まるで恋に落ちた少女のように

 麻也ちゃんと一緒に家に帰ると、加奈子ちゃんは既に熟睡していた。


「やっぱりママ疲れてるんだね。お仕事頑張って、商店街のことも気にして、あたしのことまで……」

 そっと毛布を掛けなおす麻也ちゃんが、心配そうに加奈子ちゃんを覗き込んだ。


「でも楽しそうな寝顔だ、きっと良い夢を見てる」


 俺はそんな麻也ちゃんと加奈子ちゃんを見て少しだけ安心する。お互いが慈しむ姿はやはり美しい。

 きっとこの二人なら、どんな苦難も乗り越えて行けるだろう。


 そんな気がしてならなかった。


「千代さんとはどんな話をしたの」

 加奈子ちゃんの部屋を出る際に、ふと麻也ちゃんに聞いてみると、


「叔母さんもママとあたしのこと心配してくれて、じゃあこれから具体的にどうするかとか、パパがまだ何か企んでるんじゃないかとか、そんな話」


 麻也ちゃんは小首を傾げながら俺を見上げた。


「手伝えそうなことがあったら言って、俺にできることは少ないかもしれないけど」

「うん、ありがと。頼りにしてるから」


 そして嬉しそうに微笑むと、麻也ちゃんはミニスカートを揺らしながら自分の部屋に向かって走って行った。


 俺も自分の部屋に戻り、今日はもう寝ようと考えていたら、


「ンギャ、ギャギャ!」

 脳内に声が響く。


 珍しく龍王キングから話しかけてきたので、


「何かあったのか?」

 心配になって聞き返すと、

「ギャー、ギャー」

 どうやら魔族が侵入を試みてきたそうだ。


 龍王キングの結界を破ることはできなかったそうだが、


「ギャー!」

 加奈子ちゃんのことを心配してくれているらしい。


 誇り高き龍の王にとって人とはあまりにも小さく、認識することすら困難な状態だと師匠は言っていた。


「人が地を這う虫や羽虫を個別に認識できんのと同じじゃ。種としての上位下位の問題もあるのかもしれんが、それよりもスケールの違いが大きな理由じゃろう。だから古龍がお前を友と認めたことは…… 我にもちょっと理解できん、相変わらず想像の斜め上を行くやつじゃな」


 そんな龍王キングが加奈子ちゃんを気にかけていることに驚いたが、


「ありがとうギャーちゃん、これからも加奈子ちゃんを見守ってくれ」

 俺がそう言うと、


「ンギャー!」

 任せておけと……



 誇り高き龍の王の、頼もしい返答が返ってきた。



   × × × × ×



『物語を再開しますか? YES/NO』


 そんな文字が目の前に浮かんでいた。

 夢の中でこれが夢だと自覚がある。


 昨日見た修行時代の冬の庵の中で、師匠がカウチに腰掛けながらハーブティーを飲もうとしている映像で、一時停止していた。


 ネット動画を見過ぎたせいだろうか?


 俺が苦笑いしながら師匠に向かって手を伸ばすと質問の文字が消え、再生マークが一瞬輝いてから、


「うむ、悪夢ナイトメアの件じゃったな」

 師匠が美味しそうにハーブティーを口にした。


 またねっとりとした視線が絡みつく。

 師匠が俺に悪夢ナイトメアの説明を始めたが、俺は庵の中を確認した。


 ぱっと見それは懐かしい記憶の中の風景と同じだったが、所々にほつれのようなものがある。


 師匠は冬になると室内でも好んでドレスの上からショールを羽織っていたが、今は夏によく見かけた涼し気なドレスを着て、ショールを肩にかけていない。


 師匠と過ごした最後の冬には部屋中に試作品を含めたチェスの駒が散乱していたが、俺の目の前のテーブルにすら、それがひとつも見当たらない。


 おまけに俺は時期的にまだ陛下からもらっていないはずの帝国の騎士服の上から、いつものローブを羽織っていた。


 あまりにもちぐはぐな設定に夢の中で俺の記憶が混濁しているのかと思ったが、


「その話はもう優十ゆうとさんから聞きましたよ」

 師匠が話す内容は、魔族軍からの情報提供とまったく同じだった。


 そう、上手く思い出せないが……

 この時俺は師匠から、決定的な何かを聞いたはずだ。


 師匠の精神体に直接聞いておけばよかったが、今となってはその術もない。


「何の事じゃ?」


 可愛らしく首を捻る姿も師匠そのものだが、もしこれが悪夢の手によるものなら……

 その決定的な記憶を消そうとしているのかもしれない。


 記憶とは体験した出来事を『感覚記憶』として知り、まずその事実を小さなメモリーに収める。その小さなメモリーにある事実に注意が向くと『短期記憶』としてまた別の場所に記憶され、それが継続してリハーサルされると『長期記憶』として忘れない場所に固定される。


