幸せは冷たい試練を課す

冬の夜空を見上げた

 本殿を出た俺は、要の岩がある源泉まで足を運んだ。


 ここが全ての始まりで間違いない。

 俺が源泉を囲む岩場に登り目を閉じて魔力の流れを探っていると、聞きなれた足音が近付いて来る。


「麻也ちゃんどうしたの?」


 振り返ると、トレーナーにダウンジャケットを羽織ったミニスカート姿の麻也ちゃんが、岩場の下で白い息を吐いていた。


「御師匠様は異世界に帰ったの」

「そうだね、悪夢は晴れたって言ってたから今頃のんびりと庵で寝てるよ」


 麻也ちゃんはしなやかな動作で高さ二メートル以上の岩場に飛び移ると、俺の横に並んで同じように要の岩を眺める。


「良かった、御師匠様は良い弟子に恵まれたんだね」

「どうなんだろう? 苦労ばかり掛けてる気がしてならないけど」


 ため息をつくと、麻也ちゃんが俺の顔を覗き込んできた。

 セミロングのサラサラの髪が夜風に揺れ、加奈子ちゃんに似た神秘的で大きな瞳が湯煙に絡むように揺れている。


「そんな事無いんじゃないかな、御師匠様はとってもあなたを信頼してたし、あの眼差しはあたしと一緒だと思うし」


 俺に顔を近付けながら、小声で呟く。


「麻也ちゃんと一緒? 何それ」

「ないしょ」


 そう言って微笑む姿は、もし俺が高校生だったら恋に落ちたかもしれないほど可愛かった。


 もう俺も大人だから、そんなことはないけど。


「それより……」

 その瞳に隠れていた不安を読み取り、心配して微笑み返すと、


「もう気付いてると思うけど、ママにどう説明したら良いのか分かんない」

 麻也ちゃんは岩場にしゃがみこんで、両手で頬杖をつく。


 優十ゆうとさんのことだろう。まあ、それが本名なのかは別として。


「麻也ちゃんはどうして気付いたの」

「ママから受け継いだ瞳の能力もあるけど、あんな顔であたしを見てたら嫌でも気付くよ」


「腹は立ってないの?」


「まったく怒って無い訳じゃないけど、パパの気持ちも分かんない訳じゃないし。二度と戻れないと思って向こうで家族を作ったのも、それでも戻れると知って、命がけでここまで来てくれたのも…… うーん、やっぱり良く分かんない」


「麻也ちゃんには怒る権利も甘える権利もあるんじゃないかな? 良く分かんないなら、まずはその気持ちをぶつけてみるとか」


「きっとあたしにとってはオプションなんだと思う」

「オプション?」


 放棄することも受け取ることも選べる権利ってことだろうか。


「うん、もう死んじゃったって思ってたし…… それに狐の父親は生後数ヶ月しか子育てをしないしね」


 そう言えば、異世界の獣族も人族とは少し違う価値観を持っていた。

 獣族にとって子育ては母親の仕事で、男の仕事は、多くの家族から構成される群れを守ることだった。


 獣族は総じて男の出生率が低いから、男女比の問題もあるだろうし。千代さんも強い男は多くの妻を持つと言っていた。

 妖狐には妖狐の家族の在り方があるのかもしれない。


 でも加奈子ちゃんは人間だし、今までの事情から元夫や娘の真実を知らない。

 麻也ちゃんはきっとその辺りのことを気にしているのだろうが、


「きっと親からすれば、黙って素直な良い子より、わがままな子供の方が可愛いんじゃないかな」

「何それ?」


「麻也ちゃんはもっと親の為に、自分のわがままを言わなきゃいけないってこと」

「自分の為じゃなくて親の為に?」


「そうそう、大変かもしれないけど、それが子の勤めってやつだよ」

 俺が大げさに手を広げて首を左右に振ると、麻也ちゃんは楽しそうに笑ってくれた。


「じゃあ仕方ないな。大賢者様の助言をもとに、まずあの男にわがままを言ってみるか」

「頑張ってみて。それから加奈子ちゃんにどう話すか、一緒に考えよう」


 麻也ちゃんは立ち上がってスカートに付いた土をパタパタと手で払うと、俺の手をギュッと握って、深呼吸しながら冬の夜空を見上げた。


 俺も同じように夜空を見上げると、


「やっぱり相談して良かった。ありがと、ちょっと吹っ切れたかな」


 また俺の顔を覗き込んで嬉しそうに微笑む。

 その柔らかな手の感覚と可愛らしい仕草に、おれが麻也ちゃんと同じ高校生ぐらいだったら……


 うん、もう俺大人だから大丈夫だよね。


 ちょっとドキドキしてきた心を何とか隠して微笑み返すと、麻也ちゃんは俺の手を放し、しなやかに身をひるがえして岩場を飛び降りる。


 後ろ姿を見送っていると、ふと自分の両親の顔が浮かんだ。

 俺もちゃんと親にわがままを言える子供だったら、何かが変わっただろうか。


 そんな思いが脳裏をよぎったが……



 そもそも歴史にタラレバの仮定を持ち込むこと自体が、無意味だった。



   × × × × ×



 要の岩周辺の魔力の流れと玄一氏の書いたノートの仮説を組み合わせ、今回の出来事を頭の中で再構築しながら社務所に戻ると、優十ゆうとさん仮名? が、受付横の自動販売機の前で佇んでいた。


