クールな男の嗜み

 三階の非常口をそっと開けると濃厚な魔力が肌を刺した。

 俺は瞳の魔力を完全に切って、身体全体の魔力も最小限に抑える。


 突入のタイミングを計りながら、

「これが終わったら呑みにでも行かないか?」

 俺が笑いかけると、唯空は顔を歪めた。


「俺は酒が呑めない」


 酒好きにしか見えないが……


「本当に呑めないのか?」

「ああ、あまり人に話すんじゃねえぞ」


 唯空の困った顔に俺が笑いを堪えていると、

「その代わり甘いものが好きだ」

 ポツリとそうもらす。


「OK、じゃあ甘いもので。俺も酒より好きだ」

 そう、甘いものはクールな男の嗜みだ。


 俺が深くうなずくと、

「少し妖力が治まりやがったな、じゃあ手前の部屋が俺の担当で、お前さんが廊下の突き当りだ」


 唯空の言葉に頷いて俺が廊下を走り始めると、後ろからドアを景気よく蹴破る音が聞こえた。


 あれで命乞いが出来るかどうか不安になったが、正面から斬撃が飛んでくると反射的に避けてしまう。


「人のことは言えないな、これじゃあ演技以前の問題だ」


 二発目の斬撃を何とか受け取って、

「うーん、やられたー」


 大声で叫びながら俺が廊下の真ん中で倒れ込むと、奥にいた人物がゆっくりと近付いてきた。


 唯空が踏み込んだ部屋ともそれほど離れていないし、位置取りとしてはまずまずだが、

「やられたー、助けてくれー」

 唯空の棒読みのセリフが聞こえてきて、色々と不安になる。


「何を企んでいる」

 魔法で声を歪めているのだろう、男とも女ともわからない声色が奥から聞こえてきた。


 薄っすらとシルエットは見えるが、姿が確認できないように光も魔法で歪めている。


「降参だー、命だけは助けてくれー、もう俺は魔法も使えない。言うことは何でも聞くー」

 俺の名演技に何故かシルエットの人物が一歩後ろに下がった。


 何か不味かったのだろうか?


 もう三歩、いやあと二歩近付いてくれれば、多少魔力が制御できなくても確認できたが……


 しかし後ろから、


「ひゃっひゃっひゃっ、撲殺炎者と呼ばれる佳死津かしずの怪僧が無様なものじゃのう。どうやら異世界のものどもが気にしておった奴も倒れたようじゃし」


「くそー、ここに来る前に受けた傷が癒えてなかったぜー、うーん」


「いい気味じゃ、冥途の土産に良い話を聞かせてやろう。たっぷりと苦しんでから行くがよい」


 唯空の下手過ぎる演技に乗せられてジジイが何かペラペラと喋りだした。

 担当を変えとけば良かったと俺が心の底から後悔していると、


「あのバカめ」


 シルエットの人物が踵を返し、廊下の後ろに向かって走り出す。


「伸びろニョイ」

「ぐあっ!」


 ニョイを操作すると、男のうめき声と共に確かな手ごたえがあった。


 立ち上がって急いで駆け寄ると、廊下の隅にローブ姿の女性が倒れ込んでいる。

 殺気に気付き、俺はその奥にあった空間の歪みにニョイを叩き込んだが、空を切るような手応えしかない。


 閉じかけた歪みに耳を寄せると、


「くそっ!」

「バカ野郎、おとりは殺せと言っただろう」

「しかし…… あいつは本当に魔法が使えない状態なのか? 最強と言われた剣神ですらこの剣の斬撃を避けきれなかったのに」


 男たちの争う声が聞こえてきた。


 強引に追うことも出来るが、倒れていた女性が心配だ。

 それにこれだけ証拠がそろえば、後は何とでもなる。


 歪みはすぐに霧散したが、あれはモンスターや魔族軍が消えた霧と同じものだろう。俺は消えゆく霧から術式を読み取り、


「どうしたモーリン!」

 急いで倒れていた女性に駆け寄る。


「あれ、その声はサイトー? ははっ、どうやらボクは天国についたようだな」

 焦点の合っていない目でそんな事を言う。


「心配するな、お前はまだ死んでいないし俺は殺しても死ぬようなタマじゃない」

 抱き上げるとモーリンの魔力は枯渇寸前だった。


 しかも、あの青く美しい瞳がドス黒く濁っている。


「何があった」


 俺は自分の魔力を全身に戻し、サーチ魔法を強引に動かす。

 悪寒と強烈な頭痛が襲ってきたが、


「あの男たちに騙されてた…… どうやらボクやアンジェのような女に加工を施して、瞳から力を抜くと、あの扉を……」


「もういい、話さなくても大丈夫だ」

 何度もエラーを吐くサーチ魔法に喝を入れながら意識を集中すると、やっとモーリンの体調が把握できる。


 体内に精神的な絶望や肉体的な痛みを蓄積させ、わざと魔力回路を狂わせることでそれを増幅させ、瞳に集中するように仕組まれている。ローブの上からは見えないが、体中に長時間痛めつけたような怪我も存在していた。


 心の中で、何かがカチリと外れたような音が聞こえたが……


「待っていろ、今回復魔法を施行する」

「サイトーは使えないんじゃなかったっけ」


「ああ、ちょっと苦手なんだ」

「気持ちだけでも嬉しいよ、ここまで進行したら伝説の聖人様の回復魔法でも、治りっこないのは分かってる。どうせ体内の魔力回路が壊れてるんだろう」


 魔力が使える人間にとって、魔力回路は心臓と同じだ。

 まだ稼働しているとは言え、これを治すのはことわりを歪めることにならないだろうか。


 しかし、師匠の「己の信条を貫け」という言葉が脳内で響く。


 俺は心を決めて、抱きしめたモーリンに回復魔法をかけた。

 モーリンの身体や瞳が癒えていくと同時に、俺の体の中でブスブスと何かが裂けていくような音が響く。


 モーリンの魔力回路が回復すると、


「う、うそ……」

 澄んだ青い瞳から、大粒の涙をポトリと落とした。


 俺が抱き起こすと、

「ボクがバカだった」

 モーリンが俺を強く抱き返してくる。


 身体の傷も全て癒えたようだが…… 以前の感覚を思い出すと、おっぱいが少し大きくなったような気がしてならない。


 ミニスカートから延びる美しい太ももも、以前より輝いて見えるが……

 まあ、多少の誤差は容認範囲内だろう。


「下に降りればこの世界の仲間がいる。安心してくれ、皆気の良い奴らばかりだ」


 非常口までモーリンと共に歩き、

「まだ倒さなきゃいけない敵がいるから、しばらく待っててくれ」

 俺が笑いかけても、


「サイトー、ごめん、ごめん…… ボクがバカだった」


 何度も謝りながら泣きじゃくったが、俺は背を向けて……



 モーリンに気取られないように襲い来る寒気と頭痛に歯を食いしばりながら、唯空が踏み込んだ部屋に向かった。

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