ムンムンと漂う男の色気
別に俺に対する態度が冷たくなったとか、麻也ちゃんや他の皆と関係が悪くなったとかではない。
むしろ俺との距離は近くなったし、周囲ともより良好な関係を築けている。
しかしそのせいで、こんな場合は家に帰り辛くなる。
俺が商店街の古びた洋服店の前で「さてどうしたものか」と悩み込んでいたら……
「あっ、タツヤ君お帰り!」
「た、ただいま」
慌てたのか加奈子ちゃんはワイシャツに黒のタイトスカート姿でカーディガンをショールのように肩に掛けながら、小走りで店から出てきた。
俺がつい言葉に詰まってしまうと、加奈子ちゃんは微笑みながら顔を近づけてくる。
「外は寒いから早く中に入って」
その大きな美しい瞳には、「何もかもお見通しだから心配しないで!」と書いてあるんじゃないかと思うほど、包み込むような慈悲に満ちていた。
実際、クリスマス以降の加奈子ちゃんは『何もかもお見通し』だ。
その能力が
この世界にも精霊種が居たことにも驚きだが……
異世界でも彼らの存在は希薄で、俺や師匠でも意識を集中しないと存在に気付かないことが多い。
今も、
「うん、ちゃんと分かってるから安心して。タツヤ君らしいなって、あきれてるだけだから」
加奈子ちゃんは誰も居ない空間に向かってそう呟いてから小さく手を振った。
俺が目に魔力を込めて確認すると、この世界の精霊だろうか……
蝶のような羽の生えた、手のひらサイズの和服姿の少女が宙を舞っている。
異世界では、獣族や魔族は人族と進化の過程で袂を分けた種の近い「生物」で、精霊に近いと言われるエルフやドワーフのような妖精種ですら進化の過程をひもとくと、やはり人族と同じ先祖を持つ「生物」だ。
しかし精霊は「生物」と呼ばれるカテゴリーに入るかどうか微妙で、その存在自体に謎が多い。
神々のように人の概念が具現化した生命体だという説もあるそうだが、俺の師匠は、
「あれは大いなる意思の使いのようなものじゃ」
そんなことを言っていた。
大いなる意思が「星の総合思念」だとすると、精霊はその思念が部分的に具現化したものになるのだろう。
そうなると、この星…… 地球にも大いなる意思が存在するのだろうか。
正直俺の理解の
「あの子たちもタツヤ君のことが好きみたいで、いつもあなたの周囲を見守ったり祝福を送ったりしてるのよ」
どうも俺は知らないところで人気者のようで、精霊さんたちがストーキングしているそうだ。おかげで精霊と会話出来る加奈子ちゃんに情報が筒抜けで、最近はうっかりした行動がとれない。
俺の部屋に春香が脱ぎ捨てて行った靴下をどうしたものかと悩みながらたたんでおいたら、翌朝朝食の後で、
「春香ちゃんもうっかり者よねえ、言ってくれればあたしが洗濯しておくから」
小声でそんなことを言われた。
俺が驚くと、加奈子ちゃんは微笑みながら最近の自分の交友関係を教えてくれた。
春香とは合ったことがないそうだが麻也ちゃんやクイーンから話を聞き、精霊さんたちから状況を聞いて、靴下の存在を知ったらしい。
その時俺は慌てて旅館に出勤前の春香を収納魔法の自室で捕まえて、加奈子ちゃんに紹介したけど……
協調性が高い春香は加奈子ちゃんともすぐに打ち解けたが、「年頃の女の子が深夜に男の部屋で長々とだべっているのはねえ」と注意された。
まあそれ以春香も来堂々とリビングやキッチンを出入りしているし、加奈子ちゃんに対する秘密が少しずつ減っていくのは肩の荷が下りるようで嬉しい。
しかし、
「陛下さんたちのことは大変そうね、
精霊さんはストーカー行為だけでなく、個人情報の取り扱いにも難があるようで、加奈子ちゃんに何でも話してしまう。
「説明の手間が省けて助かるよ、女将さんに陛下たちの保護をお願いしたんだ。それから相談は春香たちの正社員としての雇用とか、町興しのアイディアとかかな。加奈子ちゃんにも相談に乗ってもらいたかったんだ」
さすがの精霊さんたちも俺の収納魔法の中や転移先の追跡までは無理のようで、最低限のプライバシーは守られているが……
「そうなんだ、じゃあたしもいろいろ考えてみるね。町興しも大変だけど、理津子先輩って昔から凄くモテたし、今でもあんなにキレイなのに独身でしょ? 早くいい人が現れると良いのにね」
加奈子ちゃんが立ち止まったままの俺の腕にボインと体を寄せて微笑む。
ついでに何故か俺の脇を笑顔のままつねりながら。
あの精霊さんは一体加奈子ちゃんに何を伝えたのだろう、俺は決して女将さんを口説いたりしていない。
はて、どうやって説明したら良いのかと悩みながら……
加奈子ちゃんの大きな膨らみがぶつかる柔らかな感触と脇腹のチクリとした痛みに、俺は困惑した。
× × × × ×
「あっ、お帰り」
店のカウンターテーブルに座っていた麻也ちゃんが顔を上げて苦笑いする。
「そうそう、タツヤ君を訪ねてお客さんが来てたのよ」
麻也ちゃんの前…… カウンターには背が高い体格の良い男がひとり座っていた。
加奈子ちゃんのお父さん、俺に子供の頃チェスを教えてくれたおじさんは店のカウンターにインテリアとしてチェスセットを置いていたが、今それを麻也ちゃんとその男が囲んでいる。
「タツヤ君を待つ間、チェスでもしませんかって言われて。麻也とあたしで組んでお相手したんだけど、なかなか……」
加奈子ちゃんも苦笑いした。
二人ともチェスの達人だったおじさんに子供の頃から指導されていただけあって、決して弱くはない。
アマチュアの地方大会レベルなら上位にいける実力の持ち主だが、俺が番をのぞき込むと、黒駒を持った麻也ちゃんが圧倒的に不利な状態だった。
麻也ちゃんと加奈子ちゃんが二人がかりで挑んで、この局面?
