ストロングスタイルですから
無限回廊図書にいた頃だ。
「愚者は浅はかな自分の経験のみを信じ、聖者は他人の心を知りその痛みを分かち、賢者は歴史の意味を知りそこから学ぶ」
師匠が歴史書に悪戦苦闘していた俺にそう言った。
物理化学や魔導書を読むのは好きだったし、根本的な理論は前世の理系教科書と同じだったから苦労はしなかったが、歴史は暗記科目だと割り切っていたせいか、
「まだ理解が足りないのですか」
師匠の理解度チェックで何度もダメ出しを食らった。
「そうじゃな、では今読んでおる帝国設立当時の話をしてやろう」
人族最大の『帝国』が誕生したばかりの頃、師匠はあるパーティーに招かれた。
そこである男にこう言われたそうだ。
「貴族を殺すに剣も魔法も必要ない、嘘でも良いから周囲が納得できる悪評があればいい」
師匠はその言葉を聞き、なるほど面白い話だと頷いたそうだが、
「それが、この男じゃな」
短命でこの世を去った三代目皇帝の名を指さす。
「策士とは策に溺れるものじゃし、また悪ほど強く扱いが難しいものなどない」
歴史書でその男は多くの施策を打ち出し、二千年以上続いている帝国の礎を築いた人物だった。
そして師匠は近くにあった魔導書を取り出し、
「呪いの魔術は必ず術者にも呪いをかける」
そう書かれたページを指さす。
「全ての学問はつながっており、人は繰り返して同じ過ちを起こす。歴史を学ぶとはそう言うことじゃ」
そして少し悲しい顔をして、
「恨みは人を蝕み、悪意は浸透して集団を腐らす。最も恐ろしい呪いは魔術ではなく『人の悪意』じゃからな。その呪いが早く解けるとよいのだが」
俺の頬にそっと手を置いた。
「そうそうお前も、何度注意しても我が階段を上るたびにスカートを覗こうとするであろう」
こっそり覗いていたつもりがまたバレていたようで、俺が慌てると、
「愚かな繰り返しを辞めさせ、新たな道へ誘うのも賢者の務めじゃ」
師匠は立ち上がると最近良く穿いている短めのドレススカートを楽しそうにひるがえして、まるで悪戯好きの少女のようにペロッと舌を出す。
すると回廊の淡い光の中で、可愛らしい純白のパンツがチラリと見えた。
そう、あれが…… 師匠から初めてノックダウンを奪われた瞬間だ。
× × × × ×
目覚めるとヒノキ造りの知らない天井が見えた。
頭回りに人の気配とぬくもりがある。
膝枕ってやつだろうか?
その脚はとても筋肉質で固く、頬にもじゃもじゃの毛が当たって、妙にくすぐったい。
「御屋形様、目が覚めましたか」
その声に顔を上げると、おひげのダンディな四十歳程の男が微笑みかけてくる。
何故か黒いブーメランパンツ一枚の姿で。
「麻也殿にも困ったものですな、御屋形様でなければ今頃死体処理に頭を悩ませていたところです」
周囲を確認すると、板間の広々とした部屋にもうひとりオールバックの似合う四十歳程のダンディなおじさまがいた。
やはり黒いブーメランパンツ一枚で。
「あなたは?」
「申し遅れました、この
おひげのダンディな膝枕男が名乗ると、
「同じく
部屋の隅で警護するように立っていたオールバックのおじさまも俺に頭を下げた。
俺が悩みこむと、
「回復の儀を行っておりました、もう傷は癒えた筈です」
そう言われると、唯空と殴りあってできた傷も麻也ちゃんに落とされた痛みもなくなっている。
「助かります、回復魔法は苦手なので」
俺が苦笑いすると、
「お礼を申し上げなければならないのは私どもです。しかし、何故麻也殿の技を受けたのでしょう? 私の見立てでは十分に避けれたはずですが」
「まあ悪いコトをしちゃった自覚はありますし、麻也ちゃんは色々と我慢しているようだから少しでも発散できる何かがあればと。――まさかあそこまでキレイに決められるとは思いませんでしたが」
そう、決して背中に当たったおっぱいの感覚に負けたわけじゃない。
「さすが御慧眼です」
俺が立ち上がると、
「では
そして二人は並んでボディービルダーのようなポーズを決め、
「どうぞこちらへ」
そろってブーメランパンツ一枚で呟く。
何だかそこは突っ込んだら負けのような気がして、スルーしながら後をついて行った。
そして回復の儀の内容は聞かないでおこうと、俺は固く決意した。
× × × × ×
通された部屋は広々とした畳の部屋で、不貞腐れた顔で座布団にあぐらをかく麻也ちゃんと、
「御屋形様、お待ち申しておりました」
白装束に身を包んだ、ふんわり系美女さんが並んで座っている。
「先ほどはその、お見苦しいものを……」
頬を赤らめ、照れるその姿はなかなか来るものがあった。
「いいえ、とても眼福でした。俺の信条は、来るものは拒まずのストロングスタイルですので、どうかご安心ください」
しかし恋愛面に関しては上手くいったためしがないから、この辺りは改善が必要なのかもしれない。
師匠は恋愛について問うたびに「あ、阿呆、そのぐらい察しろ!」と怒るだけで、何も教えてくれなかったからな。
現に今も、千代さんは困ったような笑顔を俺に向けている。
体面に用意されていた座布団にあぐらをかくと、赤い袴の少女たちがお膳に乗せたお茶やお菓子を順番に運び込んできた。
