物語の中へようこそ

 ナイトメアについて何かが引っ掛かったまま眠りについたせいだろう。

 俺は師匠からその話を聞いた、ある冬の夜を夢見ていた。


 それは俺とクイーンが師匠の出した幾つかの『特別な課題』をこなし、ようやく安定した生活を送れるようになった頃だ。


 死の谷から這い上がった俺たちを観た師匠は、


「想像の斜め上と言うか、かなり斜め下と言うか…… 相変わらず何をしでかすか分からん奴じゃな」


 俺にしがみ付きながら微笑む幼女姿のクイーンを見て、大きなため息をもらした。そして俺たち二人が共有していた『痛み』と『不安定な大きすぎる魔力』を読み取ると、


「まずはそれを何とかせんといかんようじゃな」


 突然俺たちを攻略不可能と言われるダンジョンに叩き込んだり、難攻不落と呼ばれた魔物の住む古城から伝説の宝具を奪い返せと言ったり、村に潜む伝説の魔獣を倒したり、小国の宮殿に潜む悪魔を暴き出したり……


 意識を手放して、大型自然災害と化してしまった古龍の王を鎮めろと言った。


 師匠の無茶振りはどんどんエスカレートしたが、クイーンとコンビを組みながらその課題をひとつずつこなしていくと、不思議と『痛み』や『不安定な大きすぎる魔力』は治まって行く。


 まあその度により魔力が増えちゃったり、契約に失敗したのか女性に付きまとわれちゃったりして、師匠に怒られたりもした。


 相変わらず師匠のアドバイスは最小限で相当な事が起きないと手助けもなかった。しかしそれは俺やクイーンの成長を促す優しさに満ちたもので、


「くそっ、ケイトのアホーめ! いつかあたいが息の根を止めてやるー」


 クイーンもそれに気付いてか、悪態をつきながらも徐々に師匠に対して敬意を示していた。


 でもまあ基本、仲は悪かったが……


 そして俺が異世界に来てから何度目かの冬。


 師匠が住む森は深い雪に包まれ、一面が白銀の世界に変り、虫や小動物たちも姿を消して人々に恐れられる大型の魔物たちも冬眠に入る。

 深く降り積もった雪が全ての音を吸収し、静けさに森全体が深い眠りについていると感じるような夜。


 クイーンも魔法石を加工したチェスの駒の中で寝ていた。それは「課題で集めた魔法石や宝具をお前の得意とする形に変え、自分の魔力を制御できるようにておけ」と言う師匠のアドバイスを受けて俺がつくった物だが、


「あれには今、心の休息が必要じゃ。そのような形にしてお前が懐に入れておけば、奴も安心して眠るじゃろう」

 魔法石の中で幸せそうに寝息を立てる幼女を確認すると、俺の心も安らいだ。


 庵には俺と師匠の二人きりで、魔法石が温める暖炉の音と俺がチェスの駒を加工する音だけが静かに響いている。


「それが完成してこの森の雪が解けたら、そろそろ最後の試練を出さねばならんじゃろう」


 師匠は最近世間で流行り始めた『魔法通信水晶』を操りながら、ため息をつく。

それは世の魔導士や魔法使いや賢者などが、魔法通信を利用しながら世界に点在する『記憶石』に情報を蓄積して、それを共有・検索できるようにしたものだった。


「最後の試練ですか?」


 この修行に終わりがあると思えなかったし、師匠も生涯学ぶのが賢者だと言っていたから、ついつい首を捻ると、


「もうお前も良い歳じゃ、そろそろ自立せんといかんだろう。それにどうやら世が動きつつある」


 師匠は『魔法通信水晶』を指でつつくと、空になったカップを持ち上げて首を捻る。


「お茶のおかわり持ってきますね。もう夜も遅いから、ハーブティーにしましょう」

 俺は魔法石の加工の手を止め、窓に映った自分の姿を確認する。


 既にやせ細った餓鬼のような少年の面影はなく、そこには穏やかに微笑む青年の姿があった。


「どんな試練ですか? それを乗り越えたら俺と師匠の関係はどうなるんですか?」


 俺が新しく入れたハーブティーを師匠のカップに継ぎ足すと、


「試練を課す前に内容を教える阿呆がどこにおる。それに、師弟の関係は変わらん。ただ我の意見に従うのではなく、自分の意志で歩んでゆくだけじゃ」


 師匠は可愛らしくプクリと頬を膨らませた。


「それにな、どうも世が良くない方向へ進んでおるような気がしてならん」

 課題でこの世界の街へ出向くことが多くなった俺も、それは実感していた。


 人族のどの街も疲弊を始め、魔族軍の脅威は高まっている。最近は人族最大の国家『マジェステア帝国』から何度も師匠あてに書簡が届いていた。その詳細までは聞いていないが、雰囲気的には師匠に魔王討伐を打診しているようだった。


