ぐ腐腐腐っ♡

 全然忍んでいない男の色気ムンムン自称ニンジャとチェスボードを囲んで分かったことが三つ。


 ひとつ目は、彼のチェスは恐ろしく理詰めで行われていること。

 まるでコンピューターとプレイしているようだ。


 二つ目は気配を消しているつもりだろうが既に数人の刺客が店内にいたこと。

 龍王キングやクイーンもその気配に感づいているようだが、手出しをしないで様子を見ている。きっとそこから殺気が感じられないからだろう。


 しかしあのニンジャたちの実力は未知数だ。何が起こるか分からないから注意は必要だろう。


 そして三つ目は…… 第三ボタンまで外したシャツの隙間から金髪の胸毛が風もない室内で何故かそよいでいることだ。


 いったいどんな仕掛けなのか見当も付かないが、こんなムンムンの色気男がそんな意味不明の魔術を使用するなんて危険極まりない。


 加奈子ちゃんや麻也ちゃんを避難させて正解だった。俺は不測の事態に備えて気持ちを引き締めながら背筋を伸ばす。


 そもそもチェスのようなボードゲームはコンピューターが可能性を全て解析しきれば人が勝つことは出来ない。


 それは限られた駒とルールで戦う以上、どうしても避けられないことだ。


 実際、俺が異世界へ行く前にチェスのチャンピオンたちがことごとくコンピューターと対戦して負け始めていた。


 可能性の広がりがチェスに比べて膨大な将棋でさえそうなった今、チェスは完全にコンピューターに勝てないと思われていたが……


 俺が異世界に居る間、ひとりの天才が当時最強のコンピューターにチェスで勝っている。


 その天才は、チェスの世界では珍しい日系人。戦法は、攻撃の意思を見せずひたすら我慢し続けることでコンピューターに「自らが優勢である」と錯覚させ、周到に規格外の逆転現象を起こす配置に追い込み、一気に攻撃に動くことで勝利した。


 素晴らしかったのはそのコンピューターさえ欺いた逆転の囲みでも、一気に攻撃に転じた攻めの強さでもなく……


 対戦相手のコンピューターにさえ馬鹿にされたような手を打たれても、己の矜持を貫き最後まで差し切った精神力だ。


 それは俺が信じる『強さ』の本質だし、大賢者としての矜持にも重なる。


 鍛え抜き、考え抜き、己が信じる正義に乗っ取り…… たとえ多くの人に馬鹿にされてもそれを実行する。


 俺はそのコンピューターさえ欺しきった天才の駒はこびを脳内で思い返した。

 そして盤上の駒を確認してひとつの可能性に気付く。 ――そう、期せずして今の状況はその戦法が可能だ。


 対戦相手のムンムン色気男は加奈子ちゃんたちと対戦する際に手を抜いてプレイしていた。付け入る隙があるとしたらそこだろう。


「おやサイトー=サン、それは悪手では?」


 俺が駒をとられるのを嫌うようにクイーンを逃がすと、サスーケ・フクベと名乗った男は首を傾げながら微笑む。


 ムンムンの色気男のくせにどこかその表情に子供っぽさがあって、何故だか憎みきれない。


「そうなのか」

 とぼけた口調で聞き返すと、


「らしくないデスね」

 やはりコンユーターで計算したような最善の手で攻めてくる。


「まるで俺の実力を知ってるみたいな言い方だな」


 この世界に帰ってからは加奈子ちゃんや麻也ちゃんとお遊び程度のチェスをプレイするか、気分を変えたいときに改造スマホでインターネット経由のコンピューター対戦をしたぐらいだ。


 異世界転移前の対戦だって地方の子供チェス大会だから幾ら優勝経験があるとはいえ、今尚そのデータが残っていとは思えない。


 不思議に思い鎌をかけるようにもう一手、逃げに見える駒はこびで応えると、

「賢を極めしケイト・モンブランシェットの弟子…… それはハッタリめいたコケオドシではありません。ノウあるフェニックスは爪を隠すでしょうか? いやしかしこの手は……」


