素顔のままで

 万有引力の法則と言う概念がある。


 地上において質点が引き寄せられるだけではなく、この宇宙においてはどこでも全ての質点は互いに引き寄せる作用、すなわち重力を持っている。


 それは異世界でも同じだった。

 重いものほど地表に向かって引き寄せられる力が強くなる。


 しかし今俺の目の前にある大きな二つの質量は、その法則をあざ笑うかのようにボインと上を向き、つやつやの張りとその美しい造形を主張している。


「た、たたたタツヤ君、そんないきなり。ま、麻也もまだ起きてると思うし」


 俺が物理学思考に没頭していたら、加奈子ちゃんがサンドロ・ボッティチェッリ作の「ヴィーナスの誕生」のようなポーズをとる。


 右腕で胸を隠し、左手はそっと大事な場所へ。


 ――ああ、美の女神はここにいたのか。

 俺が芸術学的思考で新たな事実に感銘を受けていたら、


「ママに何する気よ!」


 後方から麻也ちゃんが、ジャンピング・ニードロップを仕掛けてきた。



   × × × × ×



「さあ、キリキリと歩く!」


 避けることもできたが流石にあれは良くなかったと思い、麻也ちゃんのジャンピング・ニードロップを顔面で受け止めた。


 決して大きく開いた脚のせいで、また見えちゃってた花柄パンツに目を奪われたからじゃない。


 加奈子ちゃんは、

「大丈夫?」

 と、心配顔だったが…… 耳と尻尾を隠した麻也ちゃんが、


「ママ、心配しないで。この駄犬はあたしがちゃんと躾けておくから」


 首根っこを押さえて脱衣所から引きずり出し、現在俺は店先に連行されている。


ルークは逃げた術者を追跡中だし、巫女ちゃんは俺の別室に保管した。あそこなら食事もバストイレも完備してあるから」


「でもマフィアとあんたの弟が残ってるでしょ」

 うん、小者過ぎてすっかり忘れていた。


 もう逃げたんじゃないかと思ってたが、弟は店先にへたり込んだままだし、マフィアの皆様も店先で倒れていらっしゃる。


「龍神様が取り押さえてくれたのよ」


 見上げると龍王がグルグルと喉を鳴らしてマフィアを見下ろしていた。

 解けた結界もスケールダウンして、この周囲だけ張りなおしてくれたようだ。


「ありがとうギャーちゃん、今日はもう戻っていいよ」

 俺が両腕を広げると、龍王は懐の収納魔法の中へ吸い込まれてゆく。


「ギャーちゃん?」

「龍王のニックネームだよ、サトちゃんギャーちゃんの仲なんだ」


 麻也ちゃんは無言で首を横に振ったが、


「こいつらどうする気だ」

 俺がむさい男五人を眺めて腕を組むと、


「どうするもこうするも、このまま逃がしちゃダメでしょ」

 頬を膨らまして俺を睨む。


 確かにここは、放っておけば野盗が追いはぎしてくれるほど治安のよい場所でもない。落ちた薬きょうや銃弾をそのままにしておいても、後々加奈子ちゃんに迷惑がかかるだろう。


