もしやその気配は!
「御屋形様、今朝はまた危ないところを救っていただき誠にありがとうございました」
稲荷に戻り社務所に顔を出すと、千代さんが白装束姿で板間に指をついて、深々と頭を下げた。
「大した事じゃないし、そこまでかしこまらなくても」
おかげで素敵なお尻も観測できたし、プルンプルンの千代さんの身体を抱きかかえられたのだからラッキー以外の何物でもない。
こうやって小さな幸運を積み重ねて行けば、尊い幸せに近付けるかもしれないし。
「いつもいつも、ご迷惑ばかりおかけして。この御恩をどうお返ししたら…… お約束の対価もまだお支払いしておりませんし」
そして白装束の袂をそっと口にくわえて「よよよ」と呟きながら
まるで安い時代劇のシーンみたいだと感心しながら千代さんを見ていたら、
「御屋形様は契約の際あのようにおっしゃってくれましたが、千代には興味がないのでしょうか。もし意中の女性が他にお見えでも、一向にかまいません。そもそも御屋形様の前世は正妻こそおりませんでしたが側室が何人もおりましたし、妖狐も強い雄が複数の妻を持つことは珍しくありません」
そんなことを言いながら、結構なスピードでこちらにすり寄ってくる。
妖孤ってホバー機能でも搭載されているのだろうか?
しかし以前は同じような事があっても、どうすれば相手を傷つけずにこの場を逃げ切れるかしか考えなかったが……
クイーンに愛情の枷をひとつ外されたせいだろうか?
今は俺の腕に身体を絡める千代さんの色気に翻弄されて、思考がまとまらない。
「やはり加奈子殿のことが気がかりなのでしょうか。それとも麻也が…… どちらにしても、千代が御屋形様をお慕いする心に変わりはありません」
ボインと胸を押し付け、大きなタレ目で見上げる千代さんの瞳を覗き込むと、
『きっとまだ間に合うわ! 今度こそ正妻の座を掴み取るのよ。そうすれば御屋形様のご寵愛を一身に受け、妖狐族も安泰で、この先何があっても超安心だもの。千代、ファイト!』
久々にサーチ魔法が勝手に動き出し、千代さんの想いが俺の脳内に流れ込んでくる。――うん、女性ってたくましいよね。
でもまあ、俺が態度を確りしていないのが問題なのだろう。
今までそんな考えにも至らなかったから、これもクイーンが枷を外した影響かもしれないが……
「千代さん」
俺が名前を呼ぶと、千代さんは更に俺の腕を強く掴む。
「何でしょう、御屋形様」
もう腕が確りと谷間に挟まれ身動きが取れない。
この感触は…… 白装束の下にブラジャーをしているのだろうか? もう、色々と感覚がダイレクトだ。しかも千代さんの瞳がうるんでいて表情も艶やかだ。
さすがの大賢者様でもこの拘束を解除するのは不可能かもしれない。
いやもうこれ、美味しくいただいちゃっても問題ないんじゃないのだろうか。
そんな思いが頭を過ぎったが……
加奈子ちゃんやクイーンや、何故か師匠の顔が思い浮かび、
「早速で悪いけど、お願いしていた資料を確認させて」
そんな言葉が自然と口をつく。
「はい、 ……分かりました」
すると千代さんがゆっくりと体を離す。
へたれな自分にがっかりしてると、千代さんの後ろ姿に、
『あと一押しですね♡』
また勝手に動き出したサーチ魔法の文字が浮かんだ。
× × × × ×
以前稲荷に関係する資料を見せてもらったが、実際に結界を張り直してみると幾つか疑問が残った。
そこで今回はこの
今朝千代さんに相談したら、この稲荷にもいくつか資料が残っているそうなので、まずはそれを確認することになった。
江戸時代から伝わると言う巻物や、それ以前のこの土地の言い伝えを書き写した資料を千代さんがもってくる。
系統立てて整理され、保存状態も良く、考察を記した幾つかのノートまで存在した。
「兄の
そうなるとこのノートは加奈子ちゃんの元旦那様の物だろう。
俺は襟を正して背筋を伸ばし、ノートをめくる。
力強く大胆な文字はどこか繊細さも持ち合わせて美しく、理論のまとめ方は簡素で的確だった。