 サスーケ・フクベは手をさ迷わせながら自分のポーンを持ち上げて最善と思われる場所にそっと駒を置いた。


 やはりその手口はコンピューターのようだ。

 近年ではスマートフォン等を利用したカンニングがチェスや将棋のプロの間でも問題になっていると聞く。


 俺は何処かで彼がコンピューターにアクセスしていないか探査魔法を放ったり視線の動きをチェックしたりしたが、そんな気配はみじんも感じない。


 どこかこの世界に戻ってきたばかりの頃の魔法のズレのようなものが感じ取れたが…… 俺は軽く頭を振ってその可能性を捨てた。

 あれは下神の呪いやクイーンの枷が原因のはずだ。


「師匠を知っているのか?」

 俺は間髪入れずに攻めとも守りとも関係ない場所にナイトを移動する。


 相手がカンニングしているかどうかは分からないが、この理詰めのチェスを崩すなら勝負はここだろう。


 インターネットで知った天才チェス・プレーヤーは実力を隠しきることでコンピューターの計算を狂わせたが、ポイントはそこだけじゃない。



 将棋や碁も同じだがボードゲームの戦局は序盤・中盤・終盤と三つに分かれる。

 序盤戦オープニング定跡じょうせきと呼ばれる昔から研究された最善とされる決まった手による進行が多い。


 将棋なら『穴熊囲い』と呼ばれる防御陣形を整え『飛車』の配置によって攻撃戦法を変える『居飛車穴熊』や『振り飛車穴熊』が有名だ。

 チェスの序盤戦オープニングで最もメジャーな手は『シシリアン・ディフェンス』と呼ばれる駒はこびで、トッププレーヤー同士の対戦はだいたいこの定跡を追う。


 理由は簡単で、それが既に解析された最善の手だからだ。


 そしてディフェンスが完成して駒の取り合いが始まる中盤戦はこの『定跡』から外れ、知識と想像力と発想の勝負に変わる。


 可能性の枝葉が多くコンピューターが最も苦手とする局面だが、『ゲーム木』と呼ばれるプログラムがそれを解決した。


 局面の良し悪しを数値化して常に最善の着手を決定する評価関数だけではどんな優秀なプログラムでも人の持つ『想像力』に勝つことが出来なかったが、着手ごとに枝分かれしていく『ゲーム木』を作り、数手先の局面で評価関数を使用することで現在の常勝無敗のプログラムが完成する。


 しかしこの『ゲーム木』にも弱点がある。


 ゲーム開始から終了までの完全なゲーム木を再現できれば最善手を見つけることができるが完全なゲーム木は巨大な森のようで、まだ最新のコンピューターでもその森全てを扱うことができない。

 そこで枝刈りと呼ばれる可能性の削除を行うアルゴリズム上の工夫が行われる。対戦相手の攻防から広がる枝葉から何を削除するかがポイントになるが、その選定基準は相手プレーヤーの癖や実力だ。


 だからこの盤面をひっくり返すならプレーヤーが変わり、中盤にさしかかった今しかない。


 異世界で修業していた頃の師匠の言葉が脳裏に響く。

「木を見て森を観なければ細事に溺れ、森を観て木を無視すれば大局は整うが足下が崩れる。けんとは木の葉を知り、森を想像することじゃ」

 あまりにも理想論過ぎるがそれを行うのが大賢者の勤めなのだろう。



「もう既に感づかれておりますでショーが、我々は異世界にも情報網を持ってマス」


 サスーケ・フクベは目をゆっくりと閉じてからまた計算尽くされた場所にポーンを移動する。俺の局面は悪くなるばかりだが、すぐさまもう一度関係ないと思えるような場所にクイーンを移動させた。


 やつがこの手に気付かなければ、後一手で逆転の囲みが完成する。


「おもしろそうな話だな」

 平静を装おって問いかけると、男は手を止めてとても楽しそうに微笑んだ。


「ヒカル・ナカムラ」


 ぽつりとサスーケ・フクベはコンピューターに勝利した天才チェス・プレーヤーの名をもらし、

「人にチェスで負けたのは十二年と七十二日ぶりデス」

 天を仰ぐと投了リザインの合図として自分のキングをそっと倒す。


「まだ決着していないだろう」

「ごジョーダンを、ブシハクワネドタカヨージ・デス」


 ……しかし、微妙に言ってる意味が分からない。


 今までの手並みや言い振りから彼が何らかのかたちでコンピューターとアクセスしていたのは明白だろう。どうやったのか分からないが、それならここで投了リザインするのも頷ける。