皆中学生か小学校の高学年ぐらいで、チラチラと俺を盗み見た。
髪型は全員肩までのおかっぱで、その可愛らしい顔もどこか似ている。
「どうぞお召し上がりください」
千代さんがコホンと咳払いをして、気を取り直すように勧めてきたので、湯呑を手に取ったら、
「あっ」
まだ握力が戻ってなかったのか、するりと手から滑り落ちてしまった。
お膳にぶつかりガチャンと大きな音がすると、
「きゃ」「えっ」「あわわわ!」
少女たちの小さな悲鳴が連鎖的に広がり……
子狐たちが慌てて部屋中を駆け巡った。
もう、赤い袴姿の少女の姿はどこにもない。
「これこれ、はしたない。落ち着きなさい」
千代さんがそう言うと、子狐たちは縮こまりながら部屋の隅に集まる。
「小さな子を驚かせてどうすんのよ」
麻也ちゃんは俺を睨んできたが、
「この子たちは森に住む妖狐の子供たちです、まだ人の身体に上手く化けられなくて。でも話を聞き付けて、どうしても御屋形様を見たいと言うのでこうしたのですが」
千代さんがふんわりとした笑顔で首を傾げる。
「ごめんね、驚かせて」
俺が子狐たちに笑顔を向けても、更に震えるだけだ。
前の世界でも、基本魔物や妖精は臆病で警戒深かった。
しかし必要に迫られると、その牙をむく。
「そうだ、お菓子を一緒に食べよう」
お膳にあった砂糖菓子をひとつ自分で食べ残りを手に乗せると、一番好奇心の強そうな子狐がそろそろと近付いて来た。
そう、だからまず信頼関係を結ぶのが大切だと師匠も言っていたっけ。
手の上の菓子を食べた子狐が嬉しそうに尻尾を振ったので頭を撫でると、他の子狐たちも近付いてきて、菓子を食べたり背に乗ったりし始める。
「今度はお菓子で誘惑なの」
麻也ちゃんは更に俺を睨んだが、
「他人の空似だとは分かっておりますが、なんだか本当に御屋形様が帰ってきたようです」
千代さんはまた、目にいっぱいの涙を溜めた。
「千代さん、その御屋形様ってのと加奈子ちゃんの目について、話を聞かせてもらえないかな」
俺がじゃれついてくる子狐たちに戸惑いながらそう言うと、千代さんはぽつりぽつりとこれまでの経緯を話し始めた。
「そもそもは兄の
千代稲荷伝説にはその後日譚があるようで、
「この領を治められた御屋形様は、我ら妖狐族を保護してくれました。その見返りとして作物の豊潤を我らが手助けしたのです」
家康の世になり天下が安定すると、その収穫の良さに疑問を持つ人々も現れた。
「御屋形様は秘匿していましたが、どこから情報が漏れたのか我ら妖狐族を狙う輩が現れ」
その利権争いに巻き込まれるような形で、当主は命を失う。
妖狐たちは人との契約を辞め、ただ稲荷を守りながら温泉の力を借りて傷ついた人々を癒し続けていたが……
「御屋形様は武将としても優秀でしたし、我ら妖族に近いお力もお持ちでした。そんな方をどのようにして抹殺したのか不思議でなりませんでしたが」
目に特殊な力を持った術師がその武将を暗殺したとうわさが広がり、
「我ら妖孤も、そのような技を持つものに多くの命が奪われました」
時代と共に激減する妖狐族は、いつしか『目』の能力者を探すようになり、
「そして兄の玄一が、見つかった瞳の能力者の監視を始めたのですが」
そこからは麻也ちゃんから聞いた話と同じだった。
商店街の地上げ話が進み、加奈子ちゃんたちが追い込まれると、
「あたしも突然襲われ、この通りまだ療養中です。
条件が合わなくて、保留になっていた。
しかし数日前に妥協案が提出される。
「あたしがある人に嫁げば、それで全て丸く収めると」
そこまで話すと麻也ちゃんが、
「もう、信じらんない!」
頬を膨らませて千代さんを睨んだ。
「幾つかお伺いしていいですか」
「はい何でしょう」
俺はこの件を脳内のチェスボードに書き出す。
あまりにも単純な詐欺の手口だが、確認は必要だろう。
「まず、領主を殺した能力者が『目』の力を使ったと言うのは噂ですか」
「はい、しかしその後そのような能力者に何度も襲われましたので」
「襲ってきた能力者を捕まえて確かめたりしたことは」
「……いえそれは、確かにありませんでした」
能力を偽装しながら襲うのは、異世界では密偵の常とう手段だったが、どうやらこの世界でも同じようだ。
「加奈子ちゃんの能力を見つけたのは誰ですか?」
「はい、それは……
さすがにそこまで話したら、千代さんも気付いたようだ。
しかし麻也ちゃんは隣で首を傾げている。
「どゆこと?」
「つまり
子狐たちのモフモフを撫でながらため息をつくと、麻也ちゃんがまた俺を睨む。
ふと師匠の言葉が頭をよぎった。
「最も恐ろしい呪いは魔術ではなく『人の悪意』じゃ」
単純だが、この呪いは効果的だったのだろう。
狐たちは領主や仲間が殺された「怒り」に我を忘れていた。
「
まだこのチェスボードは完成していないのだろう。
しかしこの件に関して、凄く有用な人材が手元にいたような気がする。
俺は何度も首をひねったが……
何故か、なかなか思い出すことが出来なかった。
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