。根本的な理論が違ってて、大きさに半端がない」
地脈から湧き出る魔力を元に建てられたこの教会は、今でも「成長」を遂げている。そしてそこに、二万人を超える教会関係者が暮らしていた。
だからこの
高さ二キロメートルを超える二つの塔を中心に、半径八百メートルに渡って大小の建物が群生し、それぞれの建物が生物のように絡み合っている。
まるで二本の白い巨木が、根をさらして並んで立っているようにも見えた。
「ご主人様、一度来てみたかったので嬉しいです。でも、さっきの話だと…… エマさんや陛下さんを助けるために、何かしなくちゃいけない感じですね」
「そのためには情報が少なすぎるから、その準備からだな。悪いが春香、手伝ってくれ」
「もちろんです、ご主人様!」
笑顔で俺の腕に絡みつく春香には申し訳ないが、悪い予感しかしない。
俺の魔術回路に狂いがなかったのが、せめてもの救いだろうか。
「ここが
空は青く澄み、風は暖かく心地よい。陰の位置から考えても、昼下がりの二時か三時あたりだろう。ならこの場所には平日休日を問わず、日中は教会に訪れる信者や観光客が大勢いるはずだが……
「じゃあ、あの門の中の人に聞いてみましょう」
春香が指さした正門の横にある詰め所からは、不審な気配がしている。
「良く人がいることに気づけたな」
「隠れてるつもりかもしれませんが、ただならぬ雰囲気がダダ漏れですから」
特に殺気は感じないから、春香の言うとおり直接聞くのが手っ取り早いかもしれない。過去聖国には三度訪れたが、貴賓待遇でもてなされたし、アンジェと連絡が取れれば話も早い。
俺は異世界の言葉が春香にも理解できるよう翻訳魔法をかけ、念のため姿が見えないよう隠ぺい魔法もかけておく。
なんせ、こちらの世界で浴衣姿は目立ちすぎるし、いつものメイド服も…… この場所では目立ちすぎだ。
手荒なまねはしたくなかったが、嫌な予感がするので気配を消し、早足で門の横にある詰め所まで移動する。
二人でしゃがんで、詰め所のドアの横で耳を澄ますと……
「シ、シスターちゃん!」
「あん、ダメ、騎士様」
「そ、そんな、俺はもう」
「あ、ダメ、そんなところ。もっとグッイとこないとダメですよ、あん」
そんな若い二人の、ただならぬ会話がダダ漏れだった。嫌な予感の原因が分かって少し安心したが、なぜか春香の瞳がキラキラしている。
さて、どうしたものやら。
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