皇帝陛下はお年頃 その2

 ティーカップを傾けたら、既に紅茶が無くなっていた。


「まったくご主人様は息をするように女の人を口説いちゃうんですね」

 テーブルにカップを置くと、メイド服の春香がため息混じりに紅茶を注いでくれる。


「そんな訳ないだろう」


 俺が女の人を口説けるような性格なら、今頃目標のささやかな幸せが見つかっているはずだ。

 首を傾げていたら、麻也ちゃんとクイーンが憐みの視線で俺を眺めている。


「とにかくだな、それが陛下との出会いで……」


 何だか場の空気が冷ややかだったから、俺は言い訳するように続きを語り始めた。

 これが最近耳にした空気を読むってやつだ。



 ……たぶん、きっと。



   × × × × ×



 師匠の手紙を読んだ陛下は、俺の顔と手紙を何度も見比べて苦笑いした。


 陛下が利用する専門の執務室は広く豪奢な造りだったが、ドミトリーさんとエマさんとソフィアさん以外に人はいない。


 俺は勧められるまま丸テーブルの陛下の対面の席に座ったが、他の三人は陛下の後ろに立ったままだった。


 後で聞いた話だが、エマさんが城内の魔法警備を担当する宮廷魔術師長で、ソフィアさんが精鋭ばかりを集めた第一騎士団長。そして近衛騎士団長のドミトリーさんを含む三人が、皇帝陛下の親衛隊だった。


 この親衛隊は公にされていない陛下の直属部隊で、信頼できる敏腕の人材だけが勅命により選抜されるそうだ。


 エマさんは陛下の執務室に入ると同時に自分に掛けていた魔法を解き、二十代後半の妖艶な赤髪の女性の姿に戻る。彼女は帝国の支配下にある魔法立国『神聖王国』の王族で、聖女候補のひとりだったが妹のアンジェに職を譲り、宮廷魔術師になったそうだ。


 その変装魔法は他に類を見ないほど卓越されたもので、帝国に派遣された十五歳の頃から陛下の影武者として働いていたとか。


 妹の聖女アンジェと同じフワフワとした可愛らしさとダイナマイトボディが印象的で、ドレスの大胆に空いた首回りからはボインボインとした凶悪な谷間がこんにちはしていた。


 ソフィアさんは平民出身の叩き上げの剣士で、帝国の魔法剣術大会でも優勝経験がある猛者だそうだ。二十歳前後のクール系の美女さんで、青く透き通るような髪と瞳に剣士とは思えないとてもスレンダーなスタイルが印象的だった。


 鎧と一体化したようなミニスカートからスラリとした太ももが露出していたが、魔法剣士の優劣は筋力より内包された魔力が重要になる。


 その漏れ出る強力な魔力波から、彼女の細腕を侮ると痛い目にあうことは容易に想像できた。


 そしてドミトリーさんは傭兵出身だそうで、三十歳前後に見えたが……

 なんだか色々と胡散臭すぎて、その正体が読めない。


 帝都城でも彼の出自を詳細に知っているのは陛下のみで、多くは秘密のベールに包まれていた。しかし戦闘力や知識の高さ、謙虚で真面目な姿勢は曲者ぞろいの帝国騎士団たちからも信頼され、多くの一般兵からも尊敬されている。


 そして彼が帝国六軍総員十二万兵の中で最も陛下から信頼され、自他ともに認める実力ナンバーワンであることは間違いがない。


 以前師匠も、

「帝国兵全てを敵に回しても構わんが、ドミトリーと呼ばれる近衛兵とは不用意に戦わんことだな。奴を敵に回すと色々と厄介じゃ」

 そんな事を言っていた。



「ケイトの手紙によると、私が依頼した魔王討伐はお前に任せるらしい。不満があるようなら、まずお前に何か適当な任務を課してみよと。内容は何でも良いらしい、そこでダメだと判断するなら、ケイトが魔王討伐に出ても良いとある」


 陛下がため息交じりに手紙を俺に見せた。

 そこに書いてある内容には間違いがないが、これって人身売買とか奴隷契約とかとそれほど変わらないんじゃないのだろうか? だいたい魔王討伐って…… 師匠は手紙を届けろとしか言わなかったのに。