 終盤まで読み切ることは出来ていないだろうが、既に『ゲーム木』は全て枯れ果て、荒野で俺の龍王キングが敵のキングの喉元に喰らいつく絵しか浮かばない。


 もう一度探査魔法を駆使してもコンピューターにアクセスしている証拠らしきものは見つからないが……


 まあ遊びゲームとして楽しかったし、公式戦でもなければそもそもコンピューターを使用してはいけないというルールをお互いに決めたわけでもない。

 こっちは途中でプレーヤーが交代しているし、その前は二人がかりだったわけだから、もし本当にコンピューターにアクセスしていたとしても責める筋合いはないだろう。


「それで用事は何だ?」


 多くのボードゲームはプレイの後に「感想戦」と言うゲームの再現が行われる。チェスも同じで対局中の着手の善悪やその局面における最善手などを検討し、お互いに敬意を払って学を深めてゆくのがマナーだ。


 俺が駒をいくつか戻すと、

「今のでプランが変わりました」

 サスーケ・フクベは子供のように楽しそうに微笑みながら盤に目を落とす。


「プラン?」


「ここまでは可能性が存在してました」

 男は俺の問いを無視して盤面を眺めると、少し悔しそうに苦笑いする。


「師匠の受け売りだが、木を見て森を観ずってやつだろう」

 仕方が無いのでこうすれば俺が負けたであろう手を幾つか提示すると、


「そのカクゲンは知っておりますが、さて…… 森を観るにはどうすれば? 巨大に膨らんだ可能性のツリーは、コンピューターでも処理しきれないでショー」

 男の色気をムンムンと漂わせ、無邪気に笑いながら顔を近づけてきた。


 俺が顔を歪めていたら、店の奥で避難していた麻也ちゃんと加奈子ちゃんがスマートフォンでパシャパシャと写真を撮りだす。


「麻也、このツーショットはバエるわ!」

「そ、そうだねママ。な、なんかちょっとエロいし」


 そんな鼻息の荒い親子の声が聞こえたが…… まあここは無視しておこう。深く考えたら負けな気がする。


 仕方なく目の前の男に小声で呟く。

「師匠の受け売りだが『葉を知り森を想像する』事だそうだ。今はまだ困難かもしれないがAIの想像力が上がればデータベースの絞り込みに頼る必要もなくなるだろう」


 可愛らしく首を傾げるサスーケ・フクベに何故かちょっとドキドキしたが、何処かの親子の悲鳴とスマホのシャッター音が何とか俺をとどまらせてくれた。


 危うく行っちゃいけない世界に踏み込みかけた自分を落ち着けるために、少し椅子を引いて距離をとる。


「葉を知り森を想像するデスか、ヨイ事を知りました。ではそこまで発達したAIは人と区別が付くのでショーか、そしてそれは許されることでショーか」


 その言葉についつい俺も笑顔になる、それは子供の頃に読んだSFでは定番の謎かけだった。アシモフのロボット三原則やアンドロイドが見る夢とか…… 恋するAIとか。


 ――それも男のロマンってやつだ。


「素晴らしいことなんじゃないのか? いつか人と区別が付かないほど発達したAIと愛を語りたいね、想像するだけで楽しい」


「そうデスか、マザーもきっと喜びます。やはり事前に伺ってセーカイでしたね。用事はこれで終わりデス」


 マザー? ニンジャたちのボスのことだろうか。

 その言い方に何か引っかかりを感じたが、男は金髪の胸毛を揺らしながら両手を合わせて俺に頭を下げると席を立った。


 呼び止めようとしたら店内に存在していた刺客らしき数人の気配も、そよぐようにかき消える。


 またサーチ魔法にズレが生じたのかと思い俺が再度魔法を放つと…… 色気ムンムン男は店の出入り口で立ち止まり、


「試すようなことをして申し訳なかったデス」

 子供のような笑顔を浮かべて出て行く。


 追いかけることも出来たが店の奥から麻也ちゃんと加奈子ちゃんが走り寄ってきたから、深追いする必要も無いだろうと自分を納得させる。

 変に事を動かして彼女たちに被害が及んだ方が怖い。


 そしてサーチ魔法を展開したまま鼻息の荒い親子に視線を向けると、


「タツヤ君、あの人って」

「ねっ、ねっ、どんな関係なの?」


 二人のキラキラと輝く瞳の上に「ぐ腐腐腐ふふふっ♡」と…… 妙な文字が浮かんでいた。

 サーチ魔法がまたズレてきたのだろうか? しかも何故か背筋に冷たいものが走る。きっと気付かないうちに疲労が溜まっているのだろう。



 俺は不気味な四つの瞳を眺めながら、やっぱり休暇を取ろうと深く決意した。

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