「了解」


 俺は魔法で銃撃の証拠になりそうなのを集めてワンボックス車に詰め込み、弟のズレたヅラを直してから、ペチペチと頬を叩いた。


「おお、お前は……」

 そのおびえた表情は哀れですらあったが、


「罪から逃げる卑怯者よ、夜が来るたびこの顔を思い出せ。――それが恐怖だ」

 俺はその目を覗き込んで、素顔のままで笑いかける。


 ついでに十九年前の記憶を探ったが、やっぱり自分が兄を殺したことすら自覚していなかった。

 これじゃあ、その背後にいた人物も特定できない。


 また失神してしまった弟をワンボックスに詰め込み、倒れていたマフィアさんたちに、


「じゃあ、安全運転で帰ってね」

 魔法で暗示をかけると、皆俺の顔を見てコクコクと頷いてから車に乗り込んだ。


「ねえ、あれは何の魔法?」

「ただの暗示だよ、数時間で我に返る」

 まあ、弟はしばらく眠れないかもしれないが。


「マフィアじゃなくて、あの血がつながってるかどうか謎で仕方がない奴のこと」


 俺は真剣な顔になっていた麻也ちゃんの頭を撫ぜて、

「魔法なんかかけてないよ」

 そう、本当のことを言ってから……



 いつもの作った表情で、笑顔を返した。



   × × × × ×



 麻也ちゃんは色々と説明を求めてきたが、

「今日は遅いからまた明日ちゃんと説明する」

 自分の部屋に戻ってもらった。


 俺はおじさんの部屋に戻り、割れたガラスを修復魔法で戻しながらキングとクイーンに問いかけたが、やはり気配を消していた奴の情報は得られなかった。


 切られた騎士ナイトを何度も見直しても、魔力の痕跡はない。


「思い過ごしかな」


 とにかく明日は麻也ちゃんの叔母さん…… 妖狐族のおさに会って話を聞いてみよう。温泉にも入りたかったし、丁度良いかもしれない。


 念のため新しい歩兵ポーンを三つ店の周辺に放ち、加奈子ちゃんの近くに残ったもうひとつの騎士ナイトを放っておく。



 状況を整理しながら頭の中でチェスのボードを組み立てた。


 1、敵襲は不意打ちで俺がいる部屋を狙った。

 2、弟は俺を「狐に雇われた」と言った。

 3、巫女服の美少女は俺のニョイをかわした後、反撃のチャンスを捨ててまで、わざわざワンボックスの上に載って俺の動きを観測した。

 4、気配を消していた敵はナイトとクイーンを抑えるほどの実力があるのに、標的である加奈子ちゃんの目の前で、俺が近付くと同時に姿を消した。


 つまり気配を消していた敵は俺の存在と実力を知っていて、その情報をマフィアや巫女服美少女に伝えず、それらを利用して加奈子ちゃんを狙った可能性がある。


 ――やっぱり嫌な予感しかしない。


 しかも術者を追いかけていたルークから妙な情報が入ってきた。


「夜中の考え事は良くないな、今日はもう寝よう」


 俺が布団に潜り込むと……

 加奈子ちゃんが忍び足で俺の部屋の前まで来た。放ったナイトを利用して画像を確認すると、枕を抱きしめてドアの前をうろうろしている。


 仕返しで、あの枕で殴るつもりなのかな?


 それぐらいなら甘んじて受けようと思ったが、麻也ちゃんが寝ている隣の部屋のドアが少し開いて、暗殺者のような眼光を発していた。


 だから俺は、知らないふりをしてもう一度布団をかぶる。



 そう言えば収納魔法の中に、何かを置き忘れたままのような気がしたが、まあ思い出せないのなら大したことじゃないだろう。



   × × × × ×



「その、昨夜はごめんね。酔っぱらった挙句に醜態を見せちゃったようで」


 麻也ちゃんに「朝食だぞー」と大声で呼ばれ、昨夜と同じテーブルに腰掛けると、加奈子ちゃんがモジモジしながら話しかけてきた。


「いやこっちこそ、素敵なものをありがとうございます。逆に迷惑をかけてないといいけど」

 昨夜の美の女神を思い出して、ついつい俺も顔を赤らめると、


「あたしは全然迷惑じゃないよ、とーっても仲良しになれたしさっ」

 麻也ちゃんが強引に加奈子ちゃんの前に割り込んできた。


「そ、そう、良かったね麻也。何があったの」

「うん、それはお兄さんとあたしの秘密なのです!」


 麻也ちゃんは、朝から妙になついてくる。

 昨夜の件で信用を得れたのだろうか? なんだかちょっと微妙だが。


 今も朝食をとりながら「今日はどうするの」って聞いてきたから、温泉稲荷に行くつもりだと言ったら、ついて行くとはしゃいでた。


 今日は日曜日で、部活の練習も休みだから丁度良いらしい。


 麻也ちゃんが、

「着替えてくるからちょっと待ってて」


 朝食を終えて席を立ったから、加奈子ちゃんに話しかけた。


「ねえ、泊めてもらったお礼って程の物じゃないけど、俺がつくった携帯ストラップをもらってくれないかな」


 ポケットから、小さくしたキングを取り付けたストラップを出すと、


「なになに? 変わった龍のマスコットね、ありがとう。でもあたしスマホは普段ケースにしまってるから、部屋にでも飾っておくわ」

 加奈子ちゃんはそれを覗き込んで嬉しそうに笑った。


 スマホ? ケース?


 良く解らないが、部屋に置かれたら意味がない。

 おれは龍王をポケットに戻し、次なる策を考える。


 魔法石を加工した駒じゃあ昨夜の襲撃者に対して不安だし、龍王は小さくすると自力で追尾することができないから、苦肉の策だったが……


 キーホルダーだとずっと身に着けることはないだろうし、ネックレスに加工したら、龍王があの死の谷より深い何かから這い出られなくなる危険性がある。


 悩みこむ俺を、加奈子ちゃんが不思議そうにのぞき込んできた。


「そんなに気を使わなくてもいいのに」

「いや、これは俺の信念と言うか…… 責任の問題だから」


「大げさね」

 ふとテーブルに置いた加奈子ちゃんの手を見て、ひらめく。


「昨夜リュウキたちが来たんだ。追い返したけど、この後どうなるか分からないし、やっぱり加奈子ちゃんを守りたい」


 前の世界では指輪アイテムはメジャーで、良く交換したりもらったりした。

 その時に覚えた魔法で加奈子ちゃんの手を取り、指周りの大きさを確認する。


「そんな、気持ちだけでうれしいから」

 頬を赤らめる加奈子ちゃんを見ながら、ポケットの中でキングを指輪に変え、


「だからこれを肌身離さず着けていてほしい」

 サイズを確認するために指にはめようとしたら、


「そ、そんな…… 麻也もいるし、あたしバツイチだし」

 加奈子ちゃんの手が震える。


 バツイチってなんだ?


 ニュアンスから自分を卑下するような意味だとおもうが、

「麻也ちゃんなら理解してくれるよ、それに加奈子ちゃんは今でもとてもキレイだ」


 俺が強引に指輪をはめると、

「ままま、待って、そんな」


 顔を真っ赤にしながら指輪をかざし、壊れた人形のように動き始める。


「まさか」「これは」「夢?」

 その手足をパタパタ動かす様は、どこかで見たような気がした。


「あっ、分かった! ロボット・ダンスだ」

 俺が声を上げると……



 加奈子ちゃんは糸が切れたように、パタリとテーブルに伏せた。

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