 俺もそれを読んでため息をつくと、

「やはり何も知らされておらなんだか。まあ、ケイトらしいと言えばそれまでだが」

 陛下は憐みの視線で俺を眺めた。


「しかし師匠がそう書いたのであれば、戻る訳にはいきませんし」

 うーんとばかりに腕を組んで首を捻っていると、


「ドミトリー、エマ、ソフィア、お前たちから何か要望は無いか」

 陛下が師匠の手紙を後ろに控えていた三人に見せる。


 しかし突然の出来事に驚いていた三人は、陛下の無茶振りに困惑しているだけだ。

 師匠から現皇帝陛下とは、俺が弟子になる前に何度も直接会ったことがあり、今も良く手紙をかわす仲で、気が合うとは聞いていたが……


 無茶振りして部下が困惑する姿を楽しむところとか、似ているかもしれない。

 楽しそうにドミトリーさんたちを眺めている陛下に、俺がもう一度ため息をつくと。


「では若き大賢者殿よ、私が二十歳の即位五周年式典で不意を突かれて受けた呪いを解くことはできるか? あのケイトですら匙を投げた難題だが」

 楽しそうに皇帝陛下が微笑んだ。


 公にはされて無いないが、祝辞を述べに来た来賓に混じっていた呪術師から、とある呪いを受けてしまったそうだ。


「しかしそれは……」

 最初に異を唱えたのは宮廷魔法師長のエマさんで、

「大賢者とは言え、信用できるかどうかはまだ」

 女剣士のソフィアさんも心配顔だった。


「いやしかし若き大賢者様には失礼だが、実力を測るには最善の手段かも知れません」

 ドミトリーさんはそう言うと、陛下に顔を近付けて何か耳打ちする。


「うむ、ドミトリーがそう言うのなら任せてみるか。どうだ? 師匠の汚名をそそぐチャンスでもあるぞ」


 ドミトリーさんが何を耳打ちしたのか分からないが、陛下の自信満々な顔を見ると胸の底が疼いた。俺の師匠がその呪いとやらを解かなかったのはきっと「解けなかった」からじゃなく、「解く必要がない」とか「解かない方が良い」と判断したからだろう。


 そんな事が起きると、師匠は理由も告げず立ち去ることが多かった。そのため「大賢者などその程度だ」と陰口をたたく輩もいる。


 師匠の気持ちも分かるが、どうしても師匠を悪く言う連中に腹が立つことがあって……

 ちょうど今がその時だった。


「師匠に汚名などありません、何か理由があっての事でしょう。どうしてもと言うのであればこの場でその呪いを解きますが、後悔はしないでください」

 ちょっと強い口調になってしまったが、その言葉を聞くと更に陛下は挑戦的に、


「解呪専門の『解放の魔女』も、『神聖王国』の聖人でもある現国王も、何度挑戦しても解けなかった呪いだ。ケイトがあきらめたとしても何の不思議もないが」

 またニヤリと微笑む。


「では失礼して、お手をお借りします」

 俺はテーブルの上にあった陛下の手にそっと自分の手を重ねた。


 陛下の身体をサーチすると、確かに腰の部分に微かな魔力的な違和感がある。探ってみるとその呪いは、不妊と女性的な絶望…… 果てる事無い痛み……


 しかも術式からして仕掛けたのは、精霊の森の奥に住むと言われる神獣たちだろう。彼らは人族や魔族との交流を嫌い、独自の文化を守りながらひっそりと暮らしていると聞いたが。


