悪夢は踊る
「どうしてこんな事が……」
俺は境内の隅にある狛狐を見上げてため息をつく。
朝食前でまだ私服の千代さんが、隣で紺色の膝丈まであるフレアスカートにフワッとしたグリーンのニット姿で首を傾げる。
「何かの悪戯でしょうか?」
千代さんは栗色のウエーブのかかった髪とゆったりとしたニットの上からもハッキリと分かる大きな胸を揺らしながら、上下をひっくり返された狛狐像に近付く。
像は大型犬をひと回り大きくしたぐらいだが、石造りだから百キロを超える重さがあるだろう。
普段この中で阿斬さんが稲荷を警備していると思うと、プロレスラーが首ブリッジで体を鍛えるのを真似てそれを実践しているだけのような気もしないでもないが……
本人は身に覚えがないと言っている以上、信じるしかない。
「危ないですよ千代さん」
「もう怪我も癒えましたし、こう見えても妖狐族の
これをひっくり返した犯人がここまで来るには、鳥居がある石段を抜けなくてはいけないし、像は高さ二メートルほどの岩を台座にして置かれている。
人の手なら特殊な重機をここまで運んで設置し、誰にも気付かれずにひっくり返したことになる。
さすがにそれは、現実味がないだろう。
千代さんは少し悩んでから獲物を狙う獣のようにしなやかにジャンプすると、台座の上に立ち、不思議そうに可愛らしい鼻をヒクヒクとさせた。
きっと千代さんも同じ考えで、魔力的な残滓がないか確認しているのだろうが……
その仕草が狐っぽくって何だか可愛い。
正門の正面から見て右側の像が「
これは他の神社などの狛犬なども同じでポピュラーな設置らしいが、正門の位置に配置する魔力的な警備としては理にかなっていた。
小さな入り口と出口を作ることで流れを起こし、意図的に魔力を操作することが可能だ。
だから俺もこの稲荷の結界を再構築する際にそのまま利用したのだが……
「
千代さんがひっくり返された狛狐像に顔を寄せたまま悩みこむ。
おかげで見上げていた俺から、黒いストッキングに包まれた安産型の魅惑的なお尻と、そこから透けて見えるパンツが確りと観測できた。
動くたびにムチムチと形を変える様も美しい。
麻也ちゃんのピチピチと躍動的な太ももがニーソからこぼれ、小さなお尻を包むパンツがダイレクトに見える仕様とは、違う方向性の魅力に満ちている。
最近は胸の大きさや形に気をとらわれがちだったが、やはりお尻と言うのもなかなか奥が深い造形だと、芸術学的な思考にふけっていたら、
「きゃ!」
ぐらりと揺れた狛狐に驚いて千代さんが足を踏み外した。
「ほら、やっぱり危ない」
落ちてきた千代さんを抱きとめると、
「面目ありません」
腕の中で、恥ずかしそうに縮こまる。
俺はついでにひっくり返っていた狛狐も元に戻し、結界内の魔力の流れを再調査した。
「他に被害は見つからないし人的な証拠もない、魔力の残滓も上手く消されてるし……」
それは、まるでこの魔法結界の弱点を指摘するような行為だった。
孤城として設計されたこの稲荷の特色を生かしつつ、俺の魔法で強化したのが今の結界だが、阿斬さんの位置がアキレス腱になっている。
それでも十分な効力を発揮していたからあえて変更しなかったが、もっと良い方法もあるだろう。
「まあ、境内の調査を続けながら結界も張り直してみるよ」
まるで師匠のアドバイスみたいだと、自然と笑みがこぼれる。
俺がつくったチェスの駒を見るたびに、何も言わず問題がある場所に赤いインクを付けたり、改善のヒントが隠されたメモを添えたりした。
それで試行錯誤しながら自分なりの答えを探せと言うのが師匠の教えだったが、この像をひっくり返す行為は、それに近いモノを感じさせる。
「まるで謎かけみたいだ」
そんな事を思い出しながら社務所に向かうと、石
中には柱からはみ出た尻尾を、ブルンブルンと元気よく振っている子までいた。
「何してるのかな?」
俺が千代さんに聞いてみると、
「あの、その…… 御屋形様、そろそろ降ろしていただけると……」
抱きかかえていた千代さんが真っ赤になった顔で呟く。
「ごめん」
考え事をしていて、千代さんをお姫様抱っこしたままだった。
決して色々とプニプニしていて気持ちよかったから、放したくなかったわけじゃない。
「いえ、そんな。その、ありがとうございました」
千代さんを降ろすと俺にペコリと頭を下げ、
「こら、あなたたちはちゃんと朝のお勤めをしなさい!」
隠れていた袴姿の少女たちに、照れ隠しのような声を上げる。
「きゃー」「見つかっちゃった!」「千代様顔真っ赤だよー」
するとあちこちからそんな声が響いて……
姿を戻した子狐たちが、楽しそうに境内を走り回った。
× × × × ×
一度家に戻り、朝食を食べ終わってから、
「今日は遅くなるから、夕飯はいらないよ」
そう伝えると、
「何時ぐらい」
エプロン姿の加奈子ちゃんが首を捻る。
何だか新婚家庭のようで、ちょっと照れてしまったが、
「九時前には戻れるかな」
俺が食後のお茶を受け取りながら微笑みかけると、加奈子ちゃんは麻也ちゃんが居ないことを確認して、顔を近付けてきた。
「じゃあ、ディスプレイの準備は手伝ってくれる?」
「もちろん大丈夫、でも、麻也ちゃんには内緒なの」
「ある程度出来るまでね、そしたらサプライズも含めて教えようかなって」
加奈子ちゃんが面白い悪戯を考えついた子供みたいに、ぺろりと舌を出す。
今朝の件で、
「今日一日温泉稲荷で調査するから、顔を出すのは明日になる」
と、アリョーナさんにスマートフォンで連絡したら、
「夕飯だけでも付き合ってくれない? 紹介したい人がいて」
珍しくそんな事を言われた。
加奈子ちゃんの可愛らしい顔を見ていると、そんなもの断ってしまいたくなったが、
「了解、じゃあ出来るだけ早く帰るよ」
そう答えるのに留める。
――これが世に言う『家庭と仕事の板挟み』なのだろうか。
世間のお父さんたちの苦労をねぎらいつつ、いつか俺も家庭を持てるのだろうかと考えながら収納魔法の部屋に入り、温泉稲荷への転移ドアを開こうとして、初めて気付く。
ドアノブに小さなメモが挟んであり、それを広げると、
「
異世界で使われている魔法文字で、そう記されていた。
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