「しばらく拝見させていただいても良いですか」
「もちろんです。今お茶を用意いたしますので、お待ちください」
千代さんが部屋を出て行くと同時に、俺は資料に保護魔法を展開しながら読みやすいように宙に浮かべた。
この方法が一番資料を傷めず効率が良い。
巻物や本やノートがパラパラと音を立てて空中を舞う。
無限回廊図書で使用していた魔法のひとつだが、この状態で俺は『速読』と『
年表や測量値などの数字的な資料が多いものは『速読』で一気に記憶するが、読み物として書かれたものは読むスピードを『書き手の狙い』まで落とす。
時間的な記憶効率は悪くなるが、歴史を心で感じるためには一番効率の良い方法だった。
きっと文字には音楽と同じように人を感動させるリズムやメロディーが存在するのだろう。音楽も楽譜や歌詞を覚えるだけなら早回しで一気に聴いた方が覚えやすいが、作曲者や作詞家の狙ったスピードで聴かないと感動は得られない。
そして師匠は、学問に必要なのは想像力を得るための感動だと言った。
注意深く
文字は踊り、歴史と言う事実が的確な音を奏で、そこにあったであろう人々の想いを想像させる。
人々の陰で暮らし、運命を翻弄された
そしてこの物語はある『歪み』との戦いだった。
それはいつでも人々や
まるでたちの悪い
歴史書を時系列で追うと、幾度も人々や
しかし戦国の世が訪れ、いつしか人々に『要の岩』が忘れられると、そこから魔が飛び出すが、戦国末期…… ひとりの英傑が魔を倒し、再度それを封じ込め、そこに稲荷を建立する。
それが
そこまで読み込んでから一息つくと、お茶を持ってきた千代さんが空中に散乱する資料を見上げてポカンと可愛らしい口を開けていた。
「驚かせてすいません、これが一番慣れた読み方なので」
「なんて慈愛に満ちた妖術なのでしょう、このような術は初めて拝見いたしました」
そして千代さんはお茶を足元に置いて、また板間に指をついて深々と頭を下げた。
ただ資料を読んでただけなんだが……
「それより、
「兄も御屋形様にそう言っていただけたと知ったら、きっと喜んだでしょう」
千代さんが顔を上げるとまた勝手にサーチ魔法が動き、
『御屋形様
そんな文字が表示される。
下神の呪いが解けてから魔法のズレは無くなったと思っていたが……
ひょっとしたらまだ調整が必要なのかもしれない。
ふと、そんな気がした。
× × × × ×
念のため玄一氏のノートを数冊借りて、『要の岩』まで足を運ぶ。
それは境内の奥にある源泉の岩場にあった。
前回は千代さんが湯治していてちゃんと確認できなかったが、元々その岩場が温泉として利用されていて、伝説の湯もその場所だそうだ。
泉のように一帯に湯が沸き、その中央に大きな岩があり、言い伝えではそれが『要の岩』らしい。
俺が「指定文化財、立ち入り禁止」の看板を抜け、二メートルほどの高さの岩を飛び越えて中を覗くと、湯煙の中央にしめ縄のまかれたひと際大きな岩があった。
サーチ魔法を展開しても特に怪しい魔力は感知できなかったが、そもそも湯そのものが魔力に満ちていて、解析が難しい。
「これじゃあ天然の
瞳に魔力を集中させ湯煙を避けるように視界を研ぎ澄ますと、誰かが泳いでいることに気付いた。
子狐たちが遊んでいるのかと思ったが、それより少し大人なシルエットだ。
背の中ほどまである漆黒の癖っ毛が濡れて、透き通るような白い肌に絡みつき、やや幼さの残る体型だが、確りとくびれた腰の下には美しいお尻がピチピチと音を立てて弾んでいた。
あの引き締まったつんと上向きのお尻は、何処かでよく見た気がするが、髪の色や年齢が違う。
極限まで魔力を高めて、その素晴らしさを観測しながら悩みこんでいたら、
「も、もしやその気配は!」
以前同じ場所で聞いたようなセリフが聞こえ……
とんでもない魔力波が、俺めがけて飛んできた。
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