 中年の哀愁がにじみ出過ぎていて、何だか話しかけ辛いが……


「いやあ、サイトー様。お恥ずかしいところを」

 向こうから話しかけてきたので、苦笑いしながらそれに応える。


「どうしたんですか」

 近付いてよく見ると、両の頬が微妙に赤く腫れていた。


「麻也にね、こっちがあたしでこっちがママの分だって、叩かれまして」

 笑いながら頬をさする姿はどこか嬉しそうだ。


 ……そっちの趣味じゃなければ、きっと麻也ちゃんの気持ちが伝わったのだろう。


「良かったですね」

 俺が微笑み返すと優十さんはポケットからコインを取り出して、自販機を指さす。


「千代と麻也が中で話し込んでまして、今入り辛いんですよ。良かったら付き合ってくれませんか」

「じゃあ、お言葉に甘えてコーヒーで」


 優十さんは缶コーヒーを二つ買うと片方を俺に渡して、正門に向かって歩き出した。

 プルタブを引いて一口飲むと、温かさと共に独特のほろ苦さと甘い感覚が口いっぱいに広がる。


 ひっくり返っていた阿斬さんが治める駒狐の手前で、優十さんが足を止めた。


「きれいに修復しましたね。しかも僅かな綻びだった結界のスキも、もう見つからない」

「どうしてあんな手間のかかる指摘をしたんですか」


「この世界に戻ってきて今日でちょうど二週間です。その間、魔族軍の監視も私についていましたし、悪夢がどう動くか読めなかったので」


 その間に俺や加奈子ちゃんや麻也ちゃんの現状を調査して、魔族軍の目を盗みながら悪夢の侵入を防ぐためにこの稲荷の結界も見直したと言うことだろう。


 しかもあのドアに挟んであったメモが彼の手によるものなら、俺の結界を潜って収納魔法や加奈子ちゃんの家に借りている部屋にまで侵入したことになる。


「なかなかのスキルですね、寝室まで侵入を許したのは一度しかなかったのですが」


 勇者一行と旅を共にしていた頃、陛下の失脚を狙う大貴族の依頼で当時の暗殺ギルドのエースが俺の命を狙ったことがある。

 何とか撃退して、その大貴族も失脚させ、陰謀を阻止できたが……


「それ、妖艶の刺客とうたわれたイリヤ・レマンスのことでしょう。今私の同僚で、彼女から話を聞いてなかったら侵入は不可能でしたよ」


 どうやらあの暗殺者は責任を追及されギルドを追われると、魔族軍に売り込みをして第五部隊に入ったそうだ。


「そうか、悪いことをしたな」

「いやでも、彼女の最大の武勇伝は若き大賢者様の寝室侵入劇ですし、そのおかげでうちの部隊でも一目置かれてますよ」


 うん、何かコメントに困る話だが。

 まあ、どうやら世間はそんなに広くないらしい。


「イリヤも会いたがってましたが、異世界で待機してます。何でも寝室での再戦を果たしたいとか」


 確かベッドの上で取り押さえたら、涙ながらに命乞いをして、何故か服を脱ぎだしたはずだ。

 あの再戦?

 はて、あそこから勝機は無いと思うが……


 俺が首を捻っていると、


「いやはや噂通りと言うか噂以上と言うか、若き大賢者様は大賢者様なのですね。麻也の件もご助言あってのことなんでしょう、あらためてお礼申し上げます」


 優十さんは、俺に深々と頭を下げた。


「それより、これからどうするつもりですか」

「先ほどの事で良く分かりました。我が部隊に悪夢が侵入していることは確実でしょう。間接的なのか本体がいるのか、そこまでは今判断できませんが、そこから探らないと」


「加奈子ちゃんには……」

「麻也にも話しましたが、私は自分の責任を全うするためにこの世界に戻ってきました。加奈子が納得してくれるかどうかは分かりませんが、全力を尽くすつもりです」


 どうしてもモヤモヤとしたものが残るが、そう言われたら今はこれ以上何も言えない。


 種としての生き方の違い、度重なった不運。

 彼もその被害者のひとりなのだから。


「でも俺は加奈子ちゃんと麻也ちゃんの味方ですから、そのことは忘れないでください」

 複雑な思いを込めてそう言うと、その男は俺の目を見つめ返し、


「千代が御屋形様の再来だとはしゃいでいるのを見て、何を世迷い事をと思っておりましたが、どうやら私の目が曇っていたようです。その選ばれし者の知と力、揺ぎ無い強い意志、そして何より私の様な者にまで向ける優しき慈悲の心」


 まるで戦国武将の家臣がかしずくように腰を折って片膝を付くと、


「時は流れ仕える先は変われども、主と認めた人物はただひとり。不肖、濃美のうみ玄一げんいち。斎藤観栄かんえい様のめい、今一度しかと心に刻みます」


 この稲荷を建立した戦国武将の名で俺を呼び、その懐刀として活躍した家臣濃美のうみを名乗ると、涙を隠すように首を垂れたままその場で反転し、背を向けて男の哀愁を漂わせながら社務所に向かって歩き出す。


 まるで時代劇のワンシーンのように、その姿はとっても様になってたが、残念ながら戻る場所が同じだ。


 さすがに今すぐ戻るのは不味いだろう。

 ――はて、どうしたものか。


 温もりが消えつつある缶コーヒーを片手に持ち、どのタイミングで千代さんたちの元に戻ればバツが悪くないのか悩みながら……



 やるせなく、俺はもう一度冬の夜空を見上げた。

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