聖者は悲しみを胸に秘める

 モーリンが非常階段を下りる足音を耳にしながら、俺はもう一度瞳の魔力を完全に切って、身体全体の魔力を極限まで落す。


 悪寒と頭痛は消えなかったが、何とか真っ直ぐ歩くことはできた。


 俺が唯空の踏み込んだ『支部長室』のプレートがある部屋の扉をそっと開けると……


 そこは微妙過ぎる空間だった。


 部屋にいたのは唯空とアリョーナさんだけ。


 豪華なソファーセットの手前でコントのようにズッコケている唯空。

 それを慈愛に満ちた瞳で見つめるアリョーナさんは、奥のデスクの横で椅子に荒縄に縛られていた。


 その縛られ方は紳士な大人が嗜むビデオのパッケージで見かけたことがある特殊なもので、大きな胸がやたら強調されている。


 確か亀甲縛りとか何とか…… そんな名前だったような気が。


 シャツの胸ボタンが外れていて、黒いレースのブラジャーを持ち上げる谷間が全開だし、タイトスカートの中央も縄で締め上げられていて、もうアレがソレでてんやわんやだ。


 美しすぎるパツキンの女性がそんな姿だと、もう何が何だか……


 もう一度部屋を見回しても他に誰もいない。

 既に芦屋とやらから情報を聞き出し、唯空が討伐した後だったのだろうか。


 そこで盛り上がった二人が、大人なプレイをお楽しみだったとか?


 色々な意味で頭痛が増してきたが、

「見なかったことにしておくから安心してくれ」

 俺が笑顔でそっと扉を閉めると。


「こらー、あほー、まちやがれー」



 唯空のとっても棒読みな叫びが聞こえてきた。



   × × × × ×



 もう一度扉を開けると唯空はむくりと起き上がり、あぐらをかきながら腕を組んで俺を見上げると、


「そうか、お前さん目の妖力を切ってるのか…… なるほど、この唯空を今までたばかってきたとはふてぇ野郎だ」


 パンとひざを叩いて、ソファーセットの中央にあるローテーブルの上を睨んだ。


 俺が魔力を目に戻して唯空の視線を追うと、そこには白装束を着たよぼよぼの爺さんが見える。


「これは……」

「やっこさんもう死んでやがるんだ、こいつはただの怨霊だよ」


 唯空の言葉に、ローテーブルの上に腰掛けていた老人が楽しそうに笑う。


「ひゃっひゃっひゃっ、今頃気付きおったか阿呆め。しかし唯空、良くわしのしゅから逃れたな!」


「そもそもおめえの呪いになんざ掛かりゃしねえよ、根性が違うからな」


 だんだん唯空の言う根性の定義が分からなくなってきたが、

「そっちの坊やは…… ふむ。一度殺したはずじゃが、何故こんなところにおる」


 その言葉は待ち焦がれた物だった。


「俺の家族に何をした」

「なーに、たわいない事よ。坊やを疎む心を少し後押ししただけじゃ、そうそう住処だけではなく学校にも同じような事をしたはずじゃが」


「何故……」


「あの女の目に悪意を溜め込むと、そりゃあ強くて便利な力に変わる。それを育てていただけじゃよ。じゃからあの女が好いた男を同じように順番に殺したが、そうそう、あの狐の男は坊やより随分とねばったなあ」


 俺の頭痛が更に酷くなると、

「気を確りともて、その言葉もやっこさんの『呪』だ、喰らわれんじゃねえ」


 唯空が俺をかばうように間に立ちはだかった。


「あの異世界人とやらの話じゃあ、あの目にこだわらずとも近い能力の女がおれば、体内の回路とやらをいじくって痛みつければ似たような成果が上がるそうじゃな。それであの女の娘にも『呪』をかけてみたが」


 俺の頭痛が更に悪化し、吐き気まで催してくると、


「そうじゃそうじゃ、異世界では坊やの知っておる女どもにも何人か試したそうじゃな。ひとりその気配を感じたが、どうじゃった?」


 更に芦屋は言葉を重ねる。


「ちっ、今成仏させてやるからそこに直りやがれ!」

 唯空が身体を炎に包み、芦屋に攻撃を仕掛けたが、


「ひゃっひゃっひゃっ、無理じゃ無理。伊達に平安の世から怨霊をやっとらんわ! わしを滅したければ阿弥陀か釈迦でも連れてくるんじゃな」


 芦屋と名乗る霊体は、楽しそうのその炎を掻い潜るだけだった。


「アンジェは…… アンジェはどうした」

 俺の声に、唯空と霊体がこちらを見る。


 脳内でまたカチリと何かが外れる音がして、俺のもれ出た魔力でビル全体が少し震えた。


「ほう…… どうやらこの感覚は、坊やにはわしの『呪』がまだ少し残っておるな。大方あの女かその娘の目に引き寄せられて、消えた筈のものがくすぶり始めたのじゃろう。待っておれ、今もう少し大きくしてやるわ」


「俺の質問に答えろ」

 更にビルが波打ち始めたが、俺が霊体に向かって目を広げると、


「ひゃっひゃっひゃっ、その名前なら覚えておる、赤い髪の女じゃろう。あの男どもが抵抗するからなかなか術が掛けれんと云うのでな、わしが特別の『呪』を埋め込んでやったわ、今頃どうして……」


 霊体はそこまで話して初めて俺と目を合わせると、動きを止めた。

 しわくちゃの顔を蒼白に染めて腰を抜かし、震え始めた霊体に俺は近付き、


「最後の質問だ」

 俺はゆっくりと手を広げて、その薄汚い顔の前に突き出した。


「お前は罪を知らぬ阿呆か、罪から逃げる卑怯者か、それとも俺が背負うべき罪なのか」


 しかし霊体は酸欠の金魚のように口をパクパクするだけで、残念ながら何も答えてくれない。


 また、カチリと何かが外れる。


「待て、よすんだ…… これ以上お前が苦しむ必要なんかねえ!」


 唯空の声が聞こえたが、言葉の内容が上手く理解ができない。

 俺がその霊体を体内に吸い込むと、更に大きくビルが揺れ始める。


 ――あの矮小な霊体も、きっと自分より暗く汚れた地にたどり着けば驚くだろう。


 なんとか制御が効かなくなってきた魔力を抑えようとしていたら、

「ダーリーン!」

 大声で叫ぶ、あの頃のままのクイーンが天井をぶち破って侵入してきた。


「ヘーラー、そんなに慌ててどうしたんだ?」

 混乱を始めた記憶の中で……



 俺は美しく白銀に輝く、伝説の魔女を抱きしめた。

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