 俺が顔をしかめると、

「さすがだな、初見でこの呪いの正体に気付いたのはケイト以外には居なかった。だいたいは何の呪いも存在しないと言って、首を傾げるだけだったが」


 陛下は何でもない事のように笑う。

 今もきっと、その腰にはかなりの痛みが存在するはずなのに。


「師匠は何と言ってましたか」

「皇帝を続けるのなら、その呪いを背負い続けろと。飢えた民を救うために農地を広げ、魔族の侵攻を防ぐ為にあの森を開拓し、城壁を築いたのは私の指示だからな」


 ならばそれも、大賢者として間違っていない回答だろう。師匠が持つ「矜持」とも重なるだろうし、ことわりに逆らってもいない。


 しかも神獣たちは自分の生命を賭してこの呪いを掛けたのだろう、下手に解呪すれば彼らの命を奪いかねない状態だ。


 しかし俺の「矜持」からはかけ離れている。どんな理由があれ、美しい女性が苦しむ姿は見たくない。なら陛下を助けてことわりを守る方法を考えるべきだ。


 きっとそれが、俺の大賢者としての道だから。


「それでは幾つか条件が」

 俺が考え抜いた末陛下の瞳を見つめると、


「かまわん、申してみろ」

 陛下も真剣な眼差しで俺を見つめ返した。


「ひとつは俺に帝国の農業政策に関わる権利をください」

「そんなものどうする」


 無限回廊図書で得た知識や試練の最中で観た農地は、俺の知る近代農業よりかなり遅れていた。中高時代に農家だった母の実家で体験したことや教科書で知った程度の知識だが、アイディアはある。

 それに今は大いなる意志とも会話が可能だ、成功する可能性は高いだろう。


「農業の成果が出てからでかまいません、その森を神獣たちに返還してください。もちろん魔族軍の侵攻も俺が止めて見せます」


「良かろう、それ以外の条件は何だ」


「この呪いをそのまま解くと神獣たちの命が危険です。ですから『回復魔法』を利用して陛下の身体を癒し、問題を解決したいのですが……」


「何だ、それに問題でもあるのか」

「はい、副作用があるかもしれません。なので賭けになります」


 俺は幼女になってしまったクイーンを思い出し、躊躇ちゅうちょしたが。


「副作用とは何だ」

「少しその、若返る可能性が」


「願ってもないことだな、良し、早速やってみろ!」


 陛下が更に楽しそうに笑うので、俺はその場で腰を中心に回復魔法を展開する。さすが伝説の神獣たちが命を懸けて施行した呪いだけあって、数秒の時間を要した。


「これでもう痛みもなくなり、不妊の呪いも解け、女性としての喜びもその体に戻ります」

 俺が手を離すと、金髪碧眼の超ド級美少女が首を傾げた。


「魔法陣も見えなかったし、呪文も聞こえなかったが、こんな短時間で何かをしたと言うのか?」

 その可愛らしい陛下の姿に、俺はまたやらかしてしまったと頭を抱えたが。


「へ、へ、陛下…… ご安心ください、その、お体から異常を察することが無くなりました」

 エマさんが陛下に調査魔法を展開しながら口をパクパクし、


「か、鏡だ鏡、至急用意しろ! それから許可あるまではこの部屋に入ることを禁じる」

 ソフィアさんが部屋を飛び出して大声で叫び始め、


「試すようなことをして申し訳ありませんでした。しかも陛下に頼んで大賢者ケイト様を軽視するようなお言葉まで。どうか罰を与えるのなら、このドミトリーに」

 ドミトリーさんは俺に対してひざまずきながら首を垂れた。


 そうなるとこの件は彼の策略だったかもしれないが、まあ乗せられたとはいえ、俺の矜持を貫いただけのことだから、怒る気になれない。


 責任があるとするなら、俺自身にだが……


「どうした、心配するな。今はもう痛みは消え身体も軽くなり、心身ともに快適だ。そうか、副作用がどうとか言っておったが、私は少し若くなったのか?」


 まだ状況がつかめていない陛下が、不思議そうに自分の体をペタペタ触っている。


 逃げるならチャンスは今しかないと考えていたら、ドミトリーさんが先回りするように、

「大賢者様ご安心ください。我ら全員、感謝の念に震えているだけです」

 俺の足首をがっちりと掴む。


 何だかもう、逃がしてたまるかと言う気迫がにじみ出ていた。


 するとソフィアさんが豪華な姿見の鏡を抱えて部屋に駆け込み、陛下の前にドンと置いて、

「陛下、私は感謝と感動に心が押しつぶされそうです」

 涙ながらに鏡の横にひざまずいて、俺にも深く頭を下げた。


「確かに四十年以上苦しめられた呪いが解けたのは、すがすがしい思いだな。だが多少若返った程度では世継ぎは生まれんぞ」


 陛下はソフィアさんに笑いかけながら姿見の前に立ち、何かを確かめるように数回大きく、宝石のようなその美しい瞳をパチパチさせる。


 俺がやらかしてしまった分けだから、やはり逃げないで何が起きても誠意を尽くそうと腹を括っていると、十代半の超ド級美少女に変貌していた陛下は両手で頬を挟んで変顔しながら……


「うぴゅーん」



 と、意味不明なお言葉を発せられた。

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