「魔族の動きですか」

「そうじゃな、それも有るが…… 例えばこれじゃ」


 師匠は『魔法通信水晶』を指さす。


「便利じゃないですか、俺が元居た世界にも似たような物がありましたよ」


「そうか、ならお前の居た世界も大変じゃったろう。こんなものが発展したら『情報過多、知識不足』を起こして、人々の想像力が枯渇してゆく」


「情報過多、知識不足ですか」


「そうじゃ、苦労も試行錯誤もなく簡単に正解を得てしまって、それを自分の知識だと思っても、そこには想像力が存在せん。それじゃあただの物知りな阿呆じゃな」


 俺が首を捻ると、


「例えばじゃ、そこの泉に人々に害成す妖精が出ると言う情報があるとする」

「それ、師匠じゃないですか」


「阿呆、話の腰を折るなと何度言えばよい」

 師匠がまたむくれてしまったので、俺はそれを必死になだめる。


「要はその情報だけでは戒めにはならんのじゃ。あれは『国滅ぼしのサル』たちの縄張りに人が近付かんように、我が流した噂なんじゃが……」


 師匠の話では、その情報に物語をつけると効果が上がるそうだ。


 例えばその妖精の正体は悲恋に嘆き、泉に身を沈めた乙女が正体で、不用意に近付くと泉に引き込まれるとか。


 情報が物語に変わると、人は想像を始める。


 その乙女の悲恋とは何だったのか、乙女はどれほど美しかったのか、そして泉に引き込まれるとどのような死を迎えてしまうのか。


 その想像が噂を広め、恐怖を導き、初めて戒めとしての効果を生む。


「学問を系統立てて深く追求せんと『知識』にならんのもそのせいじゃな。情報が形を成し物語となって心を震わせたとき、人は初めてその本質を知ることができ、そこから先を想像するようになる。そしてその想像力を『賢』と呼ぶ」


「なるほど賢者には、深い知識とそこから先を考える想像力が必要なんですね」


「まあそれだけじゃないが、想像力は大きな武器になる」

「武器ですか」


 俺の問いに師匠は深く頷くと、


「生きていくうえでも戦う場合でも、想像力が欠けた奴は愚かで弱く、強き者には必ず豊かな想像力がある。それは学問にとらわれず生活の中で培われた感動や、武術を磨く中で得た感動から想像力を得た者たちじゃ」


 勉強以外で何かを極め、強さを発揮する人たちが前の世界にも居た。

 それも良く分かる話だ。


「そうそう、魔族にも想像力の強さで恐れられた者がおったな。我も二度ほど手合わせしたが、滅することが出来ず逃げられてしまった」


「師匠がですか?」

 俺が信じられないとばかりに驚くと、


「相性の問題じゃろうが、やはり強者であることは変わらん。その力から、奴は悪夢ナイトメアと呼ばれておった」


 しゃべりすぎて喉が渇いたのか、師匠はハーブティーをごくごくと飲む。

 それがどんな能力なのか気になり、聞き返そうとしたら、


「う、うむ、そのじゃなあ、ではその前に……」


 少しはにかみながら、空のカップを俺に向けた。

 俺がカップを受け取ろうとして手を出すと、目の前に、


『物語を始めますか? YES/NO』


 そんな文字が浮かんだ。

 夢の中で起きた何かの錯覚だと思い、それを無視して手を伸ばすと……



 俺の意識は、深いまどろみの中へと取り込まれていった。



   × × × × ×



「夢って、いつも肝心な場面で終わるものだな」


 俺はあくびを噛み締めながら、伸ばした指先に当たる不思議な感覚に首を捻った。最近は春香も友達が増え精神的にも安定したのか、黒猫の姿で俺の布団に忍び込むことは無くなったから、はてこれは何だろうと探ってみると、


「人間の胸のような?」

 そんな気がしてならない。


 人化した春香でもないようだし、加奈子ちゃんや麻也ちゃんでもないだろう。

 確かになかなかのサイズだが、何処か決定的な違いがある。


「外部との結界は張ったままだし、警告のアラートも鳴っていない」


 以前スケスケのネグリジェを着たアンジェが大きな胸をボインボインと揺らしながら、寝ぼけて俺の布団に忍び込もうとしたから…… 収納魔法からこの部屋に誰かが忍び込んだら、警告が鳴る仕組みにしている。


 するとこれは俺の寝ぼけた脳が作り出した幻想だろうか?


 確認の為もう少し揉んでみると、つるつるとした素肌の感覚と怖ろしいほどの弾力が伝わってきた。


 耳元で荒い吐息も聞こえてくる。

 覚悟を決めて布団をめくると、


「御屋形様、いきなりそのような」


 おひげのダンディな四十歳程の男が微笑みかけてきた。

 何故か黒いブーメランパンツ一枚の姿で。


阿斬あざんさん、こんなところで何してるの?」

「私にもさっぱり分かりません。何故、御屋形様と寝屋を共にしているのか」


 阿斬あざんさんはダンディなひげをさすりながら少し顔を赤らめ、俺の布団の中で首を捻った。

 何故か黒いブーメランパンツ一枚の姿で。


 俺はそんな阿斬あざんさんを眺めながら、これが夢なら覚めてほしいと……



 心の底から、そう願った。

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