 だから学習には繰り返し同じことを練習して、忘れないように固定する必要性があるのだが……

 この行為は記憶を上塗りする、誤った継続リハーサルを狙ったものかも知れない。


 それは記憶改変の魔術としても良く使われる手法だ。


 師匠は今完全に悪夢ナイトメアの手から逃れている。そうなるとこれは俺の記憶からつくられた師匠を悪夢ナイトメアが乗っ取ったものになる。


 なら確かめる方法も、それを破る手段もあるだろう。


 ローブのポケットを探ると歩兵ポーンが三枚指先に当たった。収納魔法の手ごたえも感じるから、ニョイを取り出すことも可能だ。


 しかしこれがどこまで有効か分からない。


 師匠の話では悪夢の中で剣と魔法は意味をなさないと言っていたが、想像力と意志の強さは武器になるとも言っていた。


「それより師匠、約束した通り……」

 俺は意を決して壁際のテーブルから立ち上がって、魔法石暖炉の横にあるカウチまで歩く。


「う、うむ」

 不安げに見上げてきた本物かどうか分からない師匠の瞳が揺れたが、


「ダンスの練習です、俺と一緒に踊ってください」

 俺が片膝を付いて手を差し伸べると、少しほっとしたようにため息をもらした。


 そう、あの冬に、俺はダンスの指導も師匠から受けていた。

 いつか帝国の依頼を直接受けるようになるなら、社交界のマナーも覚えなくてはいけないだろうと食事や礼儀作法に始まり、ダンスも教えてもらったが……


 どうやら俺には壊滅的にダンスの才能がないようで、一冬師匠の指導の下、苛烈な鍛錬を積み、


「人前では決して踊ってはならん!」

 そんなお墨付きを頂いていた。



「そ、そうじゃな」

 本物か偽物か分からない師匠は、まるで何処かの記憶を探るように、こめかみに指をあてると…… 俺の手を取って立ち上がり暖炉の前の少し広いスペースまで移動した。


「社交ダンスじゃったな」

 そして俺の肩に右手を載せ、組んだ左手をゆっくりと上げる。


「よろしくお願いします」

 俺が右手を腰に回すと、師匠はビクリと小さく体を震わせたが、


「では基本のステップじゃ」

 身体を密着させて、ゆっくりとステップを踏み始めた。


 この状態なら剣と魔法が使用できなくても、最悪取り逃がすことはないだろう。


 想像力や意志の強さがどう戦いに影響するかは理解できていないが、師匠のささやかな胸がポヨンポヨンとぶつかる状態で、俺の意志が何かに負けるとは思えなかった。


 これからどう確かめて、偽物ならどんな方法で戦おうか考えていると、


「そ、それは何かの冗談なのか?」

 しかし数回ステップを踏むと、その師匠は不信そうに体を止めて俺を見上げる。


「何か不味かったでしょうか」


 すると俺をマジマジと見てから悩みこみ、

「そ、そうじゃな。ではステップを無視して、我のリードにだけ集中してくれ」


「つまり……」

「足の動きは無視して、身体の動きにだけついてこい。ダンスだと思うな、お前の得意な格闘か何かだと思え」

 もう一度俺の手を取って、踊り始めた。


 そんな指導は初めてだったが、


「了解です、師匠」

 とりあえず楽しそうだったので、師匠といつもの格闘訓練をするつもりで呼吸を合わせる。


 初めのうちはそれでも何度か足を踏んだり、絡まって転んだりしたが……

 三十分もしないうちに、何とか息を合わせて移動することが可能になった。


「師匠、俺、踊れてますか!」

 嬉しくなって、ついつい微笑み返すと、


「うむ、まあまだダンスと呼ぶには程遠いが…… これなら何とかなるかもしれんのう」

 少女はぎこちない笑顔を向けてきた。


 足を踏んだ時も絡まって倒れた際にも鉄拳は飛んでこなかったし、今も腰に回していた手で師匠のプリッとしたお尻をわしづかみにしてしまったが、照れたように顔を赤らめただけだ。


 あの冬、俺は同じように師匠のお尻を間違って触ってしまったことがあったが、その時は確か半殺しにされた。

 もうコレ、間違いなく師匠によく似た別の生き物だが……


 呼吸を合わせ、寄り添って動くことがお互いに楽しくなってきたようだ。

 俺が笑いかけると、少女も楽しそうに微笑む。


「ではここで、ターンじゃ!」


 その声に合わせて師匠の姿をした少女を持ち上げ、俺がクルクル回転すると、


「あはは、こりゃ! 何をする」

 とても嬉しそうに笑いだした。


 だからこれは、バトルなんだと自分に言い聞かせながら……



 まるで恋に落ちた少女のように微笑む悪夢ナイトメアと共に、俺は目が覚めるまで踊り続けた。

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