しかも白駒を持つ男は、明らかに手を抜いている。
俺が首をひねると、
「ねえ、変わってもらえない? あたしたちじゃレベルが違いすぎて」
麻也ちゃんが大きなため息をついた。
途中でプレーヤーが変わるのはマナー違反だが、
「オー! サイトー=サンが変わってくれるのなら、とてもコーエーデス」
男は肩までの金髪ロン毛を揺らして、俺に微笑みかけてきた。
初めて見る顔だが…… その優しげなイケメン顔に何故かちょっと腹が立つ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺がカウンターをくぐると、麻也ちゃんが椅子から立ち上がりながら顔を寄せてきた。
「ねえ、あの人…… 異世界の人なの? それにしてはチェスが上手すぎるし」
「知らない人だけど、心当たりはある。加奈子ちゃんと一緒に店の奥に避難して」
麻也ちゃんと小声で言葉を交わすと、男は俺たちにニコニコと笑顔を振りまいた。
ついでに加奈子ちゃんには「何とオクユカシイ」とか言いながらウインクまでしている。
――やはり俺が好きになれないタイプのようだ。
しかもその顔にも姿にも、敵意のような者は一切感じない。
だから加奈子ちゃんを守っている
麻也ちゃんの座っていた椅子に腰掛け、改めて男の顔とチェスの盤面を確認する。
年齢は三十前後だろうか? 身長は俺より十センチ近く高く鍛えられた体躯で、一見リラックスした姿勢だが、何処にもスキがない。
日常的に戦闘訓練を行い、いくつもの戦場を生き抜いてきた者だけが持つ独特の雰囲気を持っている。
しかし麻也ちゃんが言うとおり、異世界の人間じゃない。
この世界の人間特有の気配も併せ持っていた。
そうなると、もう限られた人間しか心当たりがない。
イタリアの高級ブランドのレザージャケットに真っ赤なシャツ、おまけに肌寒いこの季節に第三ボタンまで外して、鍛え抜かれた胸板の上の金髪胸毛までオープンにしている。
アリョーナさんと同じ碧眼に整った目鼻立ち。ついでにセクシーさをアピールするような無精ひげ。
ひょっとしてこれは、体毛が薄くひげもろくに生えない俺に対する挑戦だろうか?
親父や弟のようにハゲないかと心配している俺にとっては、正に天敵と言っても過言じゃない。
こんな全然忍んでいないムンムンと漂う男の色気から麻也ちゃんを避難させたことにひとまず安堵する。
教育的な意味でも、きっと良くなかったはずだ。
チェスの局面は……
序盤戦が終わり中盤に向かっている状態だが、残念なことにもう勝負は決していた。
麻也ちゃんや加奈子ちゃんは俺がチェス好きなのを知って、時折相手をしてくれる。
バスケのようなチームスポーツをやっていたせいか、駒の特性を生かした集団攻撃が得意で、なかなか面白い手を打つ。
しかし仲間おもいな一面が仇となって、駒を捨てきれずに局面を悪化させる癖があった。
その手は嫌いじゃなかったから、そこを突くような戦略とらないでプレイするのが俺のスタイルだったが……
この盤面を見る限りその駒を切り損ねたスキを狙い、効率的に追い込まれている。
しかも計算づくされた駒の運びはわずかな逃げ道を塞ぐように
「もっと仲間思いだと思ったんだけどな」
あの時仲間を逃がすために、一対一で立ち向かってきた男と同一人物とは思えない。
「サイトー=サン、これは
男の不敵な笑いに、俺の胸のどこかに火がついた。
「だがチェスは矜持をかけて戦うものだ」
そう、そもそもヨーロッパの騎士が戦略を学ぶために発展したこのボードゲームは、勝負に美しさと騎士道精神が求められている。
俺が笑い返すと、
「ふむ、正にシャカニセッポーとはこのことですね。本物の騎士道のあり方をおしえてあげまショー」
その男も不敵に笑う。
「ドーモ、大賢者サイトー=サン。もうバレバーレのようですから、名乗り申し上げソーロー、サスーケ・フクベです」
そして両手を合わせてペコリとお辞儀した。
もう何が釈迦に説法なのか分からなくなったが……
「ドーモ、サスーケ・フクベ=サン。二度目ぶりだが、大賢者サイトーです」
俺も同じように両手を合わせてお辞儀する。
――異文化交流とは、実に難